豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

広瀬から西中金へ(⑤西中金到着しました。)

2007-04-28 04:59:53 | 散歩
広瀬から峠を越え、途中横道にそれ芳友寺によって、西中金に到着しました。
最初に見たのが、豊田市の名木No.202 ニガキです。 


胸回り 1、00m 根回り 1、90m 樹高 9、00m 所在地(中金町谷下1390-1)

次に、豊田市の名木No.21を訪ねました。シロバナフジです。




中金小学校に行き、校内に入るのにちょっと躊躇されたが、たまたま校庭でボール遊びをされていた親子に声を掛けて入らせてもらった。

胸回り 1,27m 根回り 1,50m  所在地(中金町塚ノ本 中金小学校校庭)
[フジ]学名解
Wisteria floribunda
Wisteria は、米国の有名な解剖学者 C.Wistarに因む
floribunda;花の多い、 flori(花)+bundus (豊富な)

写真はシロバナフジですが、「牧野新日本植物図鑑」の索引には載っていない。
そこでフジで引いてみた。すると、のだふじ(ふじ)の項に導かれる。
再び、索引を調べると「のだふじ」は確かに載っている。
通常我々は「ふじ」といっているが、「のだふじ」と呼ぶのが一番正式な名前なのか。
説明文を読んでみると、「シロバナフジ」は、花が白色の変種とあり、光和書房「全植物図鑑」は「白色種ガアリ紫色種ノ蔓ノ右旋ナルニ対シ白色種ノハ左旋ニ上昇ス」とある。

中金寺です。
寺らしくない、山門も無い寺でした。本当に寺かといぶかしく思ったので近くで遊んでいた子供に尋ねたら、確かに中金寺だと答えてくれたので、そうなんでしょう。


薬師堂です。


広昌院です。Tel 0565-41-2131 愛知県豊田市力石町井ノ上117




丁度この日は弘法様のご命日で、ありがたいことに接待を受けることができました。

白山神社です。


鳥居と賽銭箱の置かれた奥は、こんな状態でした。
本殿は何処かな?
よくよく見ると上に建造物らしきものが見え、多分あれかと思いましたが、
何でこんな状態に?
たぶん想像するに此処に参道の階段があったのでしょう。
其れが崩れてしまったのではないかなと思います。




広瀬から西中金へ(⑤芳友寺)

2007-04-24 09:49:50 | 散歩
広瀬から西中金へ(⑤芳友寺)
自転車で、山道を行くのはかなりつらい。舗装してあればいいが、そうでないところはなおさらだ。芳友寺への道は、広く舗装されている。下りは快適に飛ばせるが、登りは殆ど歩いて自転車を押していく。峠を越えて、下室町まで来たが、さてどちらに行ったものか。
やっとのこと子供を見付けて道を尋ねる。

芳友寺本堂です。 




芳友寺の鐘楼です。


芳友寺の鐘楼とコウヨウザンの木です。
コウヨウザンは背を高くするのを嫌ったためでしょうか、芯が止めてありました。
寺の木がこのような状態になっているのは嫌ですね。自然のままが好きです。


芳友寺
芳友寺内の阿蘭若は市内在住の画家、河西進さんと瀬戸市在住の彫刻家川井信一さんの作品を専門に展示した常設ギャラリーです。ギャラリーには河西さんの描かれた、激しく、情熱的な絵画や版画の作品が展示されています。また、緑に囲まれた芳友寺の境内のお庭には、川井さんの彫刻作品が、配置されています。静かなお寺とギャラリーがとても素敵な雰囲気を漂わせています、自由に見学できます。
                     「ぶらてくガイドによる」

ところが、上の文は後で知りました。
境内のあちこちに石彫が無造作?に置かれているものですから、何なんだろうといぶかしく思っていましたが、説明を読んで、納得しました。
出かける前に読んでいたならもっと充実した時間を過ごせたことでしょう。


広瀬から西中金へ(④薬師堂か?村社神明社へ)

