デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

情に掉さす人 PART 1

2007-05-04 12:48:04 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


情に掉さす人



こんにちは。。。
デンマンですよ。
ゴールデンウィークですよね。
楽しんでいますか?

ところで、知っているつもりの諺を言ったら、意味が違っていると言われて
恥ずかしい思いをした事ってあるでしょう?

僕は人生の半分以上を海外で暮らしてきましたからね、
最近は僕の日本語のことをとやかく言われませんけれど、
4年前に、日本のサイトで書き込みを始めた頃は、もうすごかったですよ。

“オマエの日本語はめちゃくちゃじゃないか!”
“オマエ、日本語分かってんの?”
“差別語を使っちゃダメじゃないか!”

“表日本”、“裏日本”が差別語になっていたのには
本当にビックリしましたよ!

“タンタン広場”というサイトでの事です。

僕が小学生の頃は表日本、裏日本は教科書にも載っていましたよ!
それが、上のサイトでは使えない!
削除されてしまう!

全く驚いたですよ!んも~~!



僕は本当に浦島太郎になってしまったような気がしたものです。

“バツイチ”とか“キモイ”が分からなくて。。。

“そんなのが分かんね~のかよォ~!” と言われたものですよ!
ほんとうに“キモイ”思いをしたんですよ。、んも~~
うへへへへ。。。。



流れに棹させば流される

そう言う訳で、上の諺(?)を使おうとした時も、念のために調べてみたんですよ。

例えば、ホームルームで遅刻したら1000円の罰金をクラスの貯金箱に入れる、
と言う事が多数決で決まりそうになったとします。
でも、あなたはたびたび学校に遅刻する癖がある。

当然のことですが、そんな規則が出来たら、
あなたは1000円の罰金を支払う可能性が多いにある。
たまったものではない。
だから反対したい。

でも、話し合いを聞いていると、その規則に反対する人が極めて少ない。
ここであなたが反対しようものなら、袋叩きにあうように反論を浴びてしまう。
だから、不服ではあっても反対することを止めておこうと思い黙ってしまう。

このような状況のことを“流れに棹させば流される”というのだと僕は思っていたんですよ。
つまり、この場合の“流れ”とは、遅刻したら1000円の罰金を課すという規則が出来そうだという予感です。
あなた以外の大勢の生徒がその規則を作る事に賛成しようとしている。
あなたはその“流れ”を感じ取っている。

その“流れに掉さす”ならば、つまり、反対するならば、寄ってたかって反論を受けて結局規則が出来てしまうだろう。
“流される”とは大勢の意見に立ち向かうことが出来ないから、不服でも大勢の意見に従う、と言うことです。
つまり、自分が正しいと思っていても、その意見を主張せずに大勢の意見に従ったほうが無難だ、と言うことです。

流れに棹させば流される



僕はそんな風に、この諺を理解していたんですよ。
つまり、良くない意味に受け取っていたんです。

自分が正しいと信じているのなら、たとえ一人でも大勢の意見に対して立ち向かうべきだというのが僕の考えです。
だから、“流れに棹させば流される”と思って、大勢の意見にただ無闇に従うことは姑息(こそく)で卑屈な考え方だと僕は思うわけです。

こういうように大勢の意見に従ったほうが無難だと思う人が日本人には多いのではないか?
だから、年金をごまかした政治家が居るのに、その悪徳政治家を辞めさせようとしない。
なぜなら。。。
“仲良くしましょう”
“事なかれ主義”
“長いものには巻かれろ”
。。。

このような事も言われている。

それで、念のために僕は“流れに棹させば流される”の意味をネットで調べたわけすよ。
思い込みから来る間違いはありますからね。

そしたら、次のような説明にぶつかったんですよ。


流れに掉さす



流れに逆らう、流れを止めるといった意味ではなく、
掉を使い、流れにのって船を進める様子から、
時流に乗る、物事が順調に進むことを意味します。

「掉さす」は本来、船を流れと同じ方向に進めるという意味。
そうでなければ、夏目漱石の『草枕』の一節
「情に掉させば流される」の意味が通らなくなってしまいます。

使用例: あの社長は時流を見る目があって、流れに掉さす勢いで会社を大きくした。

『言葉の誤用にご用心』より


これを読んだために、僕は“流れに棹させば流される”を次のグループに書き込むのを止めてしまったんですよ。

“仲良くしましょう”
“事なかれ主義”
“長いものには巻かれろ”

