寺部城址の森 豊田市寺部町1丁目にある。
豊田市の名木No.152
寺部城址の森が名木として指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/be/2d1caed1fb65871354010f4b7a7750e0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/ea/e6d07c9fb7ea1e41515716acea8fa13b.jpg)
HP「お城の旅日記」によれば、
寺部城は、文明年間に鈴木重時によって築かれた。 鈴木氏は、寺部城を本拠に高橋荘東部を
支配していた松平氏と対抗した。
天文2年には、鈴木重教は岩津城外で松平清康(家康の祖父)と戦うなど、
松平氏との攻防を繰り返した。 永禄9年、織田氏の重臣佐久間信盛によって攻められ落城した。
その後、慶長15年に尾張徳川家家老の渡辺守綱が寺部に入封して14,000石を領した。
守綱は、寺部城址に陣屋を構えて、以後渡辺氏が代々相続して明治に至った。
豊田市の名木No.152
寺部城址の森が名木として指定されている。
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HP「お城の旅日記」によれば、
寺部城は、文明年間に鈴木重時によって築かれた。 鈴木氏は、寺部城を本拠に高橋荘東部を
支配していた松平氏と対抗した。
天文2年には、鈴木重教は岩津城外で松平清康(家康の祖父)と戦うなど、
松平氏との攻防を繰り返した。 永禄9年、織田氏の重臣佐久間信盛によって攻められ落城した。
その後、慶長15年に尾張徳川家家老の渡辺守綱が寺部に入封して14,000石を領した。
守綱は、寺部城址に陣屋を構えて、以後渡辺氏が代々相続して明治に至った。