豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

不動明王(豊田市)

2008-05-30 20:33:51 | 散歩
不動明王
  所在地 豊田市萩野
 
道路横にこの看板がありましたが、詳細を読み取ることができません。
おおよそ、次のように書いてあります。
「萩野の人たちは死後この滝の奥で火葬され、その霊を慰めるためにこの不動明王を建てた。」


それで、旗に導かれて、下に降りて行きました。鬱蒼とした樹木に覆われて
昼なお暗く陰鬱な雰囲気の所でした。


社殿の裏手横には小さな滝がありました。


宗源寺へエビネを見に行きました。

2008-05-17 05:13:01 | 散歩
宗源寺のエビネを見に
所在地 宗源寺 Tel 0565-67-2336 愛知県豊田市上八木町寺洞25
 
新聞の記事に引かれて急遽出掛けた。20.5.15のことだ。
地図上に「宗源寺」の表記がないので、少々心配して上八木町を目安に出掛けたが
案内板がしっかりあり、迷うことなくスムーズに行くことがが出来た。

宗源寺です。




写真が本堂です。山門も鐘楼もなかったようです。
エビネを鑑賞する人は,賽銭100円を入れてお参りして欲しいとの張り紙があり、
それに従ってから、本堂裏のエビネ園を鑑賞させてもらいました。

エビネが沢山花を咲かせておりました。




写真左の植物は「マムシグサ」です。












智誓寺(豊田市)

2008-05-14 09:35:28 | 散歩
智誓寺
所在地 Tel 0565-41-2366 愛知県豊田市富田町東紺屋81

智誓寺の入口です。


智誓寺です。


こんな石碑がありました。


石碑には次のように書いてありました。

三河路の山の芽吹きは静まりてこぶしの花に朝の陽はさす   勇


本堂です。


鐘楼です。


本堂の掲額です。


庇の吊り鐘です。




こせま城址歌碑の里(豊田市)

2008-05-12 04:46:35 | 散歩
こせま城址歌碑の里
これは浄願寺の境内を通り抜けて、古瀬間城址公園に向う途中の左手にある。
それぞれ、希望する方の自作の詩歌が刻まれて墓標のように立っている
何の変哲も無い「里」だ。
「里」と呼称されているのが、おこがましい程の規模だ。

こせま城址歌碑の里の入口です。


前豊田市市長西山孝氏の歌碑です。


こんな風にまるで墓標のようにいくつも小道沿いに立っていました。


小督局墓所がありました。どういう方なのでしょうかね。


天神社(豊田市)

2008-05-08 13:44:20 | 散歩
天神社(豊田市下川口)

天神社の本殿です。


15等級 天神社 旧村社
鎮座地 西加茂郡藤岡町大字下川口字御堂294・295番地
    城ヶ峰山頂 川口城の麓
祭神  菅原道真(天満大自在天神)
由緒  社伝に天正10年(1582)7月水野将監政義が川口城に居城の際に勧請したと
   云われ境内にある公孫樹の老木は鎮座の記念に植えたものであり、
   昭和60年3月に藤岡町天然記念物(文化財)に指定されている。
   氏子の崇敬あつく特に雷神として恵みの雨をもたらす農業守護の神、学問や
   書道の神として崇められ、近郷近在で有名である。明治6年村社に列格した。
例祭日 10月(第2日曜日) 毎月25日(月例祭)
社殿 本殿 流造1,80坪 覆殿 3、00坪 拝殿 15,75坪
   社務所 19,25坪 神庫    境内 96,00坪 氏子数 32戸
   宮司 河合 淳     藤岡町観光協会(立て看板による)

道路を挟んでこんな物がありました。


表面のプレートには次のように刻まれています。

 下川口「舞台」跡
①場所 天神社正面 この位置に建立する。
②規模 間口 10,67米  奥行 6,40米 屋根 瓦葺(鬼瓦は当時の瓦)入母屋造り
    太夫座(上手側二階隅)と舞台の地下に
    楽屋の部屋(8,0米X4,0米」を設置
③建立の時期 江戸時代の寛延弐年(1749年)に人形浄瑠璃。地狂言を  
    地元若者連中が奉納した。
④解体時期 昭和45年(1970年)に道路拡幅工事により解体撤去をする。
    この間230年間ここにあった舞台が地域文化伝承の場所であった。
    ここに碑を建て末永く伝える。
平成14年11月吉日建立  下川口地区
    
またその隣には写真のような「水汲み遺跡」がありました。



天神社境内には「豊田市天然記念物」の公孫樹がありました。




豊田市天然記念物  指定日 昭和60年3月
 いちょう(いちょう科)
 樹齢 約300年
 
 古代木また進化史的な植物 化石木の出土が各地に多い
 葉は末広形をし縁起がよいとされる。老木・巨木として、
 天然記念物として指定が多い。
 別名 漢字で公孫樹   豊田市教育委員会(立て看板による)


古瀬間城址へ(豊田市)

2008-05-03 05:28:41 | 散歩
古瀬間城址へ(豊田市)

古瀬間城址は新城街道を見下ろす標高100mの丘の上に築かれていました。
城の規模は約3600㎡で頂上の本丸と二の部(陣地)腰部のめぐる腰郭が
残っています。城主は浄願寺に残る「松平宗忠」の位牌から松平一族の城と
考えます。野見町に所在する丸根城とともに松平氏の矢作川東岸の重要な拠点
といえます。   豊田市教育委員会  (立て看板による)

古瀬間城址への入口です。



城址への大手門です。


城址の案内標です。


城址の縄張図です。


古瀬間城址の由来
 古瀬間城は、室町期、徳川の祖となる松平家三代、信光より分かれた長沢松平家、松平
弥三郎宗忠が築城した。織田、今川、武田方と対峙する真っ只中で松平一族の西方の要の
城であり、当時の山城の遺構をよく残している。
「主君家系譜」ならびに「宗忠公のお墨付き」等の古文書にもとづき、豊田市が
昭和57年3月見張り櫓(木造銅板板葺屋根二階建)・四阿(あずまや)を再建した。
城址主郭には梅林、生垣に茶の木を配し、古瀬間城址保存会により管理がなされ、城址公園
となっている。  豊田市教育委員会  (立て看板による)

四阿です。








城址からの風景です。








八柱神社(豊田市国府町)

2008-05-01 04:33:43 | 散歩
八柱神社(豊田市)

此処を参拝しました。
八柱神社は豊田市内にも沢山ありますが、この神社は国府町にあります。
広瀬の矢作川に架かる広海橋を渡って上流に細い道をどんどん進めば自然に
八柱神社に到達することができます。

八柱神社の入口です。



八柱神社の境内の森は、豊田市の名木No.197号「八柱神社社叢林」に指定されています。
この森の中に一本の「ムクロジ」の木があります。この実を拾いに行ったことがあります。
数珠を作ってみようと思ったのです。
社叢林の看板です。


神社への階段です。


鳥居と本殿です。