確かに上の説明を読めば納得できます。

しかし、強い流れの中に棹を立てようとすれば、その強い流れのために棹は流されてしまう。
僕の家のすぐそばに川があったから、小さな頃川で泳ぎながら僕は何度もそのようなことを経験していた。

だからこそ、僕は自分の経験から“流れに棹させば流される”の意味は
大勢の意見に“付和雷同”するのだと理解していたのです。

これは僕の思い違いなのか?
思い込みなのか?
もしそうだとしても、僕は言いたいのです。

僕の思い込みの方が、けっこう大勢が感じている思い込みなのではないのか?

だから、僕の思い込みの意味に従うならば、
上の説明が大勢に受け入れられているから、
その意見に従ったほうが無難なんですよね。

でも、あえて、こうして異論を書くわけです。
僕のように思い込んでいる人がかなり居るのではないか?。。。と考えて。。。
あなたはどうですか?

コメントをお待ちしていますね。

。。。と書いたら、例によってフルーツブログのメンバーのじゅぁきさんから
次のようなコメントをもらいました。




呼びました?(笑)。
ども、じゅぁきです。

この言葉はたぶん知らない人の方が多いので、
勘違い以前のような気がします^^;;。
まぁ、なんとなくしか私も知らないし、
あまり会話でも小説でも使われてる頻度は少ないと思います。

で、意味を知らずに読むと確かに事なかれ主義にみえるんですが、
流れに棹さし、流されるわけですから、
水流を読んで棹をさしてるともとれるので、どっちか迷いますね・・・。

前にも書いたと思いますが、
本来の意味とは別に現代解釈が大多数の支持を得ると、それが常識になるんです。
で、そのうち、クイズ番組でひっかけ問題に出されて、
本来の意味がよみがえるんですよ、今の日本って^^;;。

だから、本来の意味で使うほうが無難のような気がします(笑)。

by じゅぁき ◆ starclew at 2006/10/20 15:05

『流れに棹させば流される(2006/10/19 Thu)』のコメント欄より


僕はさっそく次のような返信を書きました。




おおおおお~、じゅぁきさん。
そうですよ。呼びましたよ。
待ってましたよ。

確かに、この諺っぽいモノは知らない人が多いようですよね。
実際、GOOGLEで調べた時に、そのものズバリはなかったような気がしますよ。

“流れに棹させば流される”

これは出ていなかった。
上の説明の中で

“情に棹させば流される”

と書いてありますよね。

僕は、勘違いをして“情” を “流れ” として使っていたんだろうか?
そんな風に思ったほどです。

実際、僕自身はこれまでに

“流れに棹させば流される”

これをずいぶんと使っていましたよ。
大勢の意見に反対すると、寄ってたかってたたかれるから、
大勢の意見に従っていたほうが無難だ。

このような意味で使っていたんですよ。
勿論、僕自身は一人でも反対するようなタイプでしたからね、
大学時代に強制的にホームルームで
“民青(共産党系の学生連盟)”の役員がアジッたりし始めると、
僕は一人で教室から出て行ったりしたことが何度かありましたよ。


> 「掉さす」は本来、船を流れと同じ方向に進めるという意味。
> そうでなければ、夏目漱石の『草枕』の一節
> 「情に掉させば流される」の意味が通らなくなってしまいます。


今、この部分が気になっているんですよ。
草枕では、実際に、プラス志向で使われているのか?
このことを調べて記事に書きたいと思っていますよ。

とにかく、じゅぁきさん、コメントありがとう。
じゅぁきさんをテレパシーで呼んだつもりでしたが、
まさか本当にコメントを書いてくれるとは思っていませんでしたよ!(爆笑!)
じゃあね。

by バークレー(デンマン) ◆ barclay at 2006/10/20 22:45

『流れに棹させば流される(2006/10/19 Thu)』のコメント欄より


そういうわけで、

“情に掉させば流される”

