豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

門守神社と八柱神社

2007-06-29 05:01:35 | 散歩
門守神社と八柱神社
所在地 豊田市森町
曽根遺跡公園に隣接して両神社はある。
不思議なことに、社殿は殆ど、ほんのわずかな距離を隔てただけで建てられている。
並んで建てられているとか、背中合わせとか、向き合ってとかいうのではない。
八柱神社の後ろに、同じ方向を向いて、ほぼ接して建っている。
門守神社は木造でいかにも古く、管理が行き届いていない様子で、一方八柱神社の方は
コンクリート造りで大きく堂堂としている。
何故このような格好に建てられているのだろうか。不思議だ。

門守神社です。






八柱神社です(






八柱神社の森は豊田市の名木No.227号に指定されていました。





八柱社古墳

2007-06-24 09:56:52 | 散歩
八柱社古墳(豊田市指定史跡)
所在地 豊田市森町

八柱社古墳(市指定史跡)


前方に見える森の中にある門守(かどもり)神社の建つ高まり(墳丘)が八柱社古墳です。直径33m・高さ5、5mの円墳の西側に、幅10m・長さ7、5m・高さ0、6m前後の方形の造出があり古墳の周囲には掘り(周溝)の痕跡が残っています。側溝を含む全長は45mとなり、市内に現存する古墳としては、最大規模を誇っています。
「御本殿の地下一尺五寸位は板石でコツイでみるとかなり広いらしい空洞の音だ」という
伝承も記録されており、内部には石室が眠っているようです。これまでに発掘調査は
行われておらず、遺物としては円筒埴輪数点が発掘されているのみです。
埴輪の特徴から判断すれば5世紀半ばを前後する時期にこの地を治めた豪族が西側の矢作川とその周辺を一望できる景勝の地に葬られたものと考えられます。(立て看板より)

往生院(豊田市高橋町)

2007-06-23 08:39:18 | 散歩
寺部の往生院
 往生院(豊田市高橋町寺部)

往生院です。


岩を穿った中に地蔵尊がありました。




往生院と胎内地蔵(
前身は地蔵堂。正徳元年(1711)に便空宣元方随を開基とし新屋町(現・豊田市高橋町)に住む水野一統が創建した。弘化3年(1846)当院五世性瑞の時、庫裏を再建したが、明治6年(1873)額田県令により廃寺となる。それまで地蔵堂と称した。
明治13年8世中西秀導を迎えて、水野弥四郎はじめ村の有志の者が発起人となり、新屋町全体で世話する寺として再建した。以来随応院末寺として存続が認められ、寺部往生院と称するに至った。当院には、木製の秘仏胎内地蔵があり、聖徳太子の作と伝えられている。昔、いまの境内の樫の大木の下に地蔵尊が祀られていた。子供達がおもちゃにして、水間川などへ持ち出し、忘れてくることもしばしばあったが、不思議にも一夜のうちに境内の元の座に帰っておられた。この霊験に対し村人協議し、供養のため尊像の修理を思い立ったが、仏師から破損著しく修理不能と判断され、胎内仏として供養する方法を教えられたという。この地蔵尊には洗米御供のならわしがあり、そのお下がりをいただけば母乳を授かると言い伝えられてきた。(立て看板より)

力石の白山神社

2007-06-22 05:16:16 | 散歩
白山神社(豊田市力石町)。
国道153号線沿いにある。
足助方面に向かい右に如意寺を見る。この寺とほぼ向かい合うように白山神社はある。
二つの鳥居をくぐると賽銭箱に至るが、
その先は何段にも土留め工事のされた崖になっている。
想像するに昔は、神社にいたる階段が施されていたのであろう。
其れが土砂崩れによって崩れてしまったのではないだろうか。
右横手の細い急坂を登っていく。あまり整備されているとは言いがたい山道だ。
道の中央には筍が何本も生えておって、障害となっている。

鳥居です。


賽銭箱が置かれ、社殿と思しきものは無く。土留め工事がされた草の生い茂る崖となっている。


上に上がって下を見ると。


白山神社です。






白山神社
建久年間、越前の梅村力石という人が当地へ来て、
沼や沢を開墾し永住するようになりました。
力石の孫、殿石が加賀白山神社から小石を持ち帰りお祠りしたのが、
白山神社の起源と伝わっています。
毎年10月10日には秋の大祭が行われます。
その後三宅氏が居城したことからその領地となり、力石村と称しました。

白山神社の社殿です。






男の料理作りました。

2007-06-17 00:07:30 | 散歩
男の料理(19.6.16)。
このクラブに入会して二回目の「男の料理」です。
12時からということでしたが、会場には僕が一番乗りでした。
会長が本日の食材を運んでこられ、調理室に持っていくのを手伝いました。
すると、そこにこのクラブのユニホームである、
クラブ名と名前の入った専用のエプロンがおいてありました。
前回参加した時、この件について、何の連絡も無かったものですから、
てっきり自分で用意したものでよいと早合点していました。
こんなものまで準備沙汰のだから、当分クラブを止めるわけには行かないぞと、
決意も新たに心に言い聞かせました。

