月とすだれ
新盆で実家に
投稿日時: 2008/8/15 8:36 (ロンドン時間)
日本時間: 8月15日 午後4時36分
バンクーバー時間: 8月15日 午前0時36分
はい デンマンさん アツイよー
ここは タイ か バンコクか!
新盆で叔母さんが来るというので、実家にいったまま
結局 泊まってしまいました。
ん。。。?新盆?
聞いたことはあるけれど、意味が良く分からないなぁ~
“新しい盆”って、どういうこと?
辞書を引けば分かるよね。
調べてみますゥ。
雷の後 とても 気持ちの良い風が入ってきて、
そう 私が使っていた 2階の部屋はとても
風通しがいいのです。
何だか 帰るのが おっくうになり うたた寝 してしまい、
南の方で花火の音がしていたような、どこだろう?
朝方 下の台所で音が聞こえたけど だれもイナイ。
まだ 父と母が暮らしていて 私たちの為に おにぎりでも
作ってくれてる 錯覚をします。
うん、うん、うん。。。
実家は懐かしいでしょうね。
小さい頃の思い出が一杯詰まっているからね。。。
小百合さんは、優しかった“ばー(おばあさん)”の事も
思い出すのでしょう?
今夜から また 軽井沢にいきます。
明日は矢ケ崎公園の花火です。
時間をつくりCAFE にいってみるね。
そこから、できたら返信します。
では また。。。
小百合より
それにしても、佐野から館林、館林から佐野。。。
そして夜になってから軽井沢。。。
行動派の小百合さんらしいですよう。
その行動力には感心させられますう!
花火を見て
楽しんだあとで
翌朝は“森林浴@軽井沢”を楽しんでねぇ~。
そして時間があったら、ネットカフェで返信を書いてね。
楽しみにしていますよう。
では、今日も一日
暑さにめげずに
元気よくネットサーフィンしましょうね!
投稿日時: 2008/08/15 09:53 (ロンドン時間)
日本時間: 8月15日 午後5時53分
バンクーバー時間: 8月15日 午前1時53分
『美しい村』スレッドより
ロンドンの 『ビーバーランド e-XOOPS』
『さまざまな愛 (2008年8月20日)』より
デンマンさん。。。今日は『月とすだれ』でござ~♪~ますけれど、どうして小百合さんのメールを持ち出してきたのですか?
おとといは卑弥子さんと『女性とよしず』のことで語り合ったのですよう。
■ 『女性とよしず (2008年9月19日)』
そうでしたわ。デンマンさんが定説とは全く違う解釈をなさったのですわよね?
僕の解釈を読んでみて、卑弥子さんも少しは読み方を改めてみようと思いましたか?
確かに、興味深い解釈だとは思いますわ。でも、和歌そのものの内容からは著しく離れているような気がするのでござ~♪~ますわ。
君待つと
わが恋ひをれば
わが屋戸(やど)の
簾(すだれ)動かし
秋の風吹く
額田王
万葉集 巻第四・488
久しぶりに愛しいあなたにお会いして、
あの不吉な“申”を背負って出てきた亀のお話を
お聞かせしようとしているのに、
あなたは聞く耳を持たずに
大防衛網を構築なさっている。
でも、巷(ちまた)には怨嗟(えんさ)が
満ちているのです。
あなたにとって怨嗟の声は
簾を動かしながら、
私の宿を吹き抜けて行く
秋風のようなものなのでしょうね。
【デンマンによる現代語訳】
風をだに
恋ふるは羨(とも)し
風をだに
来(こ)むとし待たば
何か嘆かむ
鏡王女
万葉集 巻第四・489
その通りですわよう。
愛しい人を思うあなたの気持ちは良く分かります。
でも、あの方は、巷の怨嗟を聞く耳を
持たないようです。
巷の怨嗟は簾を動かす秋風のようにむなしく
吹き抜けてゆくばかりです。
でも、やがて怨嗟の声が無い
世の中が来ると思えば、
それ程嘆く事もありませんわよう。
【デンマンによる現代語訳】
『女性とよしず (2008年9月19日)』より
僕の解釈が和歌の内容とそれ程かけ離れているとは思いませんよう。。。
そうでしょうか?あたくしは、かなりかけ離れていると思うのでござ~♪~ますわ。
和歌は、もともと五・七・五・七・七のわずか31文字の歌ですよう。だから、歌の詠まれた背景を考えないと、いく通りにも解釈する事ができる。
つまり、読み手によって解釈が定まらないとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?