を調べてみる気になったわけです。




『智に働けば角が立つ。

情に掉させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

とかくに人の世は住みにくい』

(「草枕」漱石)


草枕ではこのようなコンテクスト(context)で使われているんですよね。

つまり、どれも、何かしようとすると反発される、反感を持たれる、反対される、やりにくい。。。
このようなことを嘆いているわけですよね。
要するに、(日本の)世間というもののネガティブな面を取り出して漱石が嘆いているわけですよ。

現在の日本にだってこのような風潮がありますよね。
僕は2006年10月28日から1ヶ月間程日本に滞在しましたが、
出かける前に、この漱石の嘆きを感じて気が重くなったものですよ。

カナダのおおらかで自由な気風と比べると、
日本の社会を考える時、実際僕にとって漱石の嘆きは実感なんですよ。

ところで、漱石はロンドンで暮らしたことがある。
彼の気質にも原因があるのでしょうけれど、漱石はロンドンでノイローゼ状態になってしまったそうですよ。
漱石にとって日本は住みにくいと感じたのに、ロンドンではもっと住みにくいと感じたのでしょうね?
だから、ロンドンでは長くは暮らせなかった。



ロンドンでの暮らしは漱石にとって、よほど気が重かったのでしょうね。
それで、日本へ戻ってゆく。
でも、日本でも、やはり、うんざりしている漱石が居る!

僕は海外生活が人生の半分を越しています。
はっきり言って、カナダの方が日本よりも暮らしやすいんですよ。
日本では、とにかく物価が高い。
その点でも海外のほうが暮らしやすい。
ロンドンでも、僕は漱石のようにうんざりとはしなかったものです。

ふるさとが日本にあるから僕にとって日本は懐かしいのですが、
心情的には僕にとって日本はすでに外国になってしまっています。

とにかく僕にとって日本というところは暮らしにくいんですよ。
誤解しないで下さいね。
僕は日本が嫌いではありません。

僕が生まれ育った国ですから、僕は日本を愛しています。
しかし、ダメな政治家が下らない政治をしている現在の日本には半ば僕は愛想を尽かしています。

。。で、なぜに日本へ帰るのか?
愛する家族が居るからですよ。

しかし、最近の日本を見て心が痛むのは。。。
“家族殺し!”---これが、やたらに多い!
親が息子を殺す。
息子が親を殺す。
母親が幼児を虐待する!
母親が娘を殺して自分も死ぬ。
。。。
毎日のように、このような事件が報道される。

日本がどこか狂ってしまったのではないか?

このような印象を持つのは海外で暮らしている僕ばかりではない!
日本に暮らしている人でさえ、うんざりしている人がたくさん居る事を僕は知っていますよ!

どうしてこのようなことを書き始めてしまったのか。。。?
うへへへへ。。。。
(いや、失礼!)

漱石が悪いんですよ!うしししし。。。
上の漱石の文章が日本社会のネガティブな面を僕に見せ付けるのですよ!

しかし、このようにして考えてくれば、

“情に掉させば流される”

漱石が使ったこの語句も、僕が思い込んでいたように解釈した方がよっぽど自然だと思いますよ。
つまり、“情に掉さす”とは、素直に同情しないで“水臭いことを言う”ことなんですよね。

。。。するとどうなるか?

日本だったら、当然次のような言葉が聞かれるんですよ。

“そんな水臭いことを言うなよ!”

それで、漱石といえども、うんざりしながら、世間の情に押し流されてしまうわけですよ。
それを、漱石は“とかくに人の世は住みにくい”と感じたわけですよね。

あなたもそう思いませんか?

この方が、よっぽど漱石の心情を汲み取った解釈だと僕は信じていますよ。

では、あなたのコメントをお待ちしていますね。
うしししし。。。

それでは。。。




実は、ここまではすでに書いたことです。

■ 『情に掉させば流される (2006年10月24日)』

ここまでを読んで、コメントを書いてくれた人が居るのですよ!

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