豊田市、気ままに、彼方此方散歩

豊田市在住の者として豊田市内の、あちこちを徒歩で、自転車で、端っこの所は勿論、自動車で、訪れて見たいです。

安っさんの丘と鷹見岩(豊田市)

2009-09-28 09:02:51 | 散歩
安っさんの丘と鷹見岩
所在地  愛知県豊田市上高町


鷹見岩への案内板です。


この岩のある所が「安っさんの丘」と呼ばれている。
丁度以前紹介した上鷹見小学校の裏にこの丘はあります。

鷹見岩です。


「安っさんの丘」の説明板です。


ここには次のように書かれています。

安っさんの丘
「やっさん」こと安本眞二さん。あなたの姿がこの丘からみえなくなって、
まもなく一年が過ぎようとしています。あなたは、足の踏み場も無かったこの丘で、
毎日、毎日、倒木や竹を切り、暗く陽も差さなかった場所を、暖かいひだまりの丘に
変えてくださいました。それだけではありません。
私たちが、近見岩の森にツリーハウス造ることができたのも
「もくもく窯」でたくさんの炭を焼くことができたのも、
安っさん力が無かったら実現できないことでした。
あなたは、上鷹見小学校の環境学習を陰で支えてくださったのです。
口数は多くないけれど、温かいやっさんの人柄に、私たちはひかれていました。
運動会学芸会、金管の発表会、マラソン大会など、私たちの大切な行事には、
いつもやっさんの笑顔がありました。一緒に汗を流し、励ましてくださいました。
「ビオトープ子どもサミット」では、炭焼きの講師も務めてくださいました。
そんな大切なやっさんが、突然亡くなってしまうなんて、信じられませんでした。
思い出を絶対に消したくありませんでした。
あなたがいつも手を振ってくださったこの丘に、
あなたの愛称と奥様の名前を刻むことにします。
きっとあなたは照れると思いますが、この丘の名は、やっさん、
あなたが教えてくださった誠実な生き方を忘れないために、
私たちが、私たち自身に贈るものなのです。
やっさん、私たちは、あなたのように強く、やさしく生きていきます。
    平成21年2月22日  上鷹見小学校



上鷹見小学校のビオトープ

2009-09-18 07:36:26 | 散歩
上鷹見小学校のビオトープ
所在地  愛知県豊田市上高町宮下60 Tel 0565-41-2017



上鷹見小学校です。


ビオトープの説明板です。


21.8.10 こんな花が咲いていました。
ハスです。




サギソウです。


ホテイアオイです。






炭焼き体験もするのでしょうか。窯がありました。
窯の近くには竹材が置かれていました。竹炭を造っているようでした。





岩倉城址の碑(豊田市)

2009-09-09 05:32:45 | 散歩
岩倉城址の碑
所在地  豊田市岩倉地内

偶然、碑と二枚の説明板に出会ったのですが、
説明板にもあるように、どの部分がそれに相当するのか全く判然とせず、
ただ鬱蒼とした木々が生い茂っているばかりでした。

岩倉城址の碑です。


岩倉城址の説明板です。


次のように書かれています。
岩倉城について岩倉城は尾根上に位置する岩倉城の浦城と山麓に位置する岩倉城ノ浦館がありました。
岩倉城ノ浦城は標高109mの尾根上に立地し、主郭は二段の曲輪から構成され、
中央に浅い掘の痕跡が残り、西端に低い土塁が巡っています。東の曲輪との間には
深さ4mほどの堀切があり、区切られています。西方先端には粗雑ですが馬出しがみられます。東の曲輪の東端には堀切があったことが推定されますが、道路の建設に失われているため詳細は不明です。
また、一段上の詰城と推定される遺構は畑地になり、当時の面影は失われ、堀切の痕跡がみられる程度です。
 山麓に位置する岩倉城ノ浦館は背後に土塁・堀切を設けています。曲輪・馬出しと推定される遺構がありますが、失われた部分も多く、痕跡がみられる程度です。山麓の居館は日常的に利用され、尾根上の城は主に戦闘時・非常時に使われていたと考えられます。
 いずれの遺構も戦国期の城館跡ですが、失われた遺構も多く、未調査であることと
文献資料や古絵図などもないため、築城年代、城主など詳細は不明です。また、
この地のほか岩倉町西脇にあったとされる城跡(現在は失われている)も岩倉城といわれています。
    設置 平成18年10月 岩倉自治区わくわく事業積の会

岩倉城址の見取り図です。







松生島(豊田市)

2009-09-02 04:24:29 | 散歩
松生島
所在地  豊田市九久平町簗場信号の岡崎方向右手
     巴川岸にある地続きの小高い所です。
     地図上には表示されていません。
詳しい 所在地はここをクリックして下さい。

松生島です。


下の写真の右の道は巴川の川原に下りる取り付け道。
この辺りも以前は川であったようです。
右隅に「九久平町簗場」の信号が見えます。


写真で見られるように、現在は道路と地続きになっておりますが
以前は川中にある、れっきとした島だったようで、その痕跡も残っています。

松生島の説明板です。


鮎供養の碑と弁財天です。


弁財天です。これが祀られていることもあって松生島を「弁天島」とも呼ばれる。


松生島から巴川の下流を見た風景です。