デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

正しい戦争(PART 1)

2019-02-09 11:02:51 | 戦争反対 世界平和
 

正しい戦争(PART 1)

 


(atombomb.jpg)


(german03.jpg)


(htrump09.jpg)


(war90.jpg)


(sylvie702.jpg)




(sylviex.jpg)

ケイトー。。。、なんだか可笑しなタイトルを掲げたわねぇ~?


(kato3.gif)

いけませんか?

だってぇ~、戦争というのは、少なくとも何百万人という兵士と、何の罪もない市民が空襲や爆撃で死んでゆくわけでしょう!?

そういうことです。。。

それってぇ、どう考えても正しいとは思えないじゃない。。。

シルヴィーの言う事は間違ってないと思いますよ。。。

だったら、正しい戦争という言い方はないと思うわァ~。。。

確かに、戦争を始めれば、必ず何の罪もない市民が空襲や爆撃で死んでゆきますよ。。。

。。。でしょう? 「正しい戦争」があると言うならば、「正しい殺人」とか、「正しいレイプ」とか、「正しい強盗」とか、「正しい不倫」とか、「正しい贈収賄」とか、「正しい虐殺」とか。。。 そういうモノもあるということになるわけよねぇ~。。。

シルヴィーの言う事はもっともです。。。

それなのに、ケイトーは正しい戦争がある、と言うわけなのォ~?

いや。。。 僕が主張しているわけじゃないのですよ。。。

じゃあ、誰が言ってるのよ。。。?

あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。


ハーバード大学経営大学院教授

サンドラ・サッチャー



(sucher01.jpg)

 

サッチャー教授は15年以上にもわたって「トルーマンと原爆」について教え続けてきました。

この授業の目的は何でしょうか

2つあります。 一つ目は人道的な立場から戦争を考えてもらうこと。(略)
正しい戦争には原則があるのです。

二つ目は、国のリーダーは決断した内容だけではなく、決断にいたるまでのプロセスにも責任を負っていることを認識してもらうこと。(略)
自らの決断が間違っていないかどうかを確認するためにも、決断する前に反対意見や代替案を検討することは不可欠なのです。

  

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




161-162ページ 『ハーバード日本史教室』
著者: 佐藤智恵
2017年10月30日 第3版発行
発行所: 中央公論新社




正しい戦争には原則がある」と言ってるのねぇ~。。。



そういうことですよ。。。 あの世界的に有名なハーバード大学の先生までが、こういうことを言ってるのですからね。。。 僕は呆れてしまいますよ。。。

でも、たいていの人たちが戦争は避けられないものだと思ってるじゃない? 歴史を振り返ってみても、戦争のない時代ってないじゃない。。。 だから、戦争するなら、正しい戦争をしようと言ってるわけじゃない!?

確かに、そうなのだけれど、でも、それも可笑しいでしょう! 何の罪もない市民が空襲や爆撃で何百万人と死んでゆく。。。 こういう愚かな事をするのは動物の中でも人間だけですよ。。。 たいていの動物が、例えば、サルやライオンがグループの主導権争いをするけれど、戦っても負けがわかると、負けたモノは去ってゆき、勝った方も深追いしてまで相手を殺さないものですよ。。。

つまり、人間だけが何百万という規模で殺し合いをする、とケイトーは言うわけねぇ~。。。

そういうことですよ。。。 そろそろ人間も正気を取り戻して、戦争を止めてもいい時代になっているのですよ。。。 ところが、馬鹿な学者や政治家が相変わらず「正しい戦争」、「正しくない戦争」と、馬鹿なことを言ってるのですよ。


正しい戦争と不正な戦争


(war91.jpg)

 

『正しい戦争と不正な戦争』(Just and Unjust Wars) は、アメリカ合衆国の政治哲学者マイケル・ウォルツァーによって執筆され1977年に出版された、正戦論に関する著作である。

ウォルツァーは本書で戦争に関する規範的議論を法学ではなく政治哲学の観点から基礎付けることを試みている。
戦争の道徳的現実を明らかにすることが本書の研究の意図と位置づけられている。

ウォルツァーは、戦争にはラテン語でいうユス・アド・ベルム (jus ad bellum)と、ユス・イン・ベロ (jus in bello)という2つの道徳に関わりがあるという。
ユス・アド・ベルムは「戦争への正義」と訳されるが、正しい戦争目的に関する道徳である。

ユス・イン・ベロとは「戦争における正義」であり、戦争で用いることのできる正しい手段に関する道徳である。
ウォルツァーはこの2つの道徳は完全に独立しており、大義のある戦争が不正な手段で行われる場合もあれば、その逆もあり得るとする。

ウォルツァーは戦争目的の正義を、自国内の人びとの法的立場から国際社会における国家の法的立場を類推する「国内類推」という思考方法で導き出し、正しい戦争目的とは自衛のための戦争だけであると主張している。
ただし、自衛のための先制攻撃、内政干渉、人道的介入などグレーゾーンな問題もあると指摘している。