本日も一名の新入会員がありました。

本日のメニューはポテトサラダと巨大豚カツ。
ありふれたメニューで少々がっかり。
でも作る過程で、男といえども、単純なメニューだけに、
各々作り方にこだわりがあって、
面白かった。

説明を聞く。


刻む。


揚げる。


盛り付ける。







曽根遺跡公園(豊田市)

2007-06-14 12:51:06 | 散歩
曽根遺跡公園に行きました。
所在地:豊田市森町3丁目地内

「曽根遺跡公園」への入口です。


「曽根遺跡公園」の案内板です。


竪穴式建物群・溝跡です。


竪穴式建物群・溝跡(市指定史跡跡部分)
縄文時代中期(約4500年前)の竪穴式建物群2軒と古墳時代後期(約1400年前)の溝跡一条を発掘された状態のまま樹脂で固めて展示しています。竪穴建物群は平面形が最大径約5,4mほどの胴がふくらんだ方形のもの(1号住居跡)4×5mほどの長方形のもの(2号住居跡)があります。1号住居跡と2号住居跡は一部が重複していますが、前後関係は不明です。それぞれ竪穴建物には柱穴や炉跡が見られます。古墳時代後期の溝は幅が1~2m、深さ40~50cmほどで平面形は直径14m程の円弧を描いています。溝の中からは須恵器の杯や壷などが出土しました。古墳の周溝であった可能性があり、隣接する八柱社古墳との関係が注目されます。(立て看板より)

香久礼1号墳です。




香久礼1号墳
香久礼1号墳は市内志賀町香久礼にあった円墳で、昭和50年に宅地造成に先立って調査が行われ、この公園に移されました。古墳の大きさは直径12m・高さ1,5mで内部主体が横穴式石室です。石室の大きさは長さ7m幅1m高さ1,2mで市内では小さい部類に入ります。遺物としては須恵器の杯1点と器種不明の須恵器の小さな破片が9点ほど出土しました。古墳の築かれた年代は出土した杯の形から古墳時代の終末期・7世紀末~8世紀初頭と推定されています。

復元建物(竪穴建物)です。


復元建物(竪穴建物)の内部です。


復元家屋(竪穴建物)
曽根遺跡の発掘調査で確認された竪穴建物の図面を元に峰1号遺跡(岐阜県下呂町)や登呂遺跡(静岡県静岡市)などの復元家屋を参考に、縄文時代の竪穴建物を復元しました。建築の部材として、柱にクリ、合掌にはナラやカシなどを使用し、屋根は茅(ススキ)で葺きました。





豊田市自然観察の森

2007-06-07 08:23:33 | 散歩
豊田市自然観察の森へ行きました。
Tel Fax (0565)88-1310 愛知県豊田市京ヶ峰2丁目2番地
施設案内
●カウンター 利用の受け付け・案内、観察用グッズの貸し出し、
       自然クイズラリーや観察シートの配布
●展示室 季節ごとの企画展示、標本等の常設展示
●図書コーナー 動植物図鑑、ビデオの閲覧
●会議室・研修室 
●観察休憩室 カワセミの小屋、バッタの小屋、展望台

「自然観察の森」への入口です。


豊田市自然観察の森 ネイチャーセンターです。


館内の展示室です。




此処から、野鳥を観察します。


覗いてみると池があります。上池です。


この池にこんな小鳥たちが訪れてくるそうです。


遊歩道にある案内板です。左に向かいました。


トンボ池がありました。




「トンボの湿地」池や他の田んぼを好むトンボたちが集まります。春先のシオヤトンボから始まって、晩秋のアキアカネまでつぎからつぎへと飛び回っています。
主なものはシオカラトンボ、マユタテアカネ、キイトンボなどで、ときにはオニヤンマ
ギンヤンマが高く飛んでいます。(パンフによる)


展望台です。


展望台から市街を望む。






遊歩道です。


遊歩道の傍らにスルガテンナンショウがありました。


ツクバネウツギです。


バッタの小屋です。


この地点から眺めるのが一番のView pointだそうです。







性源寺に参詣

2007-06-02 04:36:36 | 散歩
岡野山性源寺に参詣
Tel 0565-80-0580 愛知県豊田市広川町5丁目97

性源寺への入口です。


入ってすぐ左側に山頭火の句碑がありました。
どういう関係でここに山頭火の句碑があるのか分かりません。
山頭火がこの豊田市を訪れたことがあったのでしょうか。


句碑には「この旅死のの旅であらうほほけたんぽぽ
松はみな枝垂れて南無阿弥陀仏 山頭火」
とある。

性源寺の山門です。




性源寺本堂です。


鐘楼です。


本堂の左手にこんなに雰囲気のいい通用路がありました。