平成25年4月28日にサイクリング(その5)
自宅(8時30分出発)→松平→根引峠→花沢町→大沼→
安美京→足助→自宅のコースでサイクリング。
この間で出会えた神社・仏閣を紹介していきます。
⑥洞樹院
所在地 豊田市大沼町越田和17
詳しくは下記のHPをご覧下さい。
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.b29/googlepoint11.html
桐樹院には12時40分の到着。
洞樹院の山門です。
写真の下方に写っている碑には「大沼城主菩提寺」とあります。
大沼城址と洞樹院の説明板です。
写真からの書き写しができず申し訳ありません。
本堂です。
鐘楼です。
⑦大沼城跡
説明板です。
次のようにか書かれています。
所在地 下山村大字東大沼字八沢
遺構 本曲輪 土塁 堀きり
規模 総面積 約7200㎡
東西 約140m 南北 約170m
大沼城は、文明年間(戦国初期)に木村東見入道安信が築いた
とされている山城で、足助の真弓山城(足助城)や、近くの田代城などと
共に、足助七城のひとつに数えられていました。
遺構は、本曲輪と10か所の曲輪のほか、土器、堀切、井戸跡など
が、堀切を境としてかぎの手状に分布しています。
初代城主木村安信は信仰あつく城の西麓に入宝山神宮寺を建てた後、
天文二年(1533)に死去しました。
天正二年四月(1574)元亀二年(1571)とする説もある)大沼城は
甲斐の武田軍によって攻め落とされ、信玄も討ち死にしました。
そして天正三年(1575)には、信玄の養子松平親清(大沼城主松平乗元
の二男)が大沼城主となりました。親清は入宝山神宮寺を
矢沢山洞樹院と改めて菩提寺としました。
親清の没後、天正二年(1583)嫡子近正が跡を継ぎ、徳川家康旗下で
軍功をたてました。そして天正一八年(1590)家康の関東移封後上州
三の倉(群馬県)に五千石を賜わって三河を離れました。
大沼城はその頃廃城になったと考えられています。
平成四年十二月二六日 下山村教育委員会
大沼城跡です。
二の丸跡です。
三の丸跡です。