豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

大鷲院(豊田市)

2010-05-26 07:53:35 | 散歩
大鷲院

所在地 豊田市足助町内 地図をご覧ください。


 地図は此処をクリック
 
道沿いにあった「大衆院」の説明板です。


次のように書かれています。
 扶桑山 大鷲院
当山は、扶桑山大鷲院と号し、当初天台宗の古刹であったが、大永年間(1521~1526)
に心渓桂賢和尚が曹洞宗に改宗し、八代を経過した文禄二年五月山崩れのため諸堂
皆滅し断絶するに至った。
 その後十年を経た慶長七年二月、現開山心翁英学大和尚によって再興された。御開山は
徳高く、衆望厚く、自然に信者が雲集し、たちまちにして諸堂ができあがったといわれる。
 二世香山永薫和尚また傑物にしてよく教化につとめ、寺門の発展を計り、以後歴代
住職にその人を得て今日に至った。
ここには、次のように書かれています。

大鷲院への道、奥に山門


山門です。


山門の説明板です。


此処には次のように書かれています。
  山門
 四年の歳月を費し明治一六年に全てが欅で再建された。
 正面の扁額「正法」は明治維新の偉傑山岡鉄舟(1836~1888)
の筆による。楼上には一六羅漢花鳥図が配されている。 (足助町文化財保護委員会)

山門をくぐって大鷲院へ。




大鷲院の森は豊田市の名木に指定されています。


石垣です。この上に本堂があります。


石垣の説明板です。


大石垣の由来
 文化一三年(1816)、この地方に大暴風雨がきて、農作物は全滅し、大飢饉となり、
餓死する者が出るほどでした。大運夷船和尚は、この惨状を見るにしのびず、欠壊した参道の
修理と大石垣を築造して、難民を救済することとしました。まず寺の保有米を放出し
檀家・信者の有力者を説いて米の寄進を受け、人夫賃を米で支給しました。
4300余人が救われたといいます。
 作業を指揮した石工の親方は、テコの原理を工夫するため、夜な夜な線香で枕を
こじることを続け、ついに細線香で枕を自由自在に動かすことが出来るようになり、
大きな石を動かすことが出来たという話も伝えられています。(足助町観光協会)

本堂です。




本堂の説明板です。


鐘楼です。




観音寺(大観音城跡)(豊田市)

2010-05-23 09:03:36 | 散歩
観音寺(大観音城跡)

所在地 豊田市足助町内 
 
観音寺への参道入り口


ここには、次のように書かれています。
観音寺(大観音城跡)
この上にある観音寺は、もみじと桜におおわれ本尊の観音菩薩坐像・四天王立像などが
安置されております。又本堂のあるところは足助七城の一つ大観音城の居館跡と考えられ
頂上付近には城塁も残っております。 足助町文化財保護委員会

寺への道にあった建造物






観音寺です。
全く寂れきった佇まいでした。
危険ですから此処より入らないでの看板もありました。






観音寺本堂の掲額です。


境内にありました。
「子安観音」でしょうか。


観音寺の説明板です。


大観音城の居館跡から見た足助の町並みです。



大きな馬頭観音像(豊田市)

2010-05-14 07:17:52 | 散歩
大きな馬頭観音像

所在地 豊田市足助町内 地図をご覧ください。
地図は此処をクリック

この地図上で、足助バイパスに平行して走る旧道(表示されていません)があります。
その中間あたりに「馬頭観音像」があります。
 
大きな馬頭観音像です。


解説板には次のように書いてありました。
 大きな馬頭観音
中山道の脇街道(物資輸送をはじめ庶民の道)として栄えた伊奈街道は、
中馬による塩の道でもありました。明治も終わりになって馬の背から
馬車にかわると、このような立派な馬頭観音(三面八ぴの典型的な坐像)が
町の入り口に馬車組合の人々によって建てられる様になりました。
         足助町文化財保護委員会


芭蕉の句碑がありました。

写真の上部の岩が句碑です。



解説板には次のように書かれています。
 芭蕉の句碑
足助の俳人板倉塞馬(さいば)の建立(慶応3年=1867年で23両の
大金を要したといわれております。
当時人馬の往来が盛んであったことを裏付ける句として、
芭蕉の多くの句の中から特にこれが選ばれたことも偶然とはいえないでしょう。

  馬おさへ ながむる雪の朝かな
        (足助町文化財保護委員会)

馬頭観音堂の横に「清水」が流れ出ていました。
この水を飲用水として汲みに来られる人も居られます。



だるま寺(通称)(豊田市)

2010-05-07 10:41:41 | 散歩
だるま寺(通称)
正式には臨済宗妙心寺派 祝峰寺
所在地 豊田市三ツ久保町228(小原地区)
    Tel 0565-65-2771
地図は此処をクリック


 祝峰寺(しゅうほうじ)は、禅宗・臨済宗妙心寺派に属する寺で、西三河北端
松厳山の中腹、海抜640mの処にあって西三河一帯を一望のうちに収め、眺望
絶景の位置にあります。
 創立年は天正年間(1590年頃)に創立され、本尊は観音菩薩を奉安し、脇仏に達磨大師
をお祭りしてあります。
 寺の境内ならびに周りの山には、春は桜、秋には紅葉や楓そして年2回咲く
小原見物四季桜が咲き季節ごとの風景を楽しみに多くの方が訪れます。
交通手段としては、公共機関がありませんが都心から1時間30分以内と言うことで
ドライブ感覚で手軽に楽しめるところです。
 この寺は通称だるま寺と呼ばれ、一年を通しだるま祈祷や、各種供養が受けられます。
    (以上頂いたパンフによる)
 
だるま寺の山門です。


本堂です。


境内の様子です。






だるまのいわれ
 古来、少林山達磨(だるま)寺では開山心越禅師の描かれた一筆達磨像を、
一年の禍を除くお礼として正月に近在の家々に配っておりました。
天明の大飢饉の後、九代東がく和尚は農民救済のためこの一筆達磨像をもとに木型を彫り、
農家の副業に張り子だるまを作らせ七草大祭に売らせたところ
評判になったのが始まりとされています。
 縁起だるまのまゆは鶴の形を、ひげは亀の形を現しています。
又、顔の左右の肩にはあらゆる願いをこめた文言を書きます。(パンフより)



八坂神社(豊田市)

2010-05-01 08:05:31 | 散歩
八坂神社
所在地 豊田市東大島町
地図をご覧ください。この地図はnifty地図を使わせてもらいました。ありがとうございます。

 
ここを訪れたのは平成22年3月29日だった。
「山桜の里」と言われるだけあって道沿いにある多数の桜は満開だった。
中部電力東部変電所から下って来て、ちょっと開けたところに出て、
遠くに鳥居が見えたのがこの神社だった。
境内は広々として明るく、全体が古木に囲まれているわけでもなく、粗末な造りで
神社特有の荘厳さに欠けているように思った。