そうですよう。だから、歌の真意をつかむには、詠み手が詠んだ背景を考えなければ、的確な解釈ができないと僕は信じていますよう。
それで、時代的な、政治的な背景も考えなければならないとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?
そうですよう。僕だけではありません。かつて司馬遼太郎さんは次のように言ったことがありました。
和歌の場合には特にそうだと思いますね。とにかく31文字ですからね。詠み手が何を言いたかったのか?それを突き詰めてゆけば、当然の事ながら、詠み手が詠んだ時代的背景を考えなければならないはずですよう。卑弥子さんも、そう思いませんか?
分かりましたわ。。。んで、先ほどの質問ですけれど、どうして小百合さんのメールが出て来るのでござ~♪~ますか?
実は、万葉集にスダレが出て来る歌が他にもあるだろうか?そう思って調べたのですよう。
あったのですか?
ありましたよう。月とスダレが出て来るのですよう。
それで、『月とすだれ』と言うタイトルにしたのでござ~♪~ますか?
そうです。
でも、上の小百合さんのメールには月も簾も出ていませんわ。
月が出てくるでしょう?
出ていませんわ。
出ていますよう。次の画像を見てくださいよう。
でも、これはメールの内容とは直接関係無いでしょう?
実はねぇ、『月とすだれ』と言うタイトルに決めた時に、小百合さんが月とスダレについて書いているメールがないだろうか?そう思って探したのですよう。でも、僕がタイトルからすぐに思い浮かんだのは上の画像だったのですよう。なんとなく詩情を感じさせる画像でしょう?
そうでござ~♪~ましょうか?
僕には気に入った画像なのですよう。。。それで、この画像のファイルネーム(river20.jpg)で検索したら、小百合さんのメールが載っている次の記事が引っかかったと言う訳ですよう。
■ 『さまざまな愛 (2008年8月20日)』
それで無条件に小百合さんのメールを引っ張り出してきたのでござ~♪~ますか?
うしししし。。。そうなのですよう。。。あれっ。。。卑弥子さんは、納得のゆかないような表情を浮かべていますねぇ~?
だってぇ~、関係ないようなメールを持ち出してくれば、読む人は、当然、どうしてこのメールなの?。。。あたくしのように、そう不思議に思うものでござ~♪~ますわ?
しかし、卑弥子さんが不機嫌になるほど関係ないわけでもないのですよう。かな~り関係がある。画像は、もちろん月が出ているから問題ないですよね。小百合さんのメールだって、読むと、ほのぼのとした詩情を感じる。僕は、小百合さんのメールを読みながら、懐かしい夏の風物がイメージとして思い浮かんできたのですよう。
それで、写真をベタベタと貼り付けたのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。いけませんか。。。? それに、風物を詠んだ和歌を読む時のようなイメージが浮かんできて、上の小百合さんのメールの読後感が『月とすだれ』にふさわしいと思ったわけなのですよう。
つまり、これからデンマンさんが紹介なさる万葉集の中の歌が、なんとなく小百合さんのメールのイメージと似ているとおっしゃるのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
分かりましたわ。前置きは、これぐらいで結構でござ~♪~ますから、さっそくその和歌をお見せくださいませ。
じゃあ、卑弥子さんも、じっくりと読んでみてくださいね。
玉垂(たまだれ)の
小簾(をす)の間(ま)通し
ひとり居て
見る験(しるし)なき
夕月夜かも
詠み人知らず
万葉集 巻第七・1073
この和歌が小百合さんのメールと似ているとおっしゃるのですか?
直感的に雰囲気が似ていると思ったのですよう。どことなく詩情があって。。。なんとなくロマンチックで。。。この歌から受けるイメージが、それとなく次の月が出ている画像とも似ているような。。。
どうですか?。。。卑弥子さんも、そう感じませんか?
あたくしは、全くそのような気がしませんわ。
うん、うん、うん。。。見解の相違と言うよりも、感性の相違でしょうねぇ~。
。。。んで、デンマンさんは、どのように解釈したのでござ~♪~ますか?
だから、直感的に、歌の雰囲気を感じとると、僕は月が出ている上の画像が思い浮かべたのですよう。
なぜですの。。。?
なぜってぇ。。。僕は、まず直感的に次のように解釈したのですよう。