正しい戦争(PART 1)
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ケイトー。。。、なんだか可笑しなタイトルを掲げたわねぇ~?
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いけませんか?
だってぇ~、戦争というのは、少なくとも何百万人という兵士と、何の罪もない市民が空襲や爆撃で死んでゆくわけでしょう!?
そういうことです。。。
それってぇ、どう考えても正しいとは思えないじゃない。。。
シルヴィーの言う事は間違ってないと思いますよ。。。
だったら、正しい戦争という言い方はないと思うわァ~。。。
確かに、戦争を始めれば、必ず何の罪もない市民が空襲や爆撃で死んでゆきますよ。。。
。。。でしょう? 「正しい戦争」があると言うならば、「正しい殺人」とか、「正しいレイプ」とか、「正しい強盗」とか、「正しい不倫」とか、「正しい贈収賄」とか、「正しい虐殺」とか。。。 そういうモノもあるということになるわけよねぇ~。。。
シルヴィーの言う事はもっともです。。。
それなのに、ケイトーは正しい戦争がある、と言うわけなのォ~?
いや。。。 僕が主張しているわけじゃないのですよ。。。
じゃあ、誰が言ってるのよ。。。?
あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。
ハーバード大学経営大学院教授
サンドラ・サッチャー
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サッチャー教授は15年以上にもわたって「トルーマンと原爆」について教え続けてきました。
この授業の目的は何でしょうか
2つあります。 一つ目は人道的な立場から戦争を考えてもらうこと。(略)
正しい戦争には原則があるのです。
二つ目は、国のリーダーは決断した内容だけではなく、決断にいたるまでのプロセスにも責任を負っていることを認識してもらうこと。(略)
自らの決断が間違っていないかどうかを確認するためにも、決断する前に反対意見や代替案を検討することは不可欠なのです。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
161-162ページ 『ハーバード日本史教室』
著者: 佐藤智恵
2017年10月30日 第3版発行
発行所: 中央公論新社
「正しい戦争には原則がある」と言ってるのねぇ~。。。
そういうことですよ。。。 あの世界的に有名なハーバード大学の先生までが、こういうことを言ってるのですからね。。。 僕は呆れてしまいますよ。。。
でも、たいていの人たちが戦争は避けられないものだと思ってるじゃない? 歴史を振り返ってみても、戦争のない時代ってないじゃない。。。 だから、戦争するなら、正しい戦争をしようと言ってるわけじゃない!?
確かに、そうなのだけれど、でも、それも可笑しいでしょう! 何の罪もない市民が空襲や爆撃で何百万人と死んでゆく。。。 こういう愚かな事をするのは動物の中でも人間だけですよ。。。 たいていの動物が、例えば、サルやライオンがグループの主導権争いをするけれど、戦っても負けがわかると、負けたモノは去ってゆき、勝った方も深追いしてまで相手を殺さないものですよ。。。
つまり、人間だけが何百万という規模で殺し合いをする、とケイトーは言うわけねぇ~。。。
そういうことですよ。。。 そろそろ人間も正気を取り戻して、戦争を止めてもいい時代になっているのですよ。。。 ところが、馬鹿な学者や政治家が相変わらず「正しい戦争」、「正しくない戦争」と、馬鹿なことを言ってるのですよ。
正しい戦争と不正な戦争
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『正しい戦争と不正な戦争』(Just and Unjust Wars) は、アメリカ合衆国の政治哲学者マイケル・ウォルツァーによって執筆され1977年に出版された、正戦論に関する著作である。
ウォルツァーは本書で戦争に関する規範的議論を法学ではなく政治哲学の観点から基礎付けることを試みている。
戦争の道徳的現実を明らかにすることが本書の研究の意図と位置づけられている。
ウォルツァーは、戦争にはラテン語でいうユス・アド・ベルム (jus ad bellum)と、ユス・イン・ベロ (jus in bello)という2つの道徳に関わりがあるという。
ユス・アド・ベルムは「戦争への正義」と訳されるが、正しい戦争目的に関する道徳である。
ユス・イン・ベロとは「戦争における正義」であり、戦争で用いることのできる正しい手段に関する道徳である。
ウォルツァーはこの2つの道徳は完全に独立しており、大義のある戦争が不正な手段で行われる場合もあれば、その逆もあり得るとする。
ウォルツァーは戦争目的の正義を、自国内の人びとの法的立場から国際社会における国家の法的立場を類推する「国内類推」という思考方法で導き出し、正しい戦争目的とは自衛のための戦争だけであると主張している。
ただし、自衛のための先制攻撃、内政干渉、人道的介入などグレーゾーンな問題もあると指摘している。
正しい戦争手段に関してウォルツァーは戦争慣例を下敷きに、基本原則として戦闘員は戦場にあっては平等だが、非戦闘員は戦争に利用してはならず、保護されるべき存在とする。
