豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

豊田市あちこち

2006-05-28 08:53:01 | 散歩
猿投神社の名木たち
猿投神社の山門をくぐると、玉砂利の敷かれた参道の両側に樹齢のいったスギ並木がある。この並木が「猿投神社参道並木」として豊田市の名木に指定されている。



参道並木の中で特別大きな杉の木が、豊田市の名木No.4に指定されている。
胸回り 5,7m 根回り 8,8m 樹高 約33m  樹齢 500年





神社の裏手にはスギ、ヒノキなどの森となっていてこれも、豊田市の名木No.149「
猿投神社社叢林」となっている。





豊田市あちこち

2006-05-27 05:27:14 | 散歩
猿投神社を参拝

猿投神社の所在地 愛知県豊田市猿投町
社格等 式内社・三河国三宮・県社

良い天気に誘われて、自転車で猿投神社に向う。
途中、右手にゴルフ練習場のある付近道の左手奥まった所にひっそりと猿投神社
一の鳥居が立っている。本宮まではまだかなりの距離がある。社域がこんなにも
あったのかと想像して、驚いてしまう。




車の往来の激しい、特にダンプカーの多い道を登っていく。(下りは殆ど無い)
東海環状自動車道の高架下を潜ると猿投神社の山門に至る。



猿投神社 創祀・沿革
創祀は社伝に寄れば仲哀天皇元年とあり、山麓の本社、東峰の東宮、西峰の西宮
を総称し、猿投三社大明神と崇敬されて今日に及ぶ、神階は、三河国神名帳に正一位
猿投大明神と記されている。社格は延喜の制(967年)国幣の小社。明治の制(1872年)県社。一宮制が行われるや三河三宮となる。
神領は織豊時代より明治維新まで776石の朱印を与えられた。境内外に神宮寺が建てられ猿投白鳳寺と呼ばれ、明治元年まで神仏混交の地であった。(説明板による)


八柱神社(本徳町)と猪捕獲ワナと観音寺

2006-05-23 07:43:51 | Weblog
天気の良いのに触発されて、サイクリングに出る。
中京大学豊田キャンパス方面に向う。
どう間違えたか、地名表示を見ると本徳町とある。
最初に見つけたのが、八柱神社だ。
この八柱神社と名のある神社は各地に沢山ある。
それぞれの村で本宮から招魂して祀り、村の安全と幸福を祈願しているようだ。

八柱神社(本徳町)



猪捕獲ワナ

八柱神社から、緑濃い山のほうに向っていく途中に、イノシシを捕まえるための装置が設置してあった。こんな所に、というのが正直な気持ちであった。
最近あちこちに、イノシシが多く出没して、農家の人たちが大変迷惑をされているとの話は良く聞いていたがこんな所まで、現れるのかと驚いた。



観音寺(乙部町)



写真の左手の立て看板には次のような説明がある。

市指定文化財 聖観音菩薩立像
観音寺の創建は寺伝に寄れば奈良時代以前とされており、持統天皇の
眼病平癒を感謝して作られた観音菩薩立像をまつたことによります。
聖観音菩薩立像は像高130cm 肩幅27cmで
市内にあっては比較的大きな部類です。
寄木造りで眼は玉眼写実的な作りでかっては色彩豊かな像でした。
製作年代は鎌倉時代末期から室町時代にかけてのものと思われます。
                       豊田市教育委員会



藤岡町の名木と棒の手碑

2006-05-20 08:51:43 | Weblog
藤岡町の名木

豊田加茂(豊田市、藤岡町、小原村、足助町、下山村、旭町、稲武町)の7市町村は、平成17年4月1日に合併し、新「豊田市」が誕生いたしました。
従って、現在は豊田市藤岡です。



この名木は藤岡町御作の八柱神社の境内にあります。
そばに立っている表示板には次のようにあります。
藤岡町天然記念物(文化財)
指定日 昭和49年2月
ケヤキ(ニレ科)樹齢約400年
開花は早春に新芽とともに生じる。材質は硬く、木目が美しい。
日本の代表的広葉樹のひとつ(藤岡町教育委員会)