正しい戦争手段に関してウォルツァーは戦争慣例を下敷きに、基本原則として戦闘員は戦場にあっては平等だが、非戦闘員は戦争に利用してはならず、保護されるべき存在とする。
ただし、都市攻囲やゲリラ戦など、否応なく市民が巻き込まれるケースもあると論じる。

ウォルツァーが取り上げている論点の一つに勝利することと正しく戦うことのジレンマがあり、このジレンマを解決するためには切迫した危険に直面することで戦争法規を無効化する道徳的根拠を考察している。
ウォルツァーは戦争慣例を無視できる例外的な極限状態を「最高緊急事態」と呼び、第2次世界大戦で行われた都市爆撃は最高緊急事態の要件を構成していないと論じた。

ウォルツァーは、現実の戦争は道徳に必ずしも従わないとする現実主義の立場を取った上で、ハーグ陸戦条約やジュネーヴ条約など戦争の違法化の中で確立された基本精神によって、戦争における道徳の領域を拡大する論を展開している。
そして、戦闘員は一般市民を撃てないという戦争慣例から、非戦闘員を支配したいならば暴力のない強制を使わねばならないとし、この戦場における道徳が政治闘争としての戦争そのものの抑止に繋がると述べた。




出典: 「正しい戦争と不正な戦争」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




どのような戦争をしても、勝った方が「正義」を主張するのですよ。。。 そんな事は歴史を見れば明らかなことじゃありませんか! 学者が研究するまでもないことですよ。。。



そうかしら。。。 そういう事を研究するのが学問じゃないの?

だから、そういう研究者を学者馬鹿と言うのですよ!

じゃあ、ケイトーはどうすればいいと言うわけぇ~?

その前に、ちっと次の小文を読んで欲しい。。。



(komei01.jpg)

 

安倍はその「危険な団体」のドンの池田と、(略)極秘会談をすることになる。
2006年9月22日に小泉(純一郎)内閣の官房長官で、首相就任直前の安倍が池田と会った、と全国紙が一斉に報じたのである。
国会でそのことを問われた安倍は、一応それを否定した。
そしてその8日後の9月30日に開かれた公明党大会で、安倍は次のように挨拶した。

「私は去る(9月)26日、本会議における首班指名選挙において、公明党の皆様の支持をいただき、第90代内閣総理大臣に任命された。 (略)
私の祖父の岸信介も、父の安倍晋太郎も御党と交友関係の深い間柄でもあった。
両党が50年の歴史を経て、今、第2期の連立政権時代を迎えるにあたって私が自由民主党の総裁として連立内閣の首班として、連立を率いていく立場になったことは、何か特別な運命を感じている」

岸以来の学会、公明党との縁を思って感慨に耽るのは勝手だが、かつて、「これはあまりに危険な団体だ」と思ったという自らの認識はどこへ行ったのか?
あまりに軽すぎる、あるいは、あまりにご都合主義すぎる挨拶である。

 (29-30ページ)




 


(hamashiz2.jpg)

 

代表代行の浜四津敏子が1997年暮れに出した『やっぱりひまわり』(鳳書堂)という本がある。
そこで浜四津はこう訴えているが、わずか9年でそれは変わったのか。

<私は国連軍にせよ何にせよ、「軍」すなわち「軍隊」という考え方に対する根本手な発想の転換が必要だと思っている。 (略)
世界中の国々から、本来は「軍隊」をなくすべきなのだと考えている>

 (中略)

浜四津はさらに、1949年の憲法で軍隊を全廃したコスタリカの例を引き、軍備にカネがかからないので、この国では国家予算の3割を教育費に当て、そのために識字率も高くて、国民総生産は中米諸国1位だと書いている。
この積極的な平和政策を進めたのはアリアス・サンチェスだった。
1986年に45歳で大統領となった彼は、各国に「非軍事化」「非武装化」「軍隊の解体」を訴え、1987年にノーベル平和賞を受賞した。


 (82-84ページ)




いったん盗聴や秘密警察的情報収集を導入すれば、「その本来の目的を逸脱し、歯止めが利かなくなるのは、古今東西の歴史の事実が証明している」と(浜四津敏子)は強調した。
しかし、それからまもなく、浜四津は態度を変えた。

修正案で対象犯罪に限定がかかったなどと変節の理由を述べたが、それは自らの発言を否定するものでしかない。
「盗聴という手段には歯止めが利かない」というのは「修正」は利かないということだからである。

翌1999年6月1日のテレビ朝日の『ニュースステーション』では、
♪あなたはもう忘れたかしら♪
という「神田川」の歌い出しにかぶせて、彼女のこの反対発言を再放送した。(略)

この間に、公明党は政権与党となった。
いま改めて盗聴法反対集会での彼女の発言を引いたのは、弁護士の彼女なら、盗聴法よりとんでもない共謀罪の創設に反対するはずだと思うからである。

自らの理念や理想を捨てても(自民党との)連立は維持しなければならないのか。
政権に参加しつづけるためには、政党の政党たるゆえん、すなわち本質をも棄却するのか。
それは自殺行為ではないか。

 (88-89ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『自民党と創価学会』
著者: 佐高信
2016年6月15日 第2版発行
発行所: 株式会社 集英社




つまり、ケイトーも世界中の国々から、本来は「軍隊」をなくすべきなのだと考えているわけ?