ただし、都市攻囲やゲリラ戦など、否応なく市民が巻き込まれるケースもあると論じる。
ウォルツァーが取り上げている論点の一つに勝利することと正しく戦うことのジレンマがあり、このジレンマを解決するためには切迫した危険に直面することで戦争法規を無効化する道徳的根拠を考察している。
ウォルツァーは戦争慣例を無視できる例外的な極限状態を「最高緊急事態」と呼び、第2次世界大戦で行われた都市爆撃は最高緊急事態の要件を構成していないと論じた。
ウォルツァーは、現実の戦争は道徳に必ずしも従わないとする現実主義の立場を取った上で、ハーグ陸戦条約やジュネーヴ条約など戦争の違法化の中で確立された基本精神によって、戦争における道徳の領域を拡大する論を展開している。
そして、戦闘員は一般市民を撃てないという戦争慣例から、非戦闘員を支配したいならば暴力のない強制を使わねばならないとし、この戦場における道徳が政治闘争としての戦争そのものの抑止に繋がると述べた。
出典: 「正しい戦争と不正な戦争」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
どのような戦争をしても、勝った方が「正義」を主張するのですよ。。。 そんな事は歴史を見れば明らかなことじゃありませんか! 学者が研究するまでもないことですよ。。。
そうかしら。。。 そういう事を研究するのが学問じゃないの?
だから、そういう研究者を学者馬鹿と言うのですよ!
じゃあ、ケイトーはどうすればいいと言うわけぇ~?
その前に、ちっと次の小文を読んで欲しい。。。
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安倍はその「危険な団体」のドンの池田と、(略)極秘会談をすることになる。
2006年9月22日に小泉(純一郎)内閣の官房長官で、首相就任直前の安倍が池田と会った、と全国紙が一斉に報じたのである。
国会でそのことを問われた安倍は、一応それを否定した。
そしてその8日後の9月30日に開かれた公明党大会で、安倍は次のように挨拶した。
「私は去る(9月)26日、本会議における首班指名選挙において、公明党の皆様の支持をいただき、第90代内閣総理大臣に任命された。 (略)
私の祖父の岸信介も、父の安倍晋太郎も御党と交友関係の深い間柄でもあった。
両党が50年の歴史を経て、今、第2期の連立政権時代を迎えるにあたって私が自由民主党の総裁として連立内閣の首班として、連立を率いていく立場になったことは、何か特別な運命を感じている」
岸以来の学会、公明党との縁を思って感慨に耽るのは勝手だが、かつて、「これはあまりに危険な団体だ」と思ったという自らの認識はどこへ行ったのか?
あまりに軽すぎる、あるいは、あまりにご都合主義すぎる挨拶である。
(29-30ページ)
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代表代行の浜四津敏子が1997年暮れに出した『やっぱりひまわり』(鳳書堂)という本がある。
そこで浜四津はこう訴えているが、わずか9年でそれは変わったのか。
<私は国連軍にせよ何にせよ、「軍」すなわち「軍隊」という考え方に対する根本手な発想の転換が必要だと思っている。 (略)
世界中の国々から、本来は「軍隊」をなくすべきなのだと考えている>
(中略)
浜四津はさらに、1949年の憲法で軍隊を全廃したコスタリカの例を引き、軍備にカネがかからないので、この国では国家予算の3割を教育費に当て、そのために識字率も高くて、国民総生産は中米諸国1位だと書いている。
この積極的な平和政策を進めたのはアリアス・サンチェスだった。
1986年に45歳で大統領となった彼は、各国に「非軍事化」「非武装化」「軍隊の解体」を訴え、1987年にノーベル平和賞を受賞した。
(82-84ページ)
いったん盗聴や秘密警察的情報収集を導入すれば、「その本来の目的を逸脱し、歯止めが利かなくなるのは、古今東西の歴史の事実が証明している」と(浜四津敏子)は強調した。
しかし、それからまもなく、浜四津は態度を変えた。
修正案で対象犯罪に限定がかかったなどと変節の理由を述べたが、それは自らの発言を否定するものでしかない。
「盗聴という手段には歯止めが利かない」というのは「修正」は利かないということだからである。
翌1999年6月1日のテレビ朝日の『ニュースステーション』では、
♪あなたはもう忘れたかしら♪
という「神田川」の歌い出しにかぶせて、彼女のこの反対発言を再放送した。(略)
この間に、公明党は政権与党となった。
いま改めて盗聴法反対集会での彼女の発言を引いたのは、弁護士の彼女なら、盗聴法よりとんでもない共謀罪の創設に反対するはずだと思うからである。
自らの理念や理想を捨てても(自民党との)連立は維持しなければならないのか。
政権に参加しつづけるためには、政党の政党たるゆえん、すなわち本質をも棄却するのか。
それは自殺行為ではないか。
(88-89ページ)
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
『自民党と創価学会』
著者: 佐高信
2016年6月15日 第2版発行
発行所: 株式会社 集英社
つまり、ケイトーも世界中の国々から、本来は「軍隊」をなくすべきなのだと考えているわけ?