2007-04-21 04:44:36 | 散歩
広瀬から西中金へ(④薬師堂か?村社神明社へ)
豊田市発行ー「ぶらテクガイド」の案内図には広済寺へ向かう道の右手に確かに「経塚」と「薬師堂」があるのだがそこに行き着けない。地元の人に聞いても要領を得ない。
何度も行きつ戻りつしたが行き着けず、仕方なく広済寺へ参詣。そして山門を出る時、寺らしい屋根が東広瀬小学校の後ろに見えた。「ぶらテクガイド」には記載されていないが、あれが目指す薬師堂かなと考え、そちらに行った。近づいてみると、、何だかさびれた、物寂しい気分に襲われた。廃寺かと思った。
人の気配を感じず、手入れがされていないようだった。

薬師堂か? 




一応、広瀬の散策を終えて西中金への道を進む。
峠を越えて下室町に出る。途中「村社神明社」の鳥居を見付け、参拝していくことにした。
神明社の鳥居です。


神明社本殿です。




広瀬から西中金へ(③広済寺へ)

2007-04-20 05:03:50 | 散歩
広瀬から西中金へ(③広済寺へ参詣しました。)
広済寺 Tel 0565-41-2164 愛知県豊田市東広瀬町大根坂21
曹洞宗の広済寺は、後醍醐天皇の忠臣、児島高徳の創建といわれています。
広済寺の隆盛の頃は寺坊12ヶ寺、僧衆200余人を数え、三河有数の禅寺として
本坊千鳥寺(せんちょうじ)をしのいだといわれます。
南北朝以来二百数十年にわたり武勇を誇った名鉄三宅氏も家康の天下制覇の前に
悲運の幕を下しました。家康勢が侵入すると、堂内の檀徒・僧侶は境内の井戸に身を投げました。
これが今も伝わる「埋めずの井戸」で400年たった現在でも怨念が消えないと言われています。
秋には、山門の見事な紅葉が参拝者の足を止めます。
(豊田市発行ーぶらテクガイドー参考)

広済寺へ


広済寺の山門です。


広済寺の鐘楼です。


本殿です。





白壁の美しい旧梅村酒造本家

2007-04-16 04:33:41 | 散歩
広瀬から西中金へ(②旧梅村酒造本家の白壁へ)
広瀬城城址・広瀬神社の参拝を終え、再び広い舗装道路に出て、右にまがって、
かっての名鉄広瀬駅舎に向かうと白壁の立派な建物がある。これが旧梅村酒造の本家だ。
梅村酒造は明治36年に故梅村源次郎氏が始められましたが、
現在は創業していないそうだ。
又梅村さんは名鉄三河線の西中金への延長、梅源バスの経営、
矢作川で東西二つに分離していた広瀬町を
橋(広梅橋)を掛け、交通の便をはかることにも尽力されたそうだ。
     (豊田市発行ーぶらテクガイドー参考)




広瀬から西中金へ(①広瀬城跡へ)

2007-04-11 14:08:08 | 散歩
広瀬から西中金へ(①広瀬城跡へ)
矢作川に架かる広梅橋を渡るとすぐ左手に梅村源次郎の頌徳碑がある。この傍らの急な階段を上り詰めたところが、広瀬城の跡であり、奥まったところに広瀬神社があってその横に「広瀬城址の碑がひっそりと建っている。下の図をご覧下さい。

(yahoo!japanの地図から2ヶ所加工しました。)

梅村源次郎頌徳碑です。


広瀬神社への鳥居です。


本来広瀬神社へはこの鳥居をくぐっていくのが正しいのでしょうが、
僕の場合裏道から入ったことになってしまった。

広瀬神社です。


農民舞台もありました。


広瀬城址の碑です。


広瀬城跡 伝承では興国5年(1344)矢作川を天然の要塞として当地の豪族児島高徳が築城したといわれる。11代目の三宅高清が織田方についたため永禄3年(1550)松平元康(家康)に攻められ落城した 愛知県 (説明板より)




妙見寺に参詣しました。

2007-04-09 14:16:34 | 散歩
妙見寺
 Tel 0565-32-5254 愛知県豊田市日南町5丁目42



世界平和の鐘です。


世界平和の鐘(山門)の横に小さなお堂がありました。
このお堂が多分「行学観音」様だろうと思ったのですが、本堂の向きにそっぽを向くように建っているし、又誠に小さな建物ですから何となくにわかに信じることができませんでしたが、写真の説明板も同じ方向だったので、まずこの建物で間違いないだろうと考えました。




世界心道教挙母協会

2007-04-06 21:19:44 | 散歩
世界心道教挙母協会
 心道教挙母教会 Tel 0565-32-2359 愛知県豊田市日南町4丁目37
洞泉寺から北に向かい、朝日町2の交差点から市街へ坂を下ってきた時、
大きな鳥居が目に入った。
その時は鳥居だと思った。
ところが、近づくにしたがいよく見ると、上の横棒が二本ではなく、一本だけだ。
奇異な感じがしたが、何と言う神社かと表示板を見ると表題のように書いてあった。
ああ、教会なのかと合点した。
こういうものはなんと呼ぶのが正しいのでしょうか?



鳥居?をくぐって中に進むとこのたてものがありました。


友好のオーストラリア庭園

2007-04-03 05:02:22 | 散歩
オーストラリア庭園
この庭園は愛知県緑化センター (代 0565-76-2106 愛知県豊田市西中山町猿田21-1 )内の一角にあり、立て看板の説明には次のように書いてある。
 この庭園はあいつ県とビクトリア州の友好提携10周年を記念し、両県州のきずなとしてつくりました。この庭園は、ガーデン・ステートと呼ばれるビクトリア州の緑豊かな美しい自然をミニチュア化したものです。この建物(案内所)はオーストラリア建国当時の建物をモデルにしてユーカリ村で仕上げたものであります。室内にはビクトリア州との友好親善を深めるための資料を始め、オーストラリア(ビクトリア州)の自然や風土、社会が紹介してありますのでご覧下さい。


案内所です。

 
案内所の内部です。




庭園です。






植栽されている植物で目に付いたものの一部です。 

フサアカシア Acacia decurrens V.dealvata
オーストラリア マメ科


ヤナギバアカシア マメ科 アカシア属
         分布 オーストラリア東部
         仮葉は細長く枝先が垂れる。花は淡黄色、耐寒性が強い


ホソバブラシノキ フトモモ科 マキバブラシノキ属
         分布 オーストラリア
         葉は細い、花は緋紅色


ジャノメエリカ Erica canaliculata Andr.
ツツジ科 エリカ属
        分布 アフリカ南部(ケープ)
        よく分枝する。花は冬~春 桃色で黒い葯が目立つ。



洞泉寺(豊田市小坂町)

2007-04-01 10:43:55 | 散歩
3月22日の洞泉寺
Tel 0565-32-3300   愛知県豊田市小坂町3丁目10
道隅の看板に導かれて参詣した。
敷地の広い大きな寺だ。
洞泉寺
本尊は阿弥陀仏。浄土宗で、知恩院の直末、末寺14寺があります。正和2年(1313年)上伊保で法相宗の寺として創立され、応仁2年(1468年)頃に小坂本町一丁目に移る。宝徳元年(1449年)頃浄土宗に改める。万治3年(1660年)に桜町一丁目に移転する。更に天明3年~5年(1783年~1785年)に現在地に移転する。昭和46年(1971年)に本堂、庫裏が改築されましたが、山門、鐘楼堂(1867年築)は移転する当時のものが現存しております。挙母藩主内藤家の墓所は豊田市の史跡として指定されています。
小坂街づくり委員会   (立て看板の説明文による)
洞泉寺山門の左手には葬儀式場となる所でしょうか、「紫雲閣」と銘打った施設がありました。 

 
洞泉寺入口、山門です。此処には「諸車、自転車の入出を禁ず」とあった。 




入出禁止の看板に従い左の道を行き横から入った。
すると立派な枝垂れ桜が此処ではもう満開に近い状態だった
 




洞泉寺本堂です。

 
本堂前に小さな「水掛け洗い観音」様がひっそり鎮座されていました。


「倶會一處」の像です。


洞泉寺の鐘楼です。 


洞泉寺の「十三重の塔」です。