そうですよ。。。 そういう考えを持っている人が、結構たくさんいるから1986年に45歳でコスタリカの大統領となったアリアス・サンチェスは、各国に「非軍事化」「非武装化」「軍隊の解体」を訴え、1987年にノーベル平和賞を受賞したのですよ。。。

要するに、この考え方をネットで広めてゆけば、やがて地球上には「軍隊」のない「戦争」のない無政府・地球市民コミューンができる、とケイトーは主張するわけぇ~?

そうですよ。。。 このようなことは、もう100年以上前から言われていたことですよ。。。

マジで。。。?

ちょっと次の小文も読んでみてください。。。



(sekaishi2.jpg)

 

レーニンは、社会主義国家を作って革命が完成するとは考えなかった。
『国家と革命』(岩波文庫)によれば、共産主義というのは国家をなくす思想であり、いったん社会主義国家を作り、私有財産制を廃止したのち、国家さえ消滅した、貧富・身分の差のない共産主義社会を作るのが目的である。
だから、社会主義共和国というのはあるが、共産主義共和国というのはないのである。

無政府主義(アナーキズム)は、19世紀にバクーニンやプルードンによって唱えられたが、マルクスらは、それを時期尚早だとして批判したのであり、否定したのではなかった。

しかし、結局ソ連その他の社会主義国は、国家を消滅させることはで出来なかった。
日本における無政府主義の研究者である勝田吉太郎は、国家は必ず悪の性質をもつというのが無政府主義の主張だとし、ソ連もまたそうである、として保守派の論客となった。(略)

国家をなくしたら、警察や裁判はどうなるのか。
それに対する回答が、共同体主義というものだろうが、コミューンというのが、その国家の枠内での実践であり、ヤマギシズムなどがそれである。
しかし、実際に国家がなくなった例はない。

 (244-245ページ)

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『日本人のための世界史入門』
著者: 小谷野 敦
2013年2月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社




国家は必ず悪の性質をもつというのが無政府主義の主張だとし、ソ連もまたそうであるというのは正しいのですよ。。。 だから、ソ連は崩壊したのです。



つまり、現在、戦争をするのは国家があるからだと言うわけぇ~?

そうですよ。。。 アメリカのペンタゴンがある限りこの地球上から戦争はなくならないのですよ。。。

だから、ネット市民、地球市民がネットで 各国に「非軍事化」「非武装化」「軍隊の解体」を訴える必要がある、とケイトーは主張するのォ~?

僕以外にも、そうしたいと思っている人たちはたくさんいる! だから、1986年に45歳でコスタリカの大統領となったアリアス・サンチェスは、各国に「非軍事化」「非武装化」「軍隊の解体」を訴え、1987年にノーベル平和賞を受賞したのですよ。

 


(arias01.jpg)

   アリアス・サンチェス



 



それなのに、どうして戦争がなくならないのォ~?



アメリカにペンタゴンがあるからですよ。。。 そのペンタゴンと契約して何兆億ドルという武器をペンタゴンに収めている軍需産業があるからですよ。。。 その軍需産業がアメリカの大統領候補や政治家に政治献金を与えて応援しているからですよ。。。 しかも、アメリカの軍人が失業したら、デトロイトの自動車工場の労働者が失業した程度では収まらない暴動が起こるからですよ。。。



(laugh16.gif)

 (すぐ下のページへ続く)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正しい戦争(PART 2)

2019-02-09 11:01:43 | 戦争反対 世界平和


 

正しい戦争(PART 2)


【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

あなたは、どう思いますか?

デンマンさんのお話に賛同しましたか?

 

ところで、シルヴィーさんが出てくる面白い記事は他にも たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。


(sylvie500.jpg)


『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『チョコレートと軍産複合体』

『チョコレートと甘い権力』

『CIAの黒い糸』

『美しい日本語再び』

『宮沢りえブーム?』

『また、宮沢りえ?』

『浅間山噴火とフランス革命』

『なぜアクセスが急増したの?』

『気になる検索ワード』

『なぜ塩野七生批判』

『その検査、ムカつく!』

『宮沢りえと床上手な女』


(mh370a.jpg)

『MH370ミステリー』

『なぜ死刑廃止?』

『真犯人はそこにいる』

『MH370ミステリー裏話』

『お裁きを信じますから』

『ジャルパックと国際化』

『古代ローマのセックス』

『CIAとノーパン』

『エロいローマ再び』

『エロいけれどためになる話』

『えろあくにめ温泉』


(jump009.jpg)

『エロいけれどためになる』

『地球上のネット普及率』

『原発はダメだったのに』

『スカートをはいた兵隊』

『行田シンドローム』

『幻の暴走機関車』

『CIA@NOパンツ』

『やっぱり、セックス』

『セックス風呂具村』

『CIAの黒い手再び』


(banana82e.jpg)