そうですよ。。。 そういう考えを持っている人が、結構たくさんいるから1986年に45歳でコスタリカの大統領となったアリアス・サンチェスは、各国に「非軍事化」「非武装化」「軍隊の解体」を訴え、1987年にノーベル平和賞を受賞したのですよ。。。
要するに、この考え方をネットで広めてゆけば、やがて地球上には「軍隊」のない「戦争」のない無政府・地球市民コミューンができる、とケイトーは主張するわけぇ~?
そうですよ。。。 このようなことは、もう100年以上前から言われていたことですよ。。。
マジで。。。?
ちょっと次の小文も読んでみてください。。。
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レーニンは、社会主義国家を作って革命が完成するとは考えなかった。
『国家と革命』(岩波文庫)によれば、共産主義というのは国家をなくす思想であり、いったん社会主義国家を作り、私有財産制を廃止したのち、国家さえ消滅した、貧富・身分の差のない共産主義社会を作るのが目的である。
だから、社会主義共和国というのはあるが、共産主義共和国というのはないのである。
無政府主義(アナーキズム)は、19世紀にバクーニンやプルードンによって唱えられたが、マルクスらは、それを時期尚早だとして批判したのであり、否定したのではなかった。
しかし、結局ソ連その他の社会主義国は、国家を消滅させることはで出来なかった。
日本における無政府主義の研究者である勝田吉太郎は、国家は必ず悪の性質をもつというのが無政府主義の主張だとし、ソ連もまたそうである、として保守派の論客となった。(略)
国家をなくしたら、警察や裁判はどうなるのか。
それに対する回答が、共同体主義というものだろうが、コミューンというのが、その国家の枠内での実践であり、ヤマギシズムなどがそれである。
しかし、実際に国家がなくなった例はない。
(244-245ページ)
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
『日本人のための世界史入門』
著者: 小谷野 敦
2013年2月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 新潮社
国家は必ず悪の性質をもつというのが無政府主義の主張だとし、ソ連もまたそうであるというのは正しいのですよ。。。 だから、ソ連は崩壊したのです。
つまり、現在、戦争をするのは国家があるからだと言うわけぇ~?
そうですよ。。。 アメリカのペンタゴンがある限りこの地球上から戦争はなくならないのですよ。。。
だから、ネット市民、地球市民がネットで 各国に「非軍事化」「非武装化」「軍隊の解体」を訴える必要がある、とケイトーは主張するのォ~?
僕以外にも、そうしたいと思っている人たちはたくさんいる! だから、1986年に45歳でコスタリカの大統領となったアリアス・サンチェスは、各国に「非軍事化」「非武装化」「軍隊の解体」を訴え、1987年にノーベル平和賞を受賞したのですよ。
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アリアス・サンチェス
それなのに、どうして戦争がなくならないのォ~?
アメリカにペンタゴンがあるからですよ。。。 そのペンタゴンと契約して何兆億ドルという武器をペンタゴンに収めている軍需産業があるからですよ。。。 その軍需産業がアメリカの大統領候補や政治家に政治献金を与えて応援しているからですよ。。。 しかも、アメリカの軍人が失業したら、デトロイトの自動車工場の労働者が失業した程度では収まらない暴動が起こるからですよ。。。
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(すぐ下のページへ続く)