豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

加納稲荷神社と豊田市の名木

2006-04-27 09:48:32 | Weblog
加納稲荷神社


加納稲荷神社の由来
御祭神
主神(豊受大神)  相殿(天照大神 熱田大神) 配祀(富士浅間神社、津島神社
熊野神社、藤原良基霊、白山神社、秋葉神社)
鎮座地
豊田市加納町下大坪1番地
御神徳
豊受大神は伊勢外宮に祀られ衣食住の神として信仰され配祀された神と共に家内安全
商売繁盛、進学修業にて霊験あらたかな神である。
創立の由来
天授元年(1375)足利氏の重臣中条秀長が西三河北辺の地加納村に故郷の氏神富士浅間権現をお迎え祭祀したと伝う。その後慶長5年(1600)庄屋の要請で足助荘より成瀬三成が移り住みその子成瀬誉一が初代神主となりお仕えしていた伊勢神宮から豊受大神の御分身をお迎えして以来稲荷大権現と称するようになった。享保18年(1733)神主成瀬伝蔵のとき藤山から現在地に遷移され今に至る。

豊田市の名木No.9号



豊田市の名木 No.9
イチイガシ 豊田市加納町下大坪1番地 稲荷神社境内
       胸回り 275 根回り 1300 樹高 15  樹齢 ?




「鶏石」を訪ねる

2006-04-19 08:18:51 | Weblog
鶏石を訪ねる(豊田市田籾町)

この鶏石は大井橋から長久手方向に向う道脇にある。
訪れた日は「弘法さん」の日で、鶏石の脇に祀られた「弘法さん」をお参りする人たちが大勢訪れていた。特に子供達はお菓子目当てに所々に祀られた「弘法さん」参りをはしごしていた。






鶏石の由来
室町時代の末頃に足助次郎重範の家臣で加納歳武知と言う武士がこの田籾の地に百姓となり移り住んだ。この歳武知がある朝いつものように耕作にはげんでいると、そばの林の中から鶏の鳴き声が聞こえてくる。不思議に思って林の中に入ると牛二頭ほどの大石からこの鳴き声がするのである。
この話を伝え聞いた村人はこの岩の鶏の鳴き声を聞こうと思い
そうっと早起きをするようになった。
そして、この早起きの習慣と共に田籾村は栄えたという。
今でもこんな歌が残っている。

ここは田籾の鶏石かとりもをらぬにときつげる。
(豊田市教育委員会)



桃の里を巡る

2006-04-14 11:07:44 | Weblog
猿投桃の里を訪ねて

四月九日、猿投北交流館の主催する「観桃会」が終わった、12日に良い日に恵まれて
桃の里を訪ねてみました。








展望台から撮影
遠くに見える山は猿投山。黄色い花は菜の花。白い花は梨の花。



遠来の観光客も大勢見えていました。
でも、農家の人たちにとって今は摘花の大事な時季です。農道を自動車でふさぐことは止めましょう。
所々で、摘花の際にこうもり傘を広げて枝にかけて作業されているのを見かけますが、
これは花粉を集めるために行っているのです。
品種によっては花粉の少ないものがあるそうで、
人為的に集めて受粉させてやるのだそうです。

随応院と豊田の名木No.118号

2006-04-08 19:20:35 | Weblog
随応院

正式名を浄土宗極楽山随応院不遠寺といい文明十一年(1479)に大樹寺開山愚底の弟子法誉悦叟が力石村(現、豊田市力石町)に創建した浄土宗極楽山浄土院不遠寺を寺部領主鈴木氏初代日向守重時の招きで長亨二年(1488)勧学院文護寺跡と伝えられる現在の地に移したことを始まりとする。
八世生誉の時鈴木氏に代わって寺部領主となった渡辺氏の三代治綱は承応元年(1652)八月、亡母随応院殿(三代重綱夫人)の三三回忌を営んだ際、寺号を随応院と改めた。
本堂西側には寺部領主三代までの婦人の墓所がある。なお、四代以降の婦人は守綱寺に祀られている。
また現在の墓所には、鈴木氏二代梅翁重明、日向守重教の供養塔もある。
本堂正面の中門は六本足の唐破風造りで、「扇なしの門」の別名がある。文政二年(1819)渋川村(現、豊田市広川町)の棟梁江尻儀兵衛の作である。余りにも優美な姿で完成したので十一代寧綱から、「寺格に過ぎたる門」と指摘され、扇を付けなっかたと伝えられる。







豊田市の名木 No.118





豊田市の名木 No.118号
   豊田市寺部町 随応院境内
       胸回り 3.30 根回り 9.80 樹高 25.00  樹齢 ?



枝下の枝垂れ桜

2006-04-07 07:46:43 | Weblog
枝垂れ桜

この桜は、R153号線沿い、グリーンロード枝下ICの入口にある。
豊田市の名木にも指定されております。
   豊田市の名木 No.93
   シダレサクラ 豊田市枝下町グリーンロード入口
       胸回り 125 根回り 210 樹高 12 樹齢 不詳






かなりの年数を経ていると思われるが樹齢は不詳。葉が落ちた後は弱弱しく今にも枯れそうで貧弱な姿だが、
この時季は花をつけて見違えるように華やかだ。





豊田市の名木 No.61号

2006-04-03 06:33:52 | Weblog
豊田市の名木 No.61号
アベマキ 豊田市四郷町四郷 墓地内
       胸回り 225 根回り 400 樹高 ?  樹齢 100








この樹は、天道公会堂のすぐ近くの墓地の中にある。
住所は豊田市四郷町四郷
明るく整然と整備された墓地のほぼ中央北よりの所に堂々と立っている。
迫力のある存在感である。