豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

八柱神社(豊田市)

2010-08-14 07:50:01 | 散歩
八柱神社

所在地 愛知県豊田市畝部東町
   
 地図をご覧ください。



八柱神社へ。


八柱神社の鳥居です。


八柱神社本殿です。




本殿の掲額です。


八柱神社由緒記の碑です。


ここには、次のようにあ荒れています。
 八柱神社由緒記
御祭神 天照大神の御子五男三女神を
    点忍穂耳命
    天の菩卑能命
    天津日子根命
    生津日子根命
    熊野久須毘命
    多岐理毘賣命
    市寸嶋比賣命
    多岐津比賣命
 古書によれば有史以前に伊勢海岸から磯部族がこの地に
移り着て住すという
三十五代孝徳天皇白雉三年(652)采女朝臣勅によりこの
地の郷長となり采女郷と名づく 始祖を祀って氏神となし
宇祢部大明神と称す これ当社の起因なりと伝う
 寛政四年(1463)川端福林寺の住持誓誉上人が水害を憂
い寺の持仏を社に安置して寺の鎮守となす 以来永禄年間
まで寺の社として寺祭を行う
 天正十年(1582)領主島田三河守寄進により本殿を改築
一時川端明神とよぶ
寛永年間の頃社名を八王子神社に改む
徳川時代に大水害あり 悲惨困窮甚だし
宝暦七年(1757)中島堤防決壊
明和四年(1767)川端堤防決壊
安永六年(1779)川端堤防決壊
嘉永三年(1850)川端宗定堤防決壊
嘉永六年極度に傾いた社殿を修復
明治維新の際社名を八柱神社と改む
明治五年村社に指定
明治三十九年(1906)傾廃甚だしくなった本殿を改築
明治四十一年供進神社に指定
昭和十年社殿を改築石垣を巡らし地上げをして造営さ
れた広壮なる社殿と大広前に建立された大鳥居あど相俟っ
て社の面目を一新
 翌十一年三月二十八日上棟の盛儀を挙く
 昭和十四年十月二十五日ご神木の大樟天然記念物に指定
 昭和二十二年宗教法人に指定 九級社
 昭和三十四年九月二十六日未曾有伊勢湾台風によって
本殿倒壊
昭和六十二年本殿新築に着工六十三年完工 待望久し 
き本殿の復旧なって社の面目が整い同年十月二十三日氏子
を挙げて竣工祭を行う

本殿の右側に三小社がありました。
右端が川端八幡社で,中央が津島社、左端は不明です。




八柱神社境内にあるクスノキの名木です。


右は市指定天然記念物
   八柱神社の樟 樹高 20.0m
目通り 5.0m
          根周り 7,4m
左は愛知県指定文化財(天然記念物)
          幹周  17m
高さ 20m
樹齢  約千年



福林寺(豊田市)

2010-08-10 09:11:30 | 散歩
福林寺

所在地 愛知県豊田市
   
 地図をご覧ください。



福林寺の山門です。




本堂です。




本堂の掲額です。


境内を清掃中の人に話を伺うことが出来ました。
それによると、
この寺は松平の高月院より古いそうですが、
現在は無住で、住職は名古屋に住まいされている。
檀家は多くの人が移住されてしまった関係で今は7軒になってしまい、
寺の維持に苦労している。それで寺に隣接の土地を墓苑に氏、その販売
により何とかやっている。
などと話されていました。




願成寺(豊田市)

2010-08-01 02:04:11 | 散歩
願成寺

所在地 愛知県豊田市

地図をご覧ください。


願成寺です。




本堂修復記念の碑がありました。この中に寺の由緒についての記載があります。


次のように書かれています。

本堂修復記念
 旧鬼瓦安置の縁由
 当山は??時代 天徳二年(958)の創建と伝え、もと天台宗であったが、
第二十三世円空の代、応仁二年(1468)西端の郷にて蓮如上人に謁し浄土宗に
帰し、今日に至る。
このたび門信徒こころを一つにして、本堂修復に努め、屋根総葺き替えを行う。
よって天保五年(1834)の銘ある鬼瓦一対を記念のため此処に安置する。
本堂上棟は弘化三年(1846)にして、天保五年より十三年目であった。
 仏祖に謝し、これを記す。南無阿弥陀仏
平成四年(1992)七月一日 松泉山願成寺
真宗初代円空より第二十二世
 住職 畝部俊英
 檀信徒一同

本堂です。


鐘楼です。