『アダムとイブは何を食べたの』

『舞踏会 明子』

『波乱の人生』

『国際化だよね』

『イングナさんを探して』

『美しい日本語 チェーホフ』

『横の道@ニコライ堂』

『また塩野七生批判』

『日航スチュワーデス』


(cleopara2.jpg)

『クレオパトラ@塩野批判』

『テルモピュライの戦い』

『思い出の蓮』

『角さんと天罰』

『ラーメン@リガ』

『角さんと天罰がなぜ?』

『南京事件と反知性主義』

『あけびさんの卒論』

『愛は降る星の彼方に』

『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

『ケネディ家の呪い』

『欧米を敵に回す』

『ソフィアからこんにちわ』

『ドイツが原爆をロンドンに』

『いまだに謎』

『さらば大前研一』

『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

『フェルメールの謎』

『女に文句を言う女』

『あなたの祖国』

『宮沢りえ@韓国』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事



平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

■ "JAGEL - Soft Japanese Bagel"


(linger65.gif)

『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』




(rengfire.jpg)


(byebye.gif)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漱石と虞美人草

2019-02-09 10:57:53 | 日本人・日本文化・文学論・日本語
 

漱石と虞美人草

 


(gubijin2.jpg)


(natsume.jpg)


(foolw.gif)



こんにちは。
デンマンです。
卑弥子さんが漱石と虞美人草の事について面白い話しをしていましたよね。
覚えていますか?

初めてこのブログを読む人も居るでしょうから
サワリの部分だけ抜書きします。



(himiko22.gif)

 

おほほほほほ。。。

卑弥子でござ~♪~ますわよゥ。

また出てきてしまいましたわぁ~

ええっ?どうしてかって。。。?

あなたにお会いしたいからで

ござ~♪~ますわよゥ。

うふふふふふ。。。

でも、デンマンさんに

紹介されてうれしいわぁ~

じゃあ、「四面楚歌」の

お話をしますわね。


 

時は紀元前202年のことなのでござ~♪~ますわ。
古いお話なんですのよね。今から2200年前の事なのですわよ。
4年間に及んだ漢と楚の戦いは、いよいよ終局を迎えようとしていたのでござ~♪~ます。
漢の劉邦(りゅうほう)に追い詰められた楚の項羽(こうう)は、垓下の城壁にたてこもったのですわよ。


項王の軍垓下に壁す。兵少なく食尽く。

漢軍及び諸侯の兵、之を囲むこと数重なり。

夜、漢軍の四面皆楚歌するを聞き、

項王乃ち大いに驚いて曰く、

「漢皆已に楚を得たるか。

是れ何ぞ楚人の多きや」と。


つまりですわね、夜になるとどこからともなく、項羽の故郷楚の国の歌声が聞こえてきて、日が経つにつれて、その歌声が東西南北あらゆる方向から聞こえてきたのですわよ。

これを聞いて項羽は、
「漢は已に楚を全部降してしまったのだろうか。
敵軍の中に何と楚の国の人が多いことか」

このように嘆くのでござ~♪~ますわ。
実は、これは漢の軍師・張良(ちょうりょう)が、敵の戦意を無くさせるために考え出した歌声作戦だったのでござ~♪~ますわよ。
項羽と楚の兵はまんまとひっかかってしまったのですわ。

「四面楚歌」・・・出典は、言うまでもなく司馬遷の『史記』でござ~♪~ますわよ。

四面楚歌のエピソードには、さらに悲しい愛の物語が続くのでござ~♪~ますのよ。
ついでだから、その悲しい愛の物語を書くことにいたしますわ。
楚の国の歌声が周りから聞こえるものでござ~♪~ますから、項羽の下で戦っていた兵隊達は戦意を失ってしまいました。
飢えと郷里への想いもあり、最早自分たちだけ戦っても意味はないと思い兵士達は次々と逃げ出します。
将校や部隊長の中にも、これまでの項羽への不満から項羽を見限り、兵隊たちに混じって逃亡する者がたくさん出てくる始末です。

漢の軍師・張良は部下に楚歌を習わせ歌わせたばかりではなく、部下たちに更に次のように言ったのです。
「故郷へ帰ろうとする敵の者は、身分の上下を問わず、皆、逃がしてやるように」
このような訳で、包囲する漢軍は武器を捨てた楚兵を黙って通してあげたのですわよ。
楚陣に残ったのはたったの八百騎のみとなったそうです。
信頼する部下からこの知らせを聞き、項羽はほとんど空となった自分の陣を見て「最早、これまで!」と覚悟を決めたのでした。

ここで悲しい愛の物語が始まるのでござ~♪~ますわよ。
項羽は愛妾の虞美人と信頼する部下と共に最後の宴を開いたのです。
そして、有名なあの「垓下の歌」を詠(うた)ったのでござ~♪~ますわ。


「力は山を抜き、気は世を覆う。

時、利有らずして、騅行かず。

騅行かざるを如何せん。

虞や虞や汝を如何せん。


 


(himiko90.gif)

 

