岡崎花火発祥地
所在地 豊田市岩倉西自治区内
平成21年2月19日自転車で彼方此方ぶらぶらしている時、偶然この看板に出会った。
山の斜面を切り開いて平らにした所にあった。
文面は次のようなものです。
花火は、祭りや祝い、花火大会などの催しに、盛んに披露され最大
の祝宴であります。
時代は変わっても、心に響く音とともに彩りあざやかに開く花火は、
卓越した開発力と匠の技で、見る人々に心にやすらぎと感動を与えてくれます。
ここ岩倉は、昔花火づくりが行われ、毎年秋の志賀神社の大祭には、筒場から
奉納花火の競演が行われていました。
岩倉西の花火の流儀は「稲富流」で、筒場へ運ぶ白い「祝玉箱」もあり
ました。この地に工場があって、当時(明治三十五年頃)は金魚花火や
打ち上げ玉、特に三寸、五寸、尺玉などに秘術をつくして作っていました。
大正時代に奉納花火大会で事故が起きて、花火の奉納は一時途絶えました。
心と技を受け継ぐ人々はその後も花火作りを継続しました。
昭和初期には岡崎市百々町に工場を移し、現在の磯谷煙火(店)に発展しました。
元祖は磯谷仙二郎(岩倉・倉平居住)で、二代目こう三郎・釘作兄弟(大正十三年
初の三尺玉披露)三代目行雄、四代目尚孝と受け継がれました。仙二郎の後継者
たちは花火師として活躍し、現在は名前も全国に知れ渡っています。
平成二十年十月吉日 (豊田市資料館承認)
岩倉西自治区わくわく事業績の会
所在地 豊田市岩倉西自治区内
平成21年2月19日自転車で彼方此方ぶらぶらしている時、偶然この看板に出会った。
山の斜面を切り開いて平らにした所にあった。
文面は次のようなものです。
花火は、祭りや祝い、花火大会などの催しに、盛んに披露され最大
の祝宴であります。
時代は変わっても、心に響く音とともに彩りあざやかに開く花火は、
卓越した開発力と匠の技で、見る人々に心にやすらぎと感動を与えてくれます。
ここ岩倉は、昔花火づくりが行われ、毎年秋の志賀神社の大祭には、筒場から
奉納花火の競演が行われていました。
岩倉西の花火の流儀は「稲富流」で、筒場へ運ぶ白い「祝玉箱」もあり
ました。この地に工場があって、当時(明治三十五年頃)は金魚花火や
打ち上げ玉、特に三寸、五寸、尺玉などに秘術をつくして作っていました。
大正時代に奉納花火大会で事故が起きて、花火の奉納は一時途絶えました。
心と技を受け継ぐ人々はその後も花火作りを継続しました。
昭和初期には岡崎市百々町に工場を移し、現在の磯谷煙火(店)に発展しました。
元祖は磯谷仙二郎(岩倉・倉平居住)で、二代目こう三郎・釘作兄弟(大正十三年
初の三尺玉披露)三代目行雄、四代目尚孝と受け継がれました。仙二郎の後継者
たちは花火師として活躍し、現在は名前も全国に知れ渡っています。
平成二十年十月吉日 (豊田市資料館承認)
岩倉西自治区わくわく事業績の会
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます