石仏と豊田市の名木(豊田市)
所在地 豊田市志賀町荒田地内市道沿い
詳しい 所在地はここをクリックして下さい。
豊田市の名木の説明板です。
榎の大木に覆いかぶさるように藤が絡みつき、花の時季にはさぞ見ごたえが、
あるだろうなと想像されます。
しかしながら、榎にとっては鬱陶しくさぞ迷惑なことだろう。
今後は、両者を両立させる管理が難しい事だろうと思いました。
この榎の下に石仏はありました。
藤巻の石仏とエノキ(由来)です。
次のように書かれています。
藤巻の石仏と(エノキ)
保元年間(1156年~1158年)に、南朝の落武者加茂(源)太郎義定が、楠木古墳(現未来寺付近)の穴に閉じこもっていました。その当時,荒田の八頭塚(8人武士を石の自然造形の仏像に見立てて霊を祀った。)の側に「エノキ」が植えられ、その木に藤が巻きつき今も道すがらを飾り続けています。
石仏の御利益は、「おこり(高熱がでる風土病)」をなおすと伝えられ、人に見られぬように銭1文を仏の前に落とし、人に会わぬように帰れば、病を根治できると言われています。
所在地 豊田市志賀町荒田地内市道沿い
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豊田市の名木の説明板です。
榎の大木に覆いかぶさるように藤が絡みつき、花の時季にはさぞ見ごたえが、
あるだろうなと想像されます。
しかしながら、榎にとっては鬱陶しくさぞ迷惑なことだろう。
今後は、両者を両立させる管理が難しい事だろうと思いました。
この榎の下に石仏はありました。
藤巻の石仏とエノキ(由来)です。
次のように書かれています。
藤巻の石仏と(エノキ)
保元年間(1156年~1158年)に、南朝の落武者加茂(源)太郎義定が、楠木古墳(現未来寺付近)の穴に閉じこもっていました。その当時,荒田の八頭塚(8人武士を石の自然造形の仏像に見立てて霊を祀った。)の側に「エノキ」が植えられ、その木に藤が巻きつき今も道すがらを飾り続けています。
石仏の御利益は、「おこり(高熱がでる風土病)」をなおすと伝えられ、人に見られぬように銭1文を仏の前に落とし、人に会わぬように帰れば、病を根治できると言われています。
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