豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

延命寺に参詣(豊田市)

2011-05-29 07:06:46 | 散歩

延命寺に参詣

所在地 愛知県豊田市四郷町六反田

地図をご覧ください。

愛環四郷駅付近からの延命寺が。見えます。

延命寺の入り口です。

延命寺です。

延命寺の由来です。

ここには次のように書かれています。
 井郷の史跡。名所  延命寺   [四郷町六反田]
 延命寺は十王山延命寺と称し宗派は曹洞宗、ご本尊は地蔵尊様
である。寛永7年(1630)浦野構造、浦野十三両氏の寄進により
建立され、当寺は十王堂と称され、浦野家一族の礼拝堂として維持
管理されていた。昭和15年4月1日愛知県知事宛の宗教結社届けにより、
十王山延命寺と改称され現在に至っている。当地に伝わるかんえん年
(1751)に作成された村絵図にも現在地に十王堂と記載がある。
現在主な行事として、毎年2月4日大般若転讀法会、8月4日大施餓鬼法会
が行われている。

延命寺に入ってすぐ右手には地蔵堂がありました。

この写真の中央部にある表札には「お賽銭をあげないでください。泥棒が
持っていってしまいますから・・・」旨の注意書きがありました。

延命寺と弘法さんの解説がしてありました。

ここには次のように書かれています。

井郷の史跡・名所  延命寺と弘法さん  [四郷町森前]

 明治末期、お鍬山全体に八十八の祠を造り、弘法さんの石仏を安置した。
麓には本堂も造られ親弘法の像を祀った。祭りの日には、境内で甘酒が
ふるままわれたり、子供相撲や芝居が行われ、近郷近在の人達で賑わった。
昭和38年に土地所有者が外部の人に代わった為、下古屋の弘法さんは、
延命寺の当寺の住職仙定尼和尚のご好意により、境内の一部に
御堂を建立し祀られた。その後建物の老朽化が進んだ処、当所の
梅村針次(故人)のご寄進により、現在の御堂が新築奉納され、
毎年大師様のご縁日の旧暦3月21日に祭りが行われている。
  [21年度わくわく事業]  下古屋自治区 井郷まちづくりの会

 

 

 

 


田町の地蔵堂(豊田市)

2011-05-19 09:22:16 | 散歩

田町の地蔵堂

所在地 愛知県豊田市

地蔵堂です。

地蔵堂自体はこじんまりしたものでしたが、
傍らに立てられた看板には沢山の説明が書かれていました。

ここには次のように書かれています。
 田町地蔵堂
当堂の本尊、地蔵菩薩は、昔、寺部の村里の南端に安置されていたが、
水害のために土砂に埋まってしまった。ところが一夜のうちに元の
蓮華台の上に安座しておられた。これを見聞した人々は、霊験あらたかな
御尊体であることを知り。御堂を建立し、本尊仏として奉納安置した。
時に、文化年間(1804~18)のことである。依頼、縁日の7月23日には、
町民挙げて祭礼法要を勅修して今日に至っている。
堂内の地蔵尊の厨子は、寺部領主渡辺家の家老格の重臣であった松本氏
の寄進による。その謂われは、松本又右エ門の夫人の乳が不足したときに
この地蔵尊にお願いしたところ霊験あらたかであったので、そのお礼として
寄進されたと伝えられている。
"地蔵"とは、大地の蔵(胎)であり、物を産み育てるという意味で、当堂の
地蔵尊は、特に産婦の乳房を守護し給う地蔵尊として人々に帰敬礼拝されている。

    平成6年(1994)3月 渡辺守鋼公顕彰会

 

 


神明社と豊田市の名木No.176号(豊田市)

2011-05-13 09:20:56 | 散歩

神明社と豊田市の名木No.176号

所在地 愛知県豊田市城見町

神明社の鳥居です。

舞台でしょうか?この建物の後ろに本殿がありました。

本殿へ

豊田市の名木No.176です。

樹種 ヒノキ  樹高 25m  幹周り 3.8m    根周り 7m

豊田市の名木を見るには、下記アドレスをご覧ください。

 http://www.hm6.aitai.ne.jp/~t-amano/

 


明勝寺に参詣

2011-05-09 14:37:59 | 散歩

明勝寺に参詣(豊田市)

所在地 愛知県豊田市上野町1丁目9 ■TEL: 0565-88-1972

地図をご覧ください

山門です。

本堂です。

鐘楼です。

こんな立て看板がありました。

ここには次のように書かれています。

 明勝寺と雨乞いの龍
草創は明応二年(1493)現在地より約300m西方の寺部領
法沈下に、梅坪の安長寺開基正蓮坊円信が法沈山明勝寺と号して
開基した。正蓮坊は俗名を杉浦安長といい.加賀国(石川県)大杉谷
の領主であったが、戦乱に敗れて本願寺八大蓮如の弟子となり、
蓮如に隋従して当地に入った。
 江戸時代の初め六世法珍の時代に、度重なる水害の為堤防の改修の
用地として寺院敷地を提供したことや寺部領主との不和もあって

大嶋領であった現在地の上野山村の不動堂の地に移り、安長寺の二男
祐順を当寺の七世としたので、易地中興となった。
 本堂正面の欄間には、体は一つ、頭が二つの雌雄の龍の彫り物がある。
作者は、牛久保(現豊川市牛久保)の五左衛門と伝えられている。
二匹は向かい合っていて「一躯双頭の龍」と呼ばれている。
この龍は別名「雨乞いの龍」とも言われている。日照り続きの夏に
困窮した農民たちが、この彫り物を水で洗って雨乞いをしたところ、
救われたと伝えられ、これに類する伝承はいくつか残されている。

 


道満さんの祠(豊田市)

2011-05-01 10:44:52 | 散歩

道満さんの祠

所在地 愛知県豊田市高四郷町下古屋

地図をご覧ください


ここには次のように書かれています。

井郷の史跡・名所
 道満産の祠

 戦国時代のこと、梅坪の城主、三宅右衛門高信に、大学という息子がいた。
彼は自ら三宅道満と名乗り、花本に住んでいた。そのうち、人を傷つけたり
殺したりしたためついに捕らえられて斬首の刑に処せられた。
住民は今まで苦しめられてきたにもかかわらず、彼を哀れんで、その首は、
花もとの墓地に、胴体は下古屋の現在地に祠を作って葬った、と言い伝えがある。
現在下古屋区民により、春秋2回供養祭が行われている。

    (21年度わくわく事業) 下古屋自治区 井郷まちづくりの会