豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

猿投七滝巡り(3)

2006-06-26 08:06:47 | 散歩
白霧の滝



この写真から滝が見えますか。
何処に滝があるのかと疑問に思われるでしょう。
「白霧の滝」と表示されているのに全く滝らしいものが見えないのです。
右の木の横にある岩盤の上を水が流れています。そして下に落ちる水がある。
どうも是を滝と呼んでいるらしい。
昔はもっと水量が豊富であった。
暖められた岩盤の上を流れる水が、大気の状態によって、霧となる。
その周辺だけに霧が発生する。
それで、こういう名称になったのではないかとは、先に書いた尾張小牧の人の説だ。

二釜の滝



写真の白丸は何でしょうね。自然にこうなってしまいました。
雨降りでもないのに、水滴でしょうか。

血洗いの滝



[血洗いの滝」という表示板は立っていなかったのでしかとこの滝だと断定はできないが、
多分この滝で間違いないと思います。
盗賊の「団九郎」が人と殺めて、その血刀をこの滝で洗ったという、言い伝えがあります。

猿投七滝巡り(2)

2006-06-22 07:15:04 | Weblog
白菊の滝と千鳥の滝

乙女滝からわずか上流で、この二つ滝を見ることが出来る。
此処で、歩道を下って見えた男性に会い、色々と話を聞くことが出来た。
彼は、尾張小牧の人で、「下にバイクがあったでしょう。あれで来たんです。
猿投山は私の散歩コースなんです。ちょくちょく来ています。」などと話してくれた。
そして、自分なりの解釈だがと断った上で滝の名前について説明をしてくれ、
大変面白かった。

白菊の滝



滝の落花地点に大きな岩があり、そこに落下する水流がぶつかって、
飛び散る水の姿が、白菊を連想させる。


千鳥の滝



この滝は千鳥状に線を描いて落下している。
そして写真の上部橋の下と落下部が、千鳥の嘴と尾羽を連想させる。
故に千鳥の滝だ。

それにしても、この二枚の写真は酷い。
暗くて、よく見えない。
デジカメで、オートで撮影したが、こういう場所での撮影はどのようにしたら、
最も良い状態で撮影できるのか、どなたかのご教授をお願いします。


猿投七滝を訪ねる

2006-06-19 06:28:00 | Weblog
猿投七滝

 猿投山西回り登山道に沿って流れる川、多分「篭川」の上流に点在する滝を猿投七滝と名付けている。「広沢天神」を過ぎ、暫らく上ると左手に「猿投七滝⑦入口」の標識に会う。此処をちょっと下った所に「広沢大滝」がある。
この滝が、猿投七滝の中で一番大きな滝だ。
この滝が一番大きいのだから、残りの滝の規模は推して量るべし。
なかには無理に名付けたかと思われるものもある。





登山道に戻り、暫らくして「菊花石」に出る。
是より遊歩道を進む。
階段ばかりの道だ。自転車は全然利用できない。押したり、持ち上げたりの連続だ。
乙女滝に至る。




団九郎の岩屋を訪ねて

2006-06-13 16:35:51 | Weblog
団九郎の岩屋を訪ねました。

猿投山西回り登山道を上って行く。
菊花石の表示板を見て、右方向に自動車の通行可能な道を進むと、
やがて、西宮方面と団九郎岩屋への分岐点至る。
案内に従って、左に折れて行くのだが、この入口には通行禁止の立て札が立っているが
、是は自動車に関する者であると解釈して、歩を進めた。
するとどうだ、確かに道は荒れている。しかし歩きにはどうということは無い。
しかし、驚くではないか。道にタイヤ跡が一杯だ。よくこんな荒れ道を自動車で、或いは
バイクで通れたものだと吃驚していまう。
おそらく、遊びとしてやっているのだろう。
この状態がずっと上の方まで続いている。
思うにこの道の荒れているのは自然のなせる業ばかりでなく、
大いに彼らオフロード族によって荒らされたのだと思った。
団九郎岩屋右方向 50mの案内板に従って右方向に細い道を下る。
此処にもバイクの轍が残っている。
そして、堰堤に突き当たった。
此処から、又道は登りとなり、足跡とタイヤの痕跡がある。
なおも上って行く。
とうに50mは来たと思うのに「団九郎の岩屋」は見つからない。
仕方なく、引き返すことにした。
やっと又堰堤まで下がって、周囲をよく観察すると、川を渡って行く、かすかに
踏みつけられた跡を見つけた。
それを辿る。
川から、わずか10mほどの所に「団九郎の岩屋」はあった。
何の表示板も、説明板も無く、茂みに覆われてなかなか見つけ難い。
案内板くらい設置して欲しいものだ。



団九郎の岩屋
 七滝の上流に「団九郎の岩屋」と呼ばれる石の洞窟があります。
団九郎は、江戸時代初期の盗賊で、岩屋を根城に尾張、鳴海、知立など
東海道筋に出没し、人々に恐れられていました。この話を聞いた武士・白井権八が
猿投山に乗り込み、一味を滅ぼしたという伝説があります。団九郎の岩屋は、
奥深く、夏も涼しい洞窟です。奥から団九郎が密談する声が聞こえるかもしれません。
団九郎に善人説もありますが、静まりかえった山中の洞窟は、
盗賊伝説のほうが似合うでしょう。(「豊田市ぶらてくガイド」による)

菊花石

2006-06-12 19:38:14 | 散歩
猿投山の菊花石を見に


猿投山への登山道西回り入口から坂道を歩く。
歩くこと約20分程であろうか。ちょっとした広場に着く。
そこに菊花石への案内板がある。
菊花石は川の中の流れの中、大きな岩の表面に菊の花びら状の文様がついている。
よく、目を凝らして見ないとはっきり認めることが出来ぬ。
写真を撮ったが、是では分からない。
この種の写真はどのように撮ったらいいのか。全く知らない。
どなたか教えてくだされば大変嬉しいのだが。









井上真冽翁頌徳之碑

2006-06-07 19:21:13 | Weblog
井上真冽翁頌徳之碑(豊田市井上町)

道案内

県道419号線を豊田市街地から猿投神社方面に進み、豊田北郵便局を過ぎ、
二つ目の信号交差点を右折し、約400mの所に猿投農林農林高等学校の入口がある。
此処を左折50mほどの所に案内板がある。この細い道の突き当たりにこの碑がある。



井上徳三郎の来歴

1867年(慶応 3) 名古屋(中区)に生まれる
1911年(大正元) 猿投町に130町歩の土地を買う
1912年(大正2)  井上農場を開く
1936年(昭和11) 地名を「井上」とする。69歳で没

1896年(明治29)に始めた両替商が大成功し、これを元手に土地を買い、農場を開いた。
当初は水の便の悪い土地の為大層苦労したそうだが、徐々に住む人も増え、1936年
(昭和11年)には地名を「井上」と改めるまでになった。
「徳は事業の基なり」の信条から,社会事業にも乗り出し、猿投農林高校の移転に伴う建設用地、猿投駅の用地等を寄付した。


豊田市あちこち

2006-06-02 05:00:23 | 散歩
お倉岩と御門杉
猿投神社の参拝を終えて、
神社の右側の道を川に沿って、猿投山へと、歩を進めて暫らくすると
道ぐろに大きな岩がでんと構えている。
これが、お倉岩と呼ばれている岩だ。



此処から700mほど登ったところに、東海自然歩道の入口がある。
この入口に、他の木を威圧するような大きな「御門杉」と呼ばれる名木がある。