豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

まもりたい井上のみどり(豊田市)

2012-07-28 09:31:40 | 散歩

まもりたい井上のみどり

所在地 豊田市井上町9-134-2  早川医院敷地内

         Tel 0565-45-2241

下のような看板が立てられいた。
その傍らに立派な「オオシマザクラ」の大木がありました。
しかしながら残念なことに「トヨタ市の名木」には指定されていません。


土居の二観音と津島社(豊田市)

2012-07-15 07:57:18 | 散歩

土居の二観音と津島社

所在地 豊田市常盤町土居

156号線を豊田市駅方向に向かい、ちょっと右に入った所に
小さな、可愛い三社が並んで建てられていました。

左から「津島神社」「稲荷観音」「千手観音」のようです。

「津島神社」のお堂の内部です。

「稲荷観音」のお堂の観音様です。

「千手観音」のお堂の観音様です。

二枚の説明板がありました。

ここには次のように書かれています。

土居 津島神社
 この神社は明治40年頃(1907)、大字相生町周辺に赤痢伝染病が
蔓延しこの常磐町へ広がり、水野又次郎、都築重吉、加藤種冶ら
中心となり、防衛作として津島神社を祀り、病が撲滅したと伝える、
 その後、地元の人々により、家内安全、無病息災を祈願など信仰をあつめる。
          七州城城下町まちづくり協議会

ここには次のように書かれています。

土居の観音
 右側の「千手観音」は嘉永七年作で土橋道上鴻巣(新生三丁目)筋界橋脇
にあったが、多くの人に崇められるよう、この地に移動した。
大正から昭和に掛けて草競馬が盛んな時期があり、毎年四月一日の神竜寺
稲荷さんの折、現在の朝日丘中学校運動場で競馬が行われ、
馬頭観音として親しまれてきた。
 五番組の皆さんで「講」つくり、初観音(1月17日)九萬九千日(旧8月9日)
と月参り、週一回の献花をし信仰を集めている。
 左側の「薬師観音」は夫婦の墓であったが、のち道標として使われたもので、
当時の馬主の一人、川上葛實氏が石切り場で家大怪我をされ九死に一生を
得られたが、その恩返しとして、この地に移動したものと云われる。

               七州城城下町まちづくり協議会


慈雲山 陽龍寺(豊田市)

2012-07-05 09:59:38 | 散歩

慈雲山 陽龍寺

所在地 前ページの地図をご覧ください。

陽龍寺への入り口です。

参詣した時は改修工事中でここからは入ることは出来ませんでした。
右手に駐車場があって、ここから本堂への参詣が可能でした。

本堂です。

本堂右側の建物です。

陽龍寺の説明板です。

次のように説明してありました。

慈雲山 陽龍寺
 この寺は真宗大谷派で、阿弥陀如来を本尊とする。
文禄元年(1592)石川栄珍が旧竹生村(久保町)に
創始し、享保元年(1716)七月一日挙母村白山(挙母町)に
移り入佛供養を行う。
 明和元年(1764)六月六世春静代は度重なる水害を避けるため移転を定める。
 明和三年(1766)一月樹木台のこの地に移転する。
 明和四年(1767)二月五日本町永田六兵衛道輝(智章、号蘭泉)は
家伝の本尊阿弥陀如来像を寄進し本尊とし、明和八年(1771)頃には緒堂が整う。
 現在の本堂は大正二年(1913)十三世春英代に再建が行われ七年の工期を要し、
大正九年(1920)までかかって竣工し、親鸞聖人650回御遠忌を厳修した。
 平成十四年(2002)蓮如上人五百回遠忌の法要に伴い、
本堂の屋根屋根全面改修工事がなされた。
    
     七州城城下町まちづくり協議会


 


樹木神社(豊田市)

2012-07-01 18:27:21 | 散歩

樹木神社

所在地 豊田市樹木町

樹木神社への入り口です。

この坂道を上っていくと
樹木神社があります。
鳥居です。

鳥居のすぐ右側に「樹木神社」と書かれた石柱があります。
またその右側に、下の二つの説明板がありました。

樹木神社
 この神社は明治三九年(1906)十月、新しく樹木区が誕生し、
自治区民の努力によって大正四年(1915)十一月十七日
合祀遷宮が行われた。
 この樹木神社は旧本町津島神社の社地に旧南町八幡社、旧東町
白山社、旧本町鴻の巣稲荷社が合祀され、樹木区の神社となる。
 祭神は建速須佐之命、誉田別尊、菊理媛命、宇迦之御霊命を祀る。
江戸時代旧三町の神社は矢作川の相次ぐ氾濫により下ノ町から
高台へ夫々移転したが、こちに祭神を合祀し区民の崇拝あつく
昭和六二年(1987)社殿修復工事を行う。
  例大祭 毎年四月第二日曜日
  天王祭 毎年七月十四日
  合祀祭 毎年八月二十九日
        七州城城下町まちづくり協議会



津島神社跡(牛頭天王社)旧本町
 天王社は本町の氏神で「字旧天神」に鎮座していた。
古くは太鼓櫓(桜城)の地にあり、寛文九年(1669)
「字道場山」小坂本町八丁目に易地し、挙母城{七州城)の移転築城に
ともない天明元年(1781)「字天王」樹木町四丁目この地に易地した。
1613坪の社地に社殿と、拝殿を造営し「建速須佐之男命」「天照大神」
「稲田姫命」を祀る。
例大祭は旧暦6月15日であった。
明治元年(1868)天王は「津島社」と改称し、大正四年(1915)この樹木神社
に合祀された。また末社の稲荷社は天保年間(1830~43)「旧毘森」にあったが
嘉永五円(1852)再興し、明治二年(1896)この地に移す。
又「字下鴻ノ巣町」鴻ノ巣町一丁目の山頂にあったとも云われる。
祭神は宇迦之御霊命、宇気母智神を祀る。

と、書かれている。

樹木神社の舞台です。

本殿です。

樹木神社の沿革を記した石碑です。