この虞美人さんはきれいな人だったのでしょうね。
項羽はもうこれまでだと思ったわけですけれど、虞美人には生きて欲しいと思ったわけなのでござ~♪~ますわよ。
この虞美人は虞姫(ぐき)とも呼ばれます。
虞は姓である(漢書)とも名(史記)であるとも言われていますわ。
「美人」も後宮での役職名であるとも、その容姿を表現したものであるとも言われているのです。
いわゆる側室か二号さんなのですが、小説やテレビドラマでは項羽の妻として描かれている事が多いようです。

でも、これほど有名な虞美人も項羽との馴れ初(そ)めについては、史記にも漢書にも一切記載されていないのでござ~♪~ますわ。
ただ垓下の戦いで、劉邦率いる漢軍に敗れた傷心の項羽の傍には、いつも虞美人がおり項羽は片時も彼女を放すことがなかったと紹介されています。
項羽が上の歌を詠ったあとで垓下から脱出するのですが、小説では項羽の足手まといにならぬようにと虞美人は自殺しています。

しかし、『史記』や『漢書』では、その後の虞美人については一切書いてないのでござ~♪~ます。
虞美人の自殺が語られるようになったのは、女性の貞節が口うるさく言われるようになった北宋時代からだと言われていますわ。
とにかく、自殺した虞美人の伝説は、ヒナゲシに虞美人草という異名がつく由来となったのでした。

 


(gubijin2.jpg)

 

どうですか?ケシの花ですわよねぇ~。
何とはなしに生々しい美しさですよねぇ~。
虞美人が自殺してその血を吸いながら、その場に咲いたのが虞美人草だそうですわ。
悲劇、悲恋を吸い取ったような妖艶で鮮(あざ)やかなヒナゲシの別名ですわ。

ところで夏目漱石の作品に『虞美人草』があります。
この作品を漱石自身は最も嫌悪していたそうでござ~♪~ますわ。

なぜ?

衆知のようにこの作品は漱石が大学教師を辞めて朝日新聞社の専属作家になった時の第一作で、極めて通俗性の濃い作品でした。
つまり、通俗性が強かったために嫌ったようですわ。この作品は勧善懲悪の小説です。

善玉は思索の人である甲野。悪玉は甲野の異腹の妹・藤尾です。
この藤尾が漱石の頭の中で“虞美人”あるいは“虞美人草の花”のイメージになっていたのでしょうか?
藤尾は魔性を兼ね備え、男を誘惑する女として登場します。

『虞美人草』は漱石の作品中、唯一の失敗作と見なされることの多い作品です。

なぜ?

その根拠としてかならず上げられるのが、作品の執筆を開始してから1ヶ月半ほどが過ぎた明治40年7月16日付で高浜虚子に書いた手紙でござ~♪~ますわ。

 


(natsume.jpg)


「虞美人草はいやになつた。

早く女を殺して仕舞いたい。

熱くてうるさくつて馬鹿気てゐる。

是インスピレーションの言なり」

(書簡番号771)


漱石がなぜこれほど嫌になってしまったのでしょうか?

あたくしは思うのでござ~♪~ますわよ。
歴史の中の虞美人のイメージと小説に出てくる“虞美人・藤尾”の通俗的なイメージがあまりにもかけ離れてしまって、もう書く気がなくなってきてしまったのでは。。。?

これは漱石にとって確かに失敗作だったようです。
なぜならば、漱石が新聞小説三作目に「三四郎」を書いています。
『虞美人草』で取り上げたテーマをもう一度扱っています。
失敗から学び、その原因を突き詰め、スタート地点に戻ってやり直すというのが漱石の生涯を貫く流儀でござ~♪~ましたわ。

漱石は『虞美人草』の通俗性をすっかり洗い落とし、装飾過多の文章を簡素化し、改めて『虞美人草』と同じテーマに挑んで「三四郎」を書いたのでした。




『素面仲尾』より



(kato3.gif)

う~~ん。何度読み返しても卑弥子さんの書評は素晴しいですよォ~。


(himiko22b.gif)

あ~♪~らぁ~、デンマンさんに面と向かってそう言われると、あたくし照れてしまいますわぁ~。てれてれでれぇ~♪~ うふふふふ。。。

四面楚歌の後の項羽と虞美人のエピソード。。。それとは対照的に『虞美人草』の中で語られる藤尾の通俗的なイメージ。。。漱石でなくても、これほどイメージがかけ離れてきたら書くのが嫌になってしまうかもしれませんよね。漱石が高浜虚子に“早く女を殺してしまいたい”と書いた気持ちが分かりますよ。

そうでござ~♪~ますか?藤尾はそれ程通俗的過ぎて殺したくなるような女なのでござ~♪~ますか?

