豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

石仏と豊田市の名木(豊田市)

2009-08-27 05:27:56 | 散歩
石仏と豊田市の名木(豊田市)
所在地  豊田市志賀町荒田地内市道沿い
詳しい 所在地はここをクリックして下さい。

豊田市の名木の説明板です。


榎の大木に覆いかぶさるように藤が絡みつき、花の時季にはさぞ見ごたえが、
あるだろうなと想像されます。
しかしながら、榎にとっては鬱陶しくさぞ迷惑なことだろう。
今後は、両者を両立させる管理が難しい事だろうと思いました。






この榎の下に石仏はありました。


藤巻の石仏とエノキ(由来)です。


次のように書かれています。

藤巻の石仏と(エノキ)
保元年間(1156年~1158年)に、南朝の落武者加茂(源)太郎義定が、楠木古墳(現未来寺付近)の穴に閉じこもっていました。その当時,荒田の八頭塚(8人武士を石の自然造形の仏像に見立てて霊を祀った。)の側に「エノキ」が植えられ、その木に藤が巻きつき今も道すがらを飾り続けています。
石仏の御利益は、「おこり(高熱がでる風土病)」をなおすと伝えられ、人に見られぬように銭1文を仏の前に落とし、人に会わぬように帰れば、病を根治できると言われています。



白山神社(豊田市)

2009-08-24 04:55:00 | 散歩
白山神社
所在地  豊田市梶屋地内
詳しい 所在地は下の地図でご確認ください。


この地図は豊田市のHP「わが街ガイド地図情報サービス」から拝借しました。
ありがとう。

白山神社の鳥居です。


舞台です。不思議なことに、鳥居の掲額には「白山神社」とあるのに、
舞台の右に建っている石票には「白山姫神社」とあります。


舞台の真後ろにある石造りの建物です。これが本殿なのでしょうか?


本殿?の左にあった「小社」です。


岡崎花火発祥地(豊田市)

2009-08-21 07:22:01 | 散歩
岡崎花火発祥地
所在地  豊田市岩倉西自治区内

平成21年2月19日自転車で彼方此方ぶらぶらしている時、偶然この看板に出会った。
山の斜面を切り開いて平らにした所にあった。







文面は次のようなものです。

花火は、祭りや祝い、花火大会などの催しに、盛んに披露され最大
の祝宴であります。
時代は変わっても、心に響く音とともに彩りあざやかに開く花火は、
卓越した開発力と匠の技で、見る人々に心にやすらぎと感動を与えてくれます。
ここ岩倉は、昔花火づくりが行われ、毎年秋の志賀神社の大祭には、筒場から
奉納花火の競演が行われていました。

岩倉西の花火の流儀は「稲富流」で、筒場へ運ぶ白い「祝玉箱」もあり
ました。この地に工場があって、当時(明治三十五年頃)は金魚花火や
打ち上げ玉、特に三寸、五寸、尺玉などに秘術をつくして作っていました。
大正時代に奉納花火大会で事故が起きて、花火の奉納は一時途絶えました。
心と技を受け継ぐ人々はその後も花火作りを継続しました。
昭和初期には岡崎市百々町に工場を移し、現在の磯谷煙火(店)に発展しました。
元祖は磯谷仙二郎(岩倉・倉平居住)で、二代目こう三郎・釘作兄弟(大正十三年
初の三尺玉披露)三代目行雄、四代目尚孝と受け継がれました。仙二郎の後継者
たちは花火師として活躍し、現在は名前も全国に知れ渡っています。

  平成二十年十月吉日  (豊田市資料館承認)
      岩倉西自治区わくわく事業績の会

鞍ヶ池アートサロン(豊田市)

2009-08-11 07:19:49 | 散歩
鞍ヶ池アートサロン(豊田市)
所在地  豊田市池田町南250
鞍ヶ池アートサロンは鞍ヶ池公園内の一角にあり、土日は家族連れで賑う所です。
詳しい 説明はここをクリックして下さい。

鞍ヶ池アートサロンへのエントランスです。奥の建物が鞍ヶ池アートサロンです。


鞍ヶ池アートサロンです。








現在鞍ヶ池アートサロンでは、こんな催しをしています。


会場には 林 武  和田英作  パブロ・ピカソ  牛島憲之など計23点の作品が
展示されていました。



豊田市の名木No.158号

2009-08-04 04:24:48 | 散歩
豊田市の名木No.158号
所在地  この樹は顕正寺の境内にありました。


ところが、写真のような「名木指定 第158号」と書かれた立て看板があるにかかわらず、
周囲を見回しても、それらしい大木は見当たらない。
よくよく見ると雑草に覆われた中にそれらしい伐根を見つけました。




残念なことにこの樹は既に枯れて、今は伐根を残すのみ。
豊田市は早急に各名木を調査されて最新のパンフを発行して下さるよう希望します。