豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

寺部城址の森

2006-03-28 15:31:00 | Weblog
寺部城址の森 豊田市寺部町1丁目にある。
豊田市の名木No.152
寺部城址の森が名木として指定されている。






HP「お城の旅日記」によれば、

寺部城は、文明年間に鈴木重時によって築かれた。 鈴木氏は、寺部城を本拠に高橋荘東部を
支配していた松平氏と対抗した。
天文2年には、鈴木重教は岩津城外で松平清康(家康の祖父)と戦うなど、
松平氏との攻防を繰り返した。 永禄9年、織田氏の重臣佐久間信盛によって攻められ落城した。
その後、慶長15年に尾張徳川家家老の渡辺守綱が寺部に入封して14,000石を領した。 
守綱は、寺部城址に陣屋を構えて、以後渡辺氏が代々相続して明治に至った。



豊田市の名木 No.153

2006-03-27 07:06:27 | Weblog
豊田市の名木 No.153とNo.154
守綱寺を出て右方向へ約50mほどの所に豊田市の名木 No.153とNo.154がある。寺部町2-9-1遊佐氏のお宅だ。
「豊田市の名木」の案内には、No.154 トネリコが記載されているが、実際には、標識のみで、樹は存在していない。
名木のハナノキは花をつけていなかったが、家の北側にある樹は見事な赤い花をつけていた。雄木と雌木とは花の時季が違っていると言うことを聞いていたが、こんなにも違う物かと驚いた。



写真の前方の看板には、No.154 トネリコとあるが、それらしき樹はない。

豊田市の名木No.153
  豊田市の名木 No.153 ハナノキ
  胸回り 130 根回り 800 樹高 ? 樹齢 150 



渡辺山守綱寺を訪ねて

2006-03-24 06:56:23 | Weblog
渡辺山守綱寺
   豊田市寺部町2丁目27



渡辺山守綱寺
旧寺部領主渡辺家の菩提所で三代冶綱によって創建されたものです。渡辺家は三河時代からの徳川家の家臣で、初代は槍で名高い半蔵守綱です。守綱は徳川御三家設置の時、尾張徳川家の軍事担当重役として尾張藩に属しました。また十代規綱は夕日庵宗玄と号し、茶事に精通し、尾張、三河を中心とする現在中部圏の文化面での指導者でした。裏千家中興の祖と言われた玄々斎はこの規綱の実弟です。
守綱寺には渡辺家歴代の墓碑、大阪城内にあったと伝える濡鷺の灯篭をはじめ、伏見桃山城の軍議評定所を移築した内陣、錦糸金泥十字名号、安阿弥作・阿弥陀仏像、渡辺家歴代の肖像画など多数の文化財があります。
   県指定文化財「絹本着色渡辺半蔵守綱像」
   市指定文化財「渡辺家歴代画像」「梵鐘」 「守綱寺本堂・鐘楼堂・太鼓堂・
          山門」「守綱寺渡辺家墓所」
                                豊田市教育委員会








八幡宮と豊田市の名木No.31 28 21号

2006-03-20 07:54:28 | Weblog
八幡宮と豊田市の名木No.31 28 21号

八幡宮(豊田市社町壱番地)





豊田市の名木No.31
  豊田市の名木 No.31 クロガネモチ
  胸回り 296 根回り 530 樹高 20 樹齢 200 






豊田市の名木No.28

  豊田市の名木 No.28 イチイガシ
  胸回り 425 根回り 500 樹高 18 樹齢 400 



豊田市の名木No.27
  豊田市の名木 No.27 クスノキ
  胸回り 750 根回り 1100 樹高 18 樹齢 800 













豊田市の名木No.191号

2006-03-19 08:03:38 | Weblog
豊田市の名木No.191号
この樹は豊田市高橋町3丁目にある。十二神社から約50mほど離れた所だ。

豊田市の名木 No.191 アベマキ
胸回り 240 根回り 1015 樹高 19 樹齢 100

      

写真の先端部分は枯れて無くなっている。

十二神社境内の名木

2006-03-16 19:30:59 | Weblog
豊田市の名木 No.119 No.240
十二神社は水間町6丁目にある。
平成記念橋を花本から高橋町方向へ下ってすぐ右方向に見えるこんもりした森の中にある。訪れたのが3月14日であったので、関係者が大勢集まって祭礼の準備をしている所であった。皆さんがそれぞれ手際よく筵を敷いたり、エドヒガンに縄がけしたり、御幣を軒に垂らしたりしておられた。



正面葉のない樹がエドヒガン、右手奥にクスノキがある。


十二神社  平成十一年(1999)三月 渡辺守綱公顕彰会

祭神が国常立尊をはじめ十六神で高橋町水野家一統を氏子とする同族神である。
高橋町水野孫四郎先祖市蔵(法名清光院寿貞大居士)が慶長以前(1596年)に紀伊国
から当地へ移住した折、氏神として勧請した。それ以来水野家一族の氏神を奉寄進されている。
棟札に「享保七王寅年(1722年)奉寄進御社新屋大工水野伊助極月十九日」とある。
祭礼は毎年三月十四・十五日で十四日は一統の人々がお宮で準備し、十五日は水野家一統の世帯主
夫婦や子供が参拝する。
夕方から年行事の家で水野家の先祖「清光院寿貞大居士」をはじめ先祖の供養を随応院、往生院
、東高院の三住職の列席で行っている。尚、同族神としての氏神は、この十二神社が代表の例である。
「高橋村誌より」

豊田市の名木 No.119 エドヒガン
豊田市水間町6丁目 十二神社境内にある。
    胸回り 220 根回り 350 樹高 16 樹齢 150




豊田市の名木 No.240 クスノキ
豊田市水間町6丁目 十二神社境内にある。
    胸回り 350 根回り 1050 樹高 21 樹齢 150




平戸橋の駒形神社

2006-03-15 09:28:03 | Weblog
駒形神社を訪ねる。
時折雪の舞う寒い日であったが、豊田市の名木No.63クロマツ並木(約10本)
に会いに出かけた。ところが、道沿いにあり、そして矢作川に接するこの社には
クロマツの並木などは、全く見当たらない。どうしたのだろう。





案内板には

平戸橋駒形神社の祭神市杵姫命は漁業や海運の神様で宗像三美人トリオの中でも抜きん出ていたため、弁天様に見立てられたということです。これらのことから往古に栄えた越戸港が偲ばれます。(氏子総代)とある。



舞木廃寺塔址を訪ねる

2006-03-14 17:11:25 | Weblog
舞木廃寺塔址を訪ねる
419号線横枕信号を猿投神社方面に向かいすぐ右側に宮川建設がある。
そのそばに舞木廃寺塔址への小さな案内板が立っている。






舞木廃寺塔祉
昭和四年十二月十七日 文部省告示第370号
この塔祉は今からおよそ千三百年前の奈良時代につくられた寺院のものと想像されます。
現在は心礎と三個の礎石が残るのみで、寺院の規模や建物の配置などはわかりません。
当時としてはこの地方の最大の寺院であったことがうかがわれます。(豊田市教育委員会)