漱石は卑弥子さんも引用したように高浜虚子に“早く女を殺したい”という手紙を書いているけれど、連載中に三四郎のモデルと言われた弟子の小宮豊隆にも次のような手紙も書いているんですよ。



(killer25.gif)

 

『虞美人草』は毎日かいている。

藤尾という女にそんな同情をもってはいけない。

あれは嫌な女だ。

詩的であるが大人しくない。

徳義心が欠乏した女である。

あいつをしまいに殺すのが一篇の主意である。


なんだか漱石先生にしては、すさまじい書き方でござ~♪~ますわね。しかし、それ程殺したい女をなぜ書いたのでござ~♪~ましょうか?

そこなんですよ。そのことをもって正宗白鳥などは勧善懲悪の小説だと指摘していると思うのですよ。

どういうことですか?

正宗白鳥は「夏目漱石論」の中で次のように書いていますよ。



(mydogt.gif)

 

宗近の如きも、作者の道徳心から造り上げられた人物で、

伏姫伝授の玉の一つを有(も)ってゐる

犬江犬川の徒と同一視すべきものである。

『虞美人草』を通して見られる作者漱石が、

疑問のない頑強なる道徳心を保持してゐることは、

八犬伝を通してみられる曲亭馬琴と同様である。

知識階級の通俗読者が、

漱石の作品を愛誦する一半の理由は、

この通常道徳が作品の基調となつてゐるのに

基づくのではあるまいか。


『虞美人草』の登場人物は卑弥子さんも紹介していたように善玉と悪玉にはっきり別れていますよね。そして最後に悪玉が敗北することになっている。まさに絵に描いたような勧善懲悪の小説です。善玉は思索の人甲野、上の引用の冒頭に出てくる正義の人宗近。その妹糸子などです。悪玉は甲野の異腹の妹藤尾とその母親ですよ。善玉と悪玉の中間に東京帝国大学を銀時計で出た頭の良い小野がいる。

それで、藤尾さんはどうするのですか?

藤尾はこの小野に目をつけ、彼を籠絡して意のままに支配し始めるわけですよ。

それで。。。?

小野は恩人の娘・小夜子と婚約者同様の関係にあるのに、藤尾の誘惑に負けて小夜子を捨てようとするのです。

それで、どうなるのですか?

ここで正義の人宗近が立ち上がり、小野を説得して藤尾との関係を絶つことを決断させるわけですよ。結局、小野は藤尾から離れて小夜子のもとに戻るのです。漱石は、自分でもこの藤尾を亡き者にしたかったのだろうけれど、勧善懲悪の話の筋から読者受けをねらったのでしょうね、最後には藤尾に自殺までさせている。

それで、正宗白鳥さんはどのように言っているのですか?

そういうところが漱石と滝沢馬琴が瓜ふたつだと言っているわけです。つまり、犬江・犬川というのは滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の八犬士の最初からふたりですよ。

その二人がどうだとおっしゃるのですか?

漱石が登場させた宗近は馬琴が造型した犬江・犬川と少しも違わないじゃないか、と言っているわけですよ。

つまり、こき下ろしているのでござ~♪~ますわね?

そういうことですよ。実は正宗白鳥の先生は、『小説神髄』を書いた坪内逍遙なのですよ。『小説神髄』には次のようなことが書いてあります。



(boxer6.gif)

 

小説の主脳は人情なり、世態風俗これにつぐ…

彼の曲亭の傑作なりける『八犬伝』中の八士の如きは、

仁義八行の化物にて、決して人間とはいい難かり


つまり、正宗白鳥は自分の先生の教えを忠実に守って漱石を批判したのですよ。

どうのようにでござ~♪~ますか。。。?

要するに、“人間が描けてないじゃないか!”と言っている訳ですよ。勧善懲悪の古くさい作品だと批判したんです。これでは江戸時代の滝沢馬琴と変わりがないじゃないか!?このように言っているわけですよ。

かなり痛烈でござ~♪~ますわね?

ホウ~、卑弥子さんもそう思いますか?

デンマンさんがレンゲさんを批判するようなものですわね?おほほほほ。。。

僕はそれ程痛烈ではありませんよ。なぜなら、僕はレンゲさんを心の底から愛していますからね。うへへへへ。。。

(卑弥子さん白けてます。) それで。。。?

この時代に漱石のような勧善懲悪のできすぎた小説を書くと、そのように言われてしまう風潮があったのですよ。

どういうことですか?

つまり、坪内逍遙や二葉亭四迷が頑張っていた時代ですからね。江戸期の文学というのは否定し葬り去るべきものだ、という考え方が主流を占め始めていた。とにかく文明開化の時代でしたからね。

それ程文明開化というものはすごかったのですか?

そうですよ。新時代の文学は新しい言葉によって書かれなければならない、と言文一致体を主張していたのですよ。昔は卑弥子さんも知っているように書き言葉と話し言葉はまったく違っていた。現在では蝶々のことを“ちょうちょう”と書くけれど、つい最近までは“てふてふ”と書いてちょうちょうと読ませていた。つまり、“てふてふ文学”はやめようじゃないか!という時代だったのですよ。

“てふてふ文学”というのは勧善懲悪小説のことですか?

まあ。。。そういうことですよ。道徳に凝り固まったような化け物を書くのじゃなく、人間を書きなさい、と言った訳ですよ。

デンマンさんはどう思われるのですか?

