豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

千鳥町の散策

2007-05-03 07:47:41 | Weblog
千鳥町の散策
国道153号線を足助方面に向かい、旧名鉄西中金駅前付近の信号(南山カントリーの石碑がある)を右折して、坂道を上って行くと千鳥町に達する。
この日は大変に暖かく、浅黄色の若葉も陽に映えて美しく、静かな林を抜けていくのは爽快だ。
白山神社です。 




千鳥町の風景です。






こんな花が土手に咲いていました。名前は?教えて


千鳥町区民会館です。


千鳥寺です。Tel 0565-41-2770 愛知県豊田市千鳥町梨ノ木163






千鳥寺のすぐ横には南山やすらぎ霊園への入口となっていました




名称 南山やすらぎ霊園
所在地 愛知県豊田市千鳥町梨ノ木258
経営主体 宗教法人 千鳥寺
宗教宗派 宗旨不問
墓地形態 公園墓地
周辺環境 墓地周辺は東海自然保護区に指定されており、四季の移り変わりと共に様々な景色を楽しめます。 管理事務所は車椅子の方でも安心して利用出来るバリアフリー。苑内の各個所に季節を彩る花や緑があります。
(HPより引用しました。、詳しくはhttp://www.ohnoya.co.jp/cemetery/search/detail.php?nShn_idd=0000000123をどうぞご覧下さい。)


灰宝神社(越戸町)

2007-03-16 11:06:41 | Weblog

灰宝神社(愛知県豊田市越戸町)
灰宝神社と天満宮は並ぶようにして建っている。




灰宝神社 
灰宝神社は全越戸の守護神でその創建は約1300年前の慶雲3年といわれる歴史ある神社です。今から1000年余り前善政の模範といわれた醍醐天皇の時代(901~922)の延喜5年(905)に天皇の勅命で藤原時平他2名によって法律書が作成されました。その本の中に国として祭る神社を登録し全国で2861社が式内社として定められました。豊田市内では八社ある。このうちの一社が地元の灰宝神社です。灰宝神社の祭神は波邇夜須毘売神(はにやすひめのかみ)です。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)が大八島つまり日本の国土を生んだ後、風雨草木山野五穀火の神等々の神を生み国土経営の基礎が進んだ後に生まれた神様です。またの名を埴安姫尊ともいわれ波邇夜須は埴粘(はにやす)のことであり、粘土であり大地でもある粘土をこね形を造り焼いて土器を作った陶芸の神様です。其の昔良質の粘土を求めて越戸港より陶工達がどんどん上陸し越人となりこの地方の開拓にあたった事の関連は興味深いものがあります。このように歴史と由緒の神社が私達の地域にあることは誇りでもあり、伝統ある神社の大祭を大切にしていきたいろ切望するものです。氏子総代
(立て看板による)

灰宝神社の社叢林は豊田市の名木に指定されています。 




身玉山大定院

2007-02-22 07:41:17 | Weblog
身玉山大定院
Tel 0565-45-1831 愛知県豊田市御船町申原96-1
杜若高校のすぐ北側にあり、大層,やけに朱色の目立った、新しい建物で、周辺の環境に全く溶け込んでいない異様な?印象をもってしまった。
人影もなく、説明板も無く、どういう性格のものなのか理解できなかった。

身玉山大定院山門です。


身玉山大定院の本堂です。




身玉山大定院の弘法堂です。


身玉山大定院の鐘楼です。


身玉山大定院の鐘楼と馬です。


緑化センター内(昭和の小径を歩く)

2007-01-30 05:40:33 | Weblog
昭和の小径を歩く
豊田市街からR419号を小原方面に向かいグリーンロード「藤岡IC]「愛知県緑化センター」の案内板に従い右に折れる。「昭和の小道」はこの「緑化センター」の中にある。僕の場合、足助に向かう道路153号で、「大釜」から工業団地を抜けて、左折し「緑化センター」と「昭和の森」の境界線、桑原幹根元知事の書かれた石碑の前に出て其処から「昭和の小径」を歩きました。此処は「平成の小径」の入り口にもなっています。本来此処は入り口ではなく終点なのです。本当の入り口は、本館横にあるのです。



