愛と心の構造
私(江戸川乱歩)は、この第一回と第四回の入選作を一読したが、最近作の第四回のものに彼女(ドロシイ・ソールスベリ・デイヴィス)の特徴が最もよく出ているように感じた。
「クイーン雑誌」はその作の解説文に、探偵小説の着想の出発点となるものは、本のちょっとした見聞である場合が多いことを、実例をあげて示しているが、デイヴィス夫人のこの作も、その着想は夫の出演しているラジオのスタジオで得られたものだという。
夫人がラジオ劇の演出を見物していると、配役表の中にない40才余りの女が役者の間に混じっているので、変だなと思っていた。
すると、やがて台本の「赤ん坊」という箇所に来ると、その女がマイクロフォンに近づいて、いきなり泣き出した。それが赤ん坊の泣き声にそっくりであった。
どんなに本当らしかったかということは、母親役の女優が、つい引き入れられて、その40女の背中に手をまわして、なでさすったり、まるで本物の赤ん坊をあやすようにしながら、次の自分のセリフを云ったのでも分かる。
デイヴィス夫人は、その奇妙な光景を見て、この作(“Backward, Turn Backward” by Dorothy Salisbury Davis)を思いついたというのである。
この作では、19才の少女がクライマックスで大声を立てて泣くのだが、その時、人々は初めて彼女の泣き声を聞いてびっくりする。それは赤ん坊の泣き声とそっくりであった。そして、それがこの作全体のトリックとして使われているのである。
これは「優しき殺人者」とも相通ずる一種奇妙な味であり、ここにデイヴィス夫人の持味とも云うべきものが感じられる。
私はかつて、英米の古典短編を吟味する評論を書いた時、「奇妙な味」という一章を設け、その代表作として、ロバート・バーの「健忘症連盟」やヒュー・ウォルポールの「銀仮面」などを挙げたことがある(「幻影城」に収む)。
「奇妙な味」というのは実に下手なあいまいな形容で、結局実例によって悟ってもらうほかはないのだが、新人デイヴィス夫人の作風に、私はやはりこの「奇妙な味」の部類に属するものを感じたのである。
627-628ページ
江戸川乱歩全集 第30巻 「わが夢と真実」
光文社文庫 2005年6月20日 初版1刷発行
デンマンさん、今日は江戸川乱歩の事ですか?
いや。。。特に、江戸川乱歩にこだわって、推理小説、探偵小説について書くわけではないのですよう。
そう言えば、デンマンさんは推理小説や探偵小説があまり好きでない、と言ってましたよね。
レンゲさんは、よく覚えていますねぇ~?
よく覚えていますねって。。。次の記事を読みましたわ。
「軽井沢夫人」と
推理小説ブーム
(前略)
ここでちょっと寄り道をします。
松本清張さんが1958年に発表した推理小説『点と線』と『眼の壁』の2長編はベストセラーとなって、「清張ブーム」を巻き起こします。
どうして推理小説のことなど、とあなたはいぶかしく思うかもしれませんが、実は美和さんが初めて日活ロマンポルノに主演する事になる『軽井沢夫人』の原作は嵯峨島昭(さがしまあきら)の同名の推理小説を映像化したロマンポルノなのです。
この嵯峨島昭という一般の人にはあまり知られていない作家名は、実は、あの有名なポルノ作家・宇能鴻一郎の別名です。
そう言う訳で、清張さんと推理小説についてちょっとばかり書いてみます。
この「清張ブーム」によって推理小説が大衆に読まれるようになったのです。
推理小説が庶民の間でも親しまれるようになったというのは清張さんの功績だと思います。
また、清張さんは『昭和史発掘』『日本の黒い霧』などのノンフィクションで現実世界にも目を向け、多芸多才な作家活動をおこないました。
『小説帝銀事件』であつかった現実世界は、『日本の黒い霧』にまとめられ、「黒い霧」は流行語になったほどです。
『わるいやつら』、『砂の器』、『けものみち』、『天保図録』を発表後、1964年から「昭和史発掘」の連載を「週刊文春」に開始しました。
『古代史疑』で古代史にも目を向けたのです。
まさに多彩と言う印象を受けますよね。
1970年、『昭和史発掘』などの創作活動で第18回菊池寛賞を受賞しました。
清張さんは「自分は作家としてのスタートが遅かったので、残された時間の全てを作家活動に注ぎたい」と語り、広汎なテーマについて質の高い作品を多作したのです。
このように多作の作家のなかでコンスタントに質の高い作品を出し続けた例は極めて稀で、このため複数の助手作家を使った工房形式で作品を作っているのではないか、と平林たい子・女史は韓国の雑誌『思想界』で指摘したほどです。
これに対し清張さんは、『日本読者新聞』において反論しています。
僕自身は推理小説よりも清張さんのノンフィクションを好んで読みました。
推理小説は、考えすぎて書いているところが不自然で僕はあまり好かないのです。
宇能鴻一郎さんは大学院在学中の1961年(昭和36年)、『鯨神』で第46回芥川賞を受賞しました。
嵯峨島昭のペンネームは推理小説を書くために使ったものです。筆名の由来は、当初、覆面作家として登場したため「探しましょう」にシャレたものです。
芥川賞受賞後、しばらくは性的純文学を書いていたのですが、次第に独特の官能小説を量産するようになります。
ところで、嵯峨島昭の推理小説『軽井沢夫人』ですが、『点と線』と比較すると、あまりにも単調で浅い感じがしてしまうのですよね。
なぜ?
推理小説のタイトルのネーミングを見ても分かるように安直に名前をつけているのですよね。
作品を量産する時には、いちいちユニークな名前をつけるのが面倒になる。
そう言う訳で似たようなタイトルになってしまう。
ちなみに、清張さんは作品に名前をつける時、ずいぶんと考えた末に決めると言うことを僕はどこかで読んだことがあります。
嵯峨島さんの『軽井沢夫人』に至る推理小説のタイトルは
『札幌夫人』
『湘南夫人』
『軽井沢夫人』
この辺の名前のつけ方にも安直さが伺えます。
当然の事ですが、話の筋も同じようなのでは。。。?と読者の方も安直に無視してしまう。
『軽井沢夫人 (2008年7月7日)』より
デンマンさんは“推理小説ブーム”の頃でも、あまり推理小説を読まなかったのですか?
読みませんでした。
それなのにどうして江戸川乱歩の全集などを読む気になったのですか?
レンゲさんの影響ですよう。
あたしの。。。?
そうですよう。レンゲさんが次のように書いていたからですよう。
エログロと江戸川乱歩全集
2007-04-13 13:53
デンマンさん
わたしの言う「エロい」は、
やはり少々お下品だったかな?
この表現って、
わたしにとっては「ギャグ」に近いんですよ
わたしは関西人のなかでも特に?
ウケをねらう傾向が強すぎるものでして、
必要以上に自分をコミカルにデフォルメするという、わるーい癖があるんですよね
で、回答へとまいりますね。。。
江戸川乱歩全集に関してですが、
とにかく横尾氏のイラストが、
エロチックだったのです。
幼いころから、女性の肉体の美しさに
強烈に魅了されていたわたしは、
偉大な画家たちの描く裸婦や、
女性のヌード写真を見て
「わたしも早くこんな風にキレイになりたいなあ!」
と、成熟へのあこがれを強く感じていました。
乱歩の作品自体については、
「エログロナンセンス」の時代特有の、
妖しげな表現に魅せられました。
「人間椅子」での、愛する女性のソファに、
自ら入り込み、悦楽にひたる男の異常な愛などは、
「家畜人ヤプー」に通じるものがあり、
それはむしろ、純粋なものすら感じました。
そういえば…
乱歩の時代のことが知りたくて、
おばあちゃんに
(今は亡き愛するおばあちゃんです!)
「見世物小屋行ったことある?」
「衛生博覧会って、どんなんやった?」
などと、聞きまくっていたものです
「チャタレイ夫人の恋人」ですが…
ぶっちゃけエロい箇所の拾い読み、
というのが事実です!
だってねえ…あの小説の大半は、
ロレンスの思想の
展開だと思いませんか?
小学生のわたしに、そんなものを理解できるような
知性も理解力もなかったっす…
で、大人になってから読み返したのですが、
森の番人の野卑でありながらも、
深い洞察力に満ちた性格に、
恋愛感情にも似た気持ちを感じました。
おまけに、セックスは上手ですしね(キャー!)
女性が自らの性欲を恥じる必要など
ないということを、
わたしは少女時代に、
あの小説によって知ったのかもしれませんね。
フロイトも、ヒステリーの原因は、
性的欲求不満であると、言ってましたよね?
セックスとは、
愛を基盤とした自由なものであるべきだと、
わたしはずーっと信じてます!
by レンゲ
『おばさんパンツ (2007年10月6日)』より
僕は江戸川乱歩という作家は推理小説ばかり書いていると思っていたのですよう。
そうですわ。推理小説ばかり書いていたのですわ。
でも、レンゲさんの上の手記を読んだらば、“乱歩の作品自体については、「エログロナンセンス」の時代特有の、妖しげな表現に魅せられました”と書いてある。
この箇所を読んでデンマンさんは急に江戸川乱歩に興味を覚えるようになったのですか?
江戸川乱歩ではなくて、レンゲさんにですよう。
どう言う事ですか?
つまり、“エログロナンセンス特有の怪しげな表現”。。。その言葉に僕は興味を覚えたのですよう。要するに、そのような事にレンゲさんが惹かれるのであれば、レンゲさんをもっと理解するためにも、ぜひ江戸川乱歩を読んでみたいという興味が俄然(がぜん)頭をもたげたのですよう。
それで図書館に行って江戸川乱歩の作品を探したのですか?
特に江戸川乱歩の作品を探した訳ではないのですよう。
それなのに、どうして江戸川乱歩の作品を借りてきたのですか?
たまたまバンクーバーのダウンタウンに用事があって出かけたのですよう。まず、ロブソン・ストリートのノバスコシア銀行に行きました。
それから税務署などに寄って。。。せっかく天気のいい日に外へ出たので図書館まで足をのばしたのですよう。
中央図書館には日本語の本が1万冊ぐらいありますからね。最近は漫画が多くなったけれど。。。
それで、たまたま江戸川乱歩の本が目に付いたのですか?
そうなのですよう。文庫版で、一冊が3冊分ぐらいあるぶ厚いモノでした。これならば、“エログロナンセンス特有の怪しげな表現”に出会えるだろうと期待しながらマンションに戻ってきて、ワクワクしながら読み始めたのですよう。
それで、期待したとおりに、その表現に出くわしたのですか?
それが、パラパラとめくってみて、まず、がっかりしましたよう。乱歩が書いた、いわゆる推理小説、探偵小説の作品は一つも載ってないのですよう。
第30巻は自分史のようなものですよね。
そうなのですよう。やっぱりレンゲさんは詳しいですね。前半が乱歩の自分史で、後半が海外探偵小説の作家と作品の紹介なのですよう。
それで、デンマンさんはムカついて本を放り投げてしまったのですか?
いやいや。。。僕は、もともと推理小説、探偵小説は、あまり好きではなかった。むしろ乱歩の自分史だったら、面白く読めると思って、“エログロナンセンス特有の怪しげな表現”の事は諦めたけれど、本を投げ出さずに読み続けましたよう。
面白かったですか?
実に勉強になりましたよう。実際、僕はその本のエッセーを取り上げて記事も書きました。
■ 『江戸川乱歩の今一つの世界 (2008年8月31日)』
僕は乱歩全集の第30巻を読んでみて、江戸川乱歩という人物は、「奇妙な味」わいのある作家だと思ったものですよう。
具体的には、どういうところですか?
僕は、乱歩さんという作家はポルノ推理小説「軽井沢夫人」を書いた嵯峨島昭(宇能鴻一郎の別名)さんのように“エログロナンセンス特有の怪しげな表現”も書くのかな?そう思っていた。レンゲさんも、そのように書いていたから。。。
「軽井沢夫人」にもエログロナンセンスを思わせる表現が出てくるのですか?
出てくるのです。僕は、卑弥子さんと次のように語り合った事があるのですよう。読んでみてください。