僕は漱石はかなり悩んだんじゃないかと思いますよ。

どのように?

漱石の評価の一つに、日本の文学者として「自我」の問題を最初に意識的に極め尽くした、というものがありますよ。

もっと分かりやすく言うとどうなるのでござ~♪~ますか?

言い換えれば、当時「自我」という認識そのものが日本にはなかった。現在だって欧米人と比べれば、はっきりと「自我」を持っている人が日本人には少ないですよ。僕のブログの記事を読んだら、“このデンマンという男は自意識過剰ではないのだろうか?”。。。このような印象を持つ人が日本人には多いですよ。少なくともこれまで僕にコメントを書いた人は、このようなことを指摘した人が多かった。

でも、デンマンさんだって日本人でしょう?

確かにそうですよ。日本で生まれて日本で育ちましたからね。でも僕は人生の半分以上を海外で暮らしてきたのですよ。

つまり、欧米並みに自分の考え方をしっかりと持って自己主張をする。早い話が「自我」を意識的に作り上げたという事でござ~♪~ますわね?

ホウ~~。。。卑弥子さんは良く分かっていますねぇ~。

あたくしはデンマンさんの女弟子でござ~♪~ますから。。。おほほほほ。。。

(デンマン、ちょっと白けたけれど、顔に出しません) それでね、漱石先生は自分の内側に「自我」を発見し、真の意味で自分になることを模索していたのですよ。

どうしてそのような事がデンマンさんに分かるのですか?

実は漱石には次のような経験があるんですよ。


“情に掉させば流される”

 


(sendo2.jpg)

 


『智に働けば角が立つ。

情に掉させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

とかくに人の世は住みにくい』

(「草枕」漱石)


草枕ではこのようなコンテクスト(context)で使われているんですよね。

つまり、どれも、何かしようとすると反発される、反感を持たれる、反対される、やりにくい。。。
このようなことを嘆いているわけですよね。
要するに、(日本の)世間というもののネガティブな面を取り出して漱石が嘆いているわけですよ。

現在の日本にだってこのような風潮がありますよね。
僕は2006年10月28日から1ヶ月間程日本に滞在しましたが、
出かける前に、この漱石の嘆きを感じて気が重くなったものですよ。

カナダのおおらかで自由な気風と比べると、
日本の社会を考える時、実際僕にとって漱石の嘆きは実感なんですよ。

ところで、漱石はロンドンで暮らしたことがある。
彼の気質にも原因があるのでしょうけれど、漱石はロンドンでノイローゼ状態になってしまったそうですよ。
漱石にとって日本は住みにくいと感じたのに、ロンドンではもっと住みにくいと感じたのでしょうね?
だから、ロンドンでは長くは暮らせなかった。

 


(london.jpg)

 

ロンドンでの暮らしは漱石にとって、よほど気が重かったのでしょうね。
それで、日本へ戻ってゆく。
でも、日本でも、やはり、うんざりしている漱石が居る!

僕は海外生活が人生の半分を越しています。
はっきり言って、カナダの方が日本よりも暮らしやすいんですよ。
日本では、とにかく物価が高い。
その点でも海外のほうが暮らしやすい。
ロンドンでも、僕は漱石のようにうんざりとはしなかったものです。

ふるさとが日本にあるから僕にとって日本は懐かしいのですが、
心情的には僕にとって日本はすでに外国になってしまっています。

とにかく僕にとって日本というところは暮らしにくいんですよ。
誤解しないで下さいね。
僕は日本が嫌いではありません。

僕が生まれ育った国ですから、僕は日本を愛しています。
しかし、ダメな政治家が下らない政治をしている現在の日本には半ば僕は愛想を尽かしています。

。。で、なぜに日本へ帰るのか?
愛する家族が居るからですよ。

しかし、最近の日本を見て心が痛むのは。。。
“家族殺し!”---これが、やたらに多い!
親が息子を殺す。
息子が親を殺す。
母親が幼児を虐待する!
母親が娘を殺して自分も死ぬ。
。。。
毎日のように、このような事件が報道される。

日本がどこか狂ってしまったのではないか?

このような印象を持つのは海外で暮らしている僕ばかりではない!
日本に暮らしている人でさえ、うんざりしている人がたくさん居る事を僕は知っていますよ!

どうしてこのようなことを書き始めてしまったのか。。。?
うへへへへ。。。。
(いや、失礼!)

漱石が悪いんですよ!うしししし。。。
上の漱石の文章が日本社会のネガティブな面を僕に見せ付けるのですよ!

しかし、このようにして考えてくれば、

“情に掉させば流される”


(judge12.gif)

 

漱石が使ったこの語句も、僕が思い込んでいたように解釈した方がよっぽど自然だと思いますよ。
つまり、“情に掉さす”とは、素直に同情しないで“水臭いことを言う”ことなんですよね。

。。。するとどうなるか?

日本だったら、当然次のような言葉が聞かれるんですよ。

“そんな水臭いことを言うなよ!”