棒の手碑




この碑の下部の説明書きには次のようにあります。

碑文
御作の棒の手ははじめ江戸後期の享和2年垣平作衛門が加茂郡尾形氏より検藤流を学びこの地に門下百余名を指南して盛事を開いたが幕末の世情変転の中に断絶した。
明治13年山内新平ほか数名は棒の手再興を志し見当流三河宗家・八草の粕谷菊平に指示して免許目録を授かりこれを広めいまに伝えたのである。
見当流は尾張の本田遊撫を流祖とし勇壮闊達な演技を伝承するもので鎮守八柱神社に奉納のほか川通合属に加わり永く猿投神社に奉納を続けたのである。

光明寺の樹叢林

2006-05-19 09:59:47 | Weblog
光明寺と豊田の名木
光明時は豊田市は花本町にある浄土真宗のお寺です。
豊田市の名木第163号として、指定されていますが、寺域全体の植生を指定しているようで、「光明寺の樹叢林」と名付けています。
エノキ、クスノキ、カシワ、モミジ、シラカシ、ムクロジ、モミなどの混生林を指しています。






竜宮社を訪ねる。

2006-05-13 18:35:57 | 散歩
竜宮社縁起
矢作川の左岸の堤防道を上流へ進むとちょっとした森があり、その中に竜宮社がある。
ただし非常に小さな社であるので、道からは目立たない。
川岸に出る、細い道がある。それを下がっていくと、目指す竜宮社がある。



竜宮社縁起
鎌倉末期や矢作川はこの辺り深い淵をなし、舟行の難所だったので、
此処に八大竜王を祭神として祀り社域一帯を?護か淵と称して崇敬した
のが当社の起こりである。その後徳川時代になってから6ヶ村の
雨乞いの神さまとして崇敬され「おはつさく」(陰暦8月1日)には
根川各村の若衆拝殿で技楽を奉納し祭旗が参道に連立して非常に
賑ったという。また、当社祭神の膳貸しの話は当地方有名な伝説と
なっている。以上聊か当社の縁起を誌し以て社徳を後世に銘す。
    長興寺現住弘道世雄

長興寺

2006-05-12 06:38:02 | 散歩
長興寺

豊田市長興寺1丁目29にある。
寺名が地名になっているほどだからかなり大きな寺だ。
歴史ある古い寺だから名木と名のつく古木もあるだろうと想像して訪れたが、
それと思しきものはなかっか。
広々とした明るい開放感を味わった。





長興寺
創建  建武2年(1335)中条備前守秀長公(挙母城主)がその菩提寺として建立、
     集雲山と号す。七堂伽藍を完備し「本朝名刹」の寺位を許さる。
開山  太陽義沖禅師(聖一国師法孫)
本尊  十一面観世音菩薩
寺格  臨済宗東福寺派準別格地
寺宝  佛涅槃像(国指定文化財)
     織田信長像
     太陽禅師頂相(県指定文化財)
     多聞天像(市指定文化財)


八柱神社

2006-05-11 08:57:06 | 散歩
八柱神社
八柱神社と称する社は各地に散在する。其々の村に祀っているらしい。
だから、八柱神社だけではそこと特定することは出来ない。
この八柱神社は、豊田市陣中にある。



八柱神社由緒

建武年五月12日長興寺開山義沖和尚自ら京都に登り賀茂神社の祭礼に逢ひ神輿を拝せらるるに神簾の内に2年、60許りの老聖人衣冠端厳にして曰く吾れは是れ加茂明神なり東国に吾が王子8人有りその地に於て大塔を建てんと欲す願わくは和尚大願主となり玉へと後に加茂の王子の社を建て玉なしは即ち是れ長興寺八王社是れなり爾来氏神として崇敬し明治6年八柱神社と改称されて今日に至る




児ノ口神社の名木No.136号

2006-05-07 05:19:33 | Weblog
豊田市の名木No.136号
陣中公園の一角に児ノ口神社(豊田市久保町)がある。
何処までが公園でどこから神社境内か判然としないが、児ノ口神社の境内に
豊田市の名木136号はある。
名木は見るからに痛々しい姿である。
付近には大きな伐根がいくつも残されており、
この木も近未来にこんな運命を辿るのかと考えると悲しくなる。

  

児ノ口神社