入り口には「昭和の小径」の表示板があり、其の左には「平成の小径」もあって、其処に備えられた椅子に老夫婦が腰掛けて居られた。どちらに行こうかと迷ったが取りあえず「昭和の小径」を歩む。
「昭和の小径」案内図


歩き始めてすぐ急な階段がある。
写真ではあまり急勾配に見えないがかなり急だ。


樹々の囁き聞こえるよう
樹々につつまれて
多くは裸寒寒と寂しそう
アベマキ、コナラ、カエデなど
よくよく見ればもう準備してる
小さな芽たち
ひっそりと動き出しそう



敷き詰められた落ち葉の上を
心和ませる音を聞きながら



花は、花はと探せども、見つからず。ただ、ソヨゴの赤い実とアセビの花を見付けただけ。アセビもまだまだ、始めの一歩でした。 




何故にこの小径を「昭和の小径」と呼ぶのだろう。解からん。すると途中、次の二つの看板を目にした。この存在が「昭和の小径」の根拠なのだと理解した。








瑞雲寺

2007-01-05 05:16:30 | Weblog
瑞雲寺
  (愛知県豊田市西中山町榎前9)
小原、瑞浪方面に向かう419号線の八柱神社の鳥居を右に見てから最初の信号を
右折すれば、グリーンロード「中山IC」入り口、「愛知県緑化センター」に行ける。
此処を過ぎ、左に郵便局を見る。左折すれば、瑞雲寺だ。










足助八幡宮

2006-12-10 05:18:56 | Weblog
足助八幡宮へ

足助八幡宮は国道沿いにあって、大変分かりがいい。
この真向かいに、香嵐渓の入り口がある。
秋の紅葉、春の桜、カタクリの花などを求めて大勢の観光客でにぎ合うところだ。
反面、国道は多くの車のために、渋滞し観光と関係のない普通の人々は大層迷惑しているそうだ。


 
足助八幡宮の大杉 


足助八幡宮 
天武天皇の白鳳二年(1673)創建と伝える古い神社で神宮寺のあった名残の鐘楼もあり多くの文化財を保存している。
八幡神社本殿 国指定重文 明治40年5月27日) 
文化元年(1466)11月の再建で桧皮葺三間社流造りである。
妻飾・象鼻手挟等室町時代の特色をよく示しており、特に向拝の蝦紅梁の手法は
すこぶる奇異で珍しいといわれている。
地方では規模も大きく、稀に見る神社である。
扁額 鉄砲的打図板額 県指定 昭和32.9.6 
慶長17年(1612)三河国岩神村(足助町内)の澤田四郎衛門尉が
奉納したものである。八幡宮の社前で、日の丸の扇を的にして老翁が射撃する図が
大和絵の手法で描かれている。鉄砲を描いた古絵馬(扁額)は全国でも他に三枚しか
現存していないめずらしいものである。
   足助町文化財保護委員会


平戸橋公園(前回の続き)

2006-11-23 08:02:50 | Weblog
平戸橋(公園前回の続き)
第2民芸館からちょっと行った所に井上家西洋館が建っている。



西洋館の一室 



この建物は、現在地に移築される前は市内の井上町井上家の所有であり、
当初は明治時代に開かれた博覧会の迎賓館として竣工しました。
その後名古屋のある角地に移築され銀行として利用された後、
昭和の初めに当地における井上家の初代徳三郎により現在の井上町に移築されました。
保護目的
現在豊田市においては明治時代に遡る洋風建築が残っておらず、従って井上家の西洋館は、豊田市において明治時代の洋風建築様式を伝える唯一の遺構として極めて貴重であり、当西洋館を現在地に移築し、保存を図りました。(豊田市教育委員会)

西洋館の南、広場に設置されている陶製の塑像です。



西洋館の東側、本多記念館の南には窯が設置されており、
陶芸講座などの作品が焼かれます。



この窯場の傍らに「兼近一号窯について」の説明板があったことから考えると、この窯は兼近一号窯を復元したものかと想像したが定かではない。

その説明板に、次のように書いてあった。  

 兼近一号窯は豊田市高崎町に所在した古窯で昭和55年3月豊田市卸売市場の建設に伴い事前調査がなされました。古窯の年代は出土遺物から平安時代中頃と推定されます。
規模は、長さ約6m、幅は1m~1.3m前後で丘陵の斜面を利用し、窯体半ばは地下に、半ばは地上に露出した半地下式の古窯で、穴窯(あながま)と呼ばれています。
出土遺物は皿、椀などが多く発見され、それらの焼成に使用した三叉トチが多量に出土
しました。また円面硯(えんめんけん)と呼ばれる当時の硯が出土しています。
兼近一号窯は猿投山から西南に延びる丘陵一帯に大量に築窯され日本の古代窯業の一つ
の時代を画した「猿投窯」の一つであります。(豊田市教育委員会)


本多記念館 



第1民芸館 



好天に恵まれ、色付き始めたモミジが見られ、そして何より、人間国宝の作家たちの
力作に接することができ、幸せな気分になれる一時を過ごすことができた。
尚、今回は第1,2民芸館への入場には、300円を必要とされるが、
普段は無料で見学できる催し物もあるので、是非一度は平戸橋公園を訪れて
見られることをお勧めします。
  

21日の平戸橋公園

2006-11-21 13:59:33 | Weblog
平戸橋公園
日和もよく、ぼちぼち紅葉しているかと平戸橋公園に行った。
桜の葉はすっかり落ち、秋の気配も濃厚でモミジは色付いていた。





この近辺の矢作川は以前勘八峡と呼ばれて小学生たちが遠足でよく訪れていた所と聞いている



この碑の横の立て看板には次のような説明がある。

平戸橋公園植樹記念紀
景勝地勘八峡は往時からさくら、もみじの名所として昭和2年には新愛知十名所に選定され、太平洋戦争後は行楽の地として、沢山の人々に愛されてきました。平戸橋公園の整備が進む中、さくら、もみじ、うめをジュニアクラブ卒業記念、まちづくり推進協議会の受賞記念、自治区の各種団体の活動記念に植樹、補植を続けました。二十年紀と友に、更に植樹を進め広げ、沢山の人々に愛される平戸橋公園、美しいまちづくりを進めます。
平成12年3月
平戸橋公園を愛する会
  平戸橋一区ジュニアクラブ
  平戸橋一区まちづくり推進協議会 
  平戸橋一区各種団体

モミジと矢作川と越戸発電所





紅葉の中でマレットゴルフを楽しむ人がいた。





この平戸橋公園内には四つの施設がある。
本多記念館(陶磁資料館)、民芸館が三棟の四施設で、本多記念館の中には実習室もあって、陶芸、染色などの実習を体験できる。

第3民芸館と土蔵



第3民芸館の内部



この日は「御船之舎」工房(豊田市御舟町山屋敷)の角岡秀行氏の「四季を彩る焼き物
 角岡秀行 陶」が催されていた。



次に第2民芸館を訪れた。



第1、第2民芸館では、10月17日から12月17日までの会期で第16回特別展「民芸が育んだ人間国宝展」が催されている。
出品されているのは、富本憲吉、浜田庄司、芹澤けい介、安倍栄四郎、黒田辰秋、金城次郎、島岡達三、宮平初子、平良敏子の皆さんでした。

第2民芸館の前には「勘桜亭」があり、抹茶を味わうことができる。
又、桜の時季には茶喫しながら、清流矢作川の流れを背景に桜を眺める風情は最高だ。



以下次回

猿投温泉から海上の森へ(2)

2006-10-23 09:45:18 | Weblog
猿投温泉から海上の森へ(2)

猿投温泉金泉閣の前を抜け、急坂の階段を難儀して、鈴ヶ滝湖に達した。
ここからは、平坦な細い山道になったが、それでも上っていることには違いない。
しばらく行くと、車も通行可能な林道にぶつかり、右に行けば猿投山山頂へ、
左へ道を取れば瀬戸方面だ。
左に取る。
すると、二人の中学生と思われる二人に出会った。
二人は腰を下して自転車を前に作業中だ。
「こんにちは」と、大きな声で、元気に挨拶をしてきた。
「こんにちは、何してるの、パンクしたのかね、」
「自転車のチューブを履き替えているんです。これから、山道になるので、
それようの物に代えているんです。」
「えっ、代えるの。前も後ろも?後ろを代えるの大変でしょう。」
などと、話が弾んだ。
聞けば、三好から来たとのことで、自転車が大好きで、こうやってよく
サイクリングに出るそうで、同好の士「5人でチームを作っている」
今日は生憎3人がテストのため2人で来たとのこと。

杉木立の細い林道を快調に下っていくと、車止めのステンレス製の杭が設置されていた。
後で聞いたところによれば、オフロードのバイクが入って走り回って、道路を荒らし、
危険でもあるので、木製の杭を打って進入できないようにしておいたところが、
之をわざわざ引き抜いてしまったとのことだ。
それで、今回は新たにステンレス製の物にしたのだという。
全くひどい話だ。
なるほど、下る途中、バイクを積んだ軽トラに三台ほど行き会った。
これらのバイクが柵止めを突破して道を荒らすのだと了解した。

杉林を抜けると畑が広がり家並がある。一山越えてきたのだから、
てっきり豊田市から瀬戸市に入ったのかと思ったが、そうではなく、
ここも豊田市だという。
豊田市広幡町だ。

さて、どの方向が海上の森か見当がつかぬ。
農作業中の人に聞く。

途中右手にこんもりとした森が見えた。鎮守の森らしい。
きっと大木があるに相違ない。

豊田市の名木 No.129 シイ、シラカシの森
    


広幡町 八幡宮の鳥居



八幡宮への階段



八幡宮



又、道を尋ねるべく人を探したが、なかなか見えない。やはり地図を持って来るべきであったかと
後悔した。しばらくはゆっくりと自転車を進めた。
家の造作をしている人を見かけたので、わざわざそこまで行って、道を尋ねる。
どうも来過ぎてしまったらしい。戻って、愛工大の建物を目安に進める。
「椀貸池」の表示板に気づいてちょっと寄ることとした。


椀貸池とその高台にある胸形神社






愛知工業大学正門



入り口横の信号を右手にとって進む。
立派な道路だ。散歩中のの人と話す。
瀬戸市に在住の方で、愛知県陶磁資料館、愛知万博記念公園を経てここまで来たという。
かなりの距離を歩いて見えてびっくりした。
その人の言われるのによれば、この付近一帯は愛知万博瀬戸会場の跡地だそうだ。
なるほど言われてみれば道路もいいし、あちこちが、平らに切り開かれて、、木々もなく
ススキと雑草の生い茂る空き地となっている。そして、建造物のメインであったであろう
巨大なパラボラアンテナ状のものが残されている。
又、斜面に何やら描かれた看板状の物が寂しく残っている。





愛知海上の森センターに到着





配布されているパンフより
2005年「自然と叡智」をテーマに愛知県で開催されました
日本国際博覧会(愛知万博)。
多くの人々の自然への関心を呼び起こすきっかけとなりました。
「あいち海上の森センター」は「愛知万博」の理念や成果を継承するために
「愛知万博」のパビリオンであった「瀬戸愛知県館」を
改修した施設で・・・・以下略


猿投七滝巡り(2)

2006-06-22 07:15:04 | Weblog
白菊の滝と千鳥の滝

乙女滝からわずか上流で、この二つ滝を見ることが出来る。
此処で、歩道を下って見えた男性に会い、色々と話を聞くことが出来た。
彼は、尾張小牧の人で、「下にバイクがあったでしょう。あれで来たんです。
猿投山は私の散歩コースなんです。ちょくちょく来ています。」などと話してくれた。
そして、自分なりの解釈だがと断った上で滝の名前について説明をしてくれ、
大変面白かった。

白菊の滝



滝の落花地点に大きな岩があり、そこに落下する水流がぶつかって、
飛び散る水の姿が、白菊を連想させる。


千鳥の滝



この滝は千鳥状に線を描いて落下している。
そして写真の上部橋の下と落下部が、千鳥の嘴と尾羽を連想させる。
故に千鳥の滝だ。

それにしても、この二枚の写真は酷い。
暗くて、よく見えない。
デジカメで、オートで撮影したが、こういう場所での撮影はどのようにしたら、
最も良い状態で撮影できるのか、どなたかのご教授をお願いします。