それで、漱石といえども、うんざりしながら、世間の情に押し流されてしまうわけですよ。
それを、漱石は“とかくに人の世は住みにくい”と感じたわけですよね。




『情に掉さす人』より


このように長たらしく引用してデンマンさんは何がおっしゃりたいのですか?

つまり、漱石は文学的にも私生活においても「自我」というモノを考えないわけには行かなかった。ロンドンでの生活はまさに日本人とは何か?この自分とは何か?そういう事を考えない訳にはゆかなかったでしょうね?

デンマンさんも長い海外生活で「自我」を考えさせられたのですか?

当然の事ですよ。日本で日本人の中に埋もれて暮らしていてくださいよ。日本人とは何か?なんて考える事はまずありませんよ。さらに自分とは何か?なんて考える暇も無いでしょう?

分かりましたわ。漱石先生がロンドンでの生活を通して自分と向き合う時間が持てた。しかし、その事と文学的な「自我」とどのような関係があるのですか?

つまり、文学の世界でも同じような住みにくさを味わったわけですよ。正宗白鳥の批判などは、まさにその住み難さの現れでしょうね。

それで漱石先生はどのように文学の世界で自我を作り上げていったのですか?

結局、漱石は自分を見つける以外に無かったのですよ。

それで見つけたのですか?

見つけました。でも、その過程は長く苦しいものだった。

どのように。。。?

漱石は、暗闇のなか、素手でトンネルを掘っていくように、ただひたすらに自身の奥へ奥へと掘り進んで行った。『猫』から『明暗』にいたるまで、次第に暗さと深さを増してゆきます。

それで。。。?

また、漱石はたえず現在に不満があった。端から見れば病的と思えるほどの不安と焦燥につきまとわれていた。そしてそれは自分の作品にも向けられた。自分の作品に満足する事は稀だった。いつしかまた不満と飽きたらなさにかられ、次の作品、またその次、と書き継がれていった。それが同時に漱石を駆り立てるエネルギーでもあった。

それで、いつ漱石先生は「自我」を作り上げたのでござ~♪~ますか?あるいは見つけ出したのでござ~♪~ますか?

皮肉にも『虞美人草』を書く前の作品だと僕には思えますよ。

どの作品ですか?


(cat20.jpg)

『吾輩は猫である』と『坊っちゃん』でしょうね。隅から隅まで漱石を感じさせますよ。それを自由自在に操っていく闊達さが感じられますよ。

『虞美人草』にはそれが無いと。。。?

ありませんよ。初めて書く新聞小説だったから漱石は力(りき)みすぎたのでしょうね。『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』と違って自分らしさを出す事ができなかった。勧善懲悪な作品にしたばっかりに裏目に出た。そこで、漱石は改めて「自我」という事を考えさせられたと僕は思いますよ。

なるほど。。。虞美人が自殺した場所からヒナゲシの花が咲いて、それが虞美人草と名づけられたように、漱石は『虞美人草』を失敗作として、さらに自分を突き詰めて行ったと言う訳なのでござ~♪~ますわね?

そう言う事でしょうね。

それでデンマンさんは「自我」をもう作り上げてしまったのですか?

まさか。。。

。。。と言うと。。。?

生きるというのは自我を作り上げてゆく事だと思いますよ。

終わりは無いという事ですのね?

そうです。。。そうですよ。。。死ぬまで終わりはないのですよ。


あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク



平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

『卑弥子の源氏物語』

『平成の紫式部』

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

■ 『今、すぐに役立つ情報をゲットしよう!』


(creditx.gif)

■ 『あなたのための クレジット カード ガイド』


(atmvend.jpg)

■ 『あなたのための ローン ガイド』


(house03.gif)

■ 『住宅ローン・ビジネスローン ガイド』


(linger57.jpg)

『センスあるランジェリー』


(breakup0.gif)

■ 『結婚を真剣に考えているあなたのための結婚ガイド』


(kuji005.gif)

■ 『無料で当てる・もらえる懸賞生活』


(himiko5.gif)

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』


(cabanel5.jpg)

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

■ 『笑って楽しめる 私版・対訳 慣用句・熟語辞典』

■ 『辞書にのってない英語スラング』

■ 『オンライン自動翻訳利用法』


 

たらぁ~♪~

平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(june92.gif)

おほほほほ。。。

卑弥子でござ~♪~ますよ。

もう、イヤ~~、なんて

言わないでよね。

いつも同じ姿では

あなたも退屈するかと思って

変身しましたわぁ~。

どうでございますか?

結構、あたくしって、ボインでしょう?

おほほほほ。。。。

十二単(じゅうにひとえ)って

やっぱりダサいわよねぇ~?

十二単じゃ国際化に

なりませんものね?

日本にも、たくさん

すばらしい所がありますよね。

あなたも、日本の良さを

見失わないようにね。

そういうわけですから

次のサイトもよろしくね。

■ 『あなたのための面白い新しい古代日本史』

あたくしがマスコットギャルをやってるので

ござ~♪~ますのよ。

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあ、バーィ!



(kuge01.jpg)


(byebye.gif)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする