狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

みんな同じ日本人は共産主義が好きなのだろうか?リンチされる個性、空気の全体主義、顔色伺う監視密告/Do Japanese who are everyone same like communism?

2020-05-20 23:30:00 | 世間・空気
 <※本当の投稿日時
   True posted date & time:2020/06/01 02:50>

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 出典:bBearさんによるphotoACからの写真



 出典:2010/10/18付・ちほりごと@..oO○「どんぐりの背比べ」



 出典:bokete「同じ顔がたくさん」

 みんな同じ
  日本人は共産主義が好きなのだろうか?
   排除・リンチされる個性、打たれる出る杭、全体主義の空気に迎合、人の顔色を伺う監視密告社会、ヒューマニズム、性善説
 Everyone is same.
  Do Japanese like communism?


 まるで昔の仙人の様にソーシャル・ディスタンスを取って世間から逃れ、遠くから世間を眺めている、半分世捨て人、隠遁者の如くになっている、現在の僕。
 大衆から距離を取り、まるで外国人や外国に住んでいるかの様にして、部外者、第三者の様にして、客観的に日本の世間を観ていると、みんなおんなじ様な顔に見えるし、みんなおんなじ事やっとる様に見えるし、みんなおんなじ事を言うとる様に見えるわ。

 ゴールデン・ウィークなんかには、みんな一斉に、同時に動いて、車の渋滞が起こるわ、電車は満員になるわ、行楽先は混雑するわで、寄ってたかって群衆化しよる。
 年末年始の休みや盆休み、その他の連休なんかでも、周りの浮かれた雰囲気に釣られるんか、お尻がムズムズして、じっとしとられへんみたいやで。

 芸能人や政治家のスキャンダルなんかをテレビのワイドショーなんかが一旦報じたら、間髪入れず直ぐに反応して、みんな一斉におんなじ方向を向いて、おんなじ様に批判したり、そしり、ののしりよるでな。
 立ち止まる事を知らん様で、そんな日々、というより時々刻々とナンボでもボンボンボンボンとプッシュ通知されよる、エンタメ・ニュースなんかに飛びついて、それらに「いちいち」反応して、ず~っと流されてまいよるわ。

 「人の事を構とらんと自分の事したらどないや!」と思えるし、「人より自分の内面を見たらどないやねん!」とも思える。人を批判する一方で、自分の汚さをいっこも理解しとれへん。
 自分の事も理解せんといて、人の事なんか理解出来る訳が無い。立ち止まらん限り、自分の内側を見る事は無いし、振り返らん限り反省する事も無いで。

 ほんで、そんなおんなじ様に見えて、おんなじ様な言動しとる日本の世間の大衆の多くは、はみ出しとるもん、個性の強いもん、特長の有るもん、独自性の明確なもん、自己主張の強いもん、能力が違うもん、異端的なもん、特別なもん、まるで神様によって選ばれとる様なもんらに対し、自分達に同調する様に圧力を加える。
 大衆は、自分達とおんなじ事をしてないもんに、陰口叩いたり、悪口、中傷、侮辱、レッテル貼り、嘲笑、差別、仲間外れ、いじめ、ハラスメント、暴力と、圧力を加えておんなじ事をする様に強制し押し付けようとする。

 ほんで、そんな大衆に当てはまる様な「普通のもん」らは、お互いの顔を見合わせて「普通やな」と認め合い、そないして確認していく中で「普通でない」、「違う顔や」と感じるもんに出会った時、告げ口する様にして、周囲の普通同士の仲間に伝え、排除する等と、圧力、攻撃をする事となっとる。
 そんな、日本の世間の大衆を僕が眺めとったら、恰も、「日本は『共産主義』の国とちゃうんかいな?」と思えて来るで。

 以前、駐キューバや駐ウクライナ兼モルドバの元全権大使で「反グローバリズム」の立場からの外交・国際政治評論家である馬渕睦夫氏が、日本人とロシア人は共にヒューマニズムで性善説的な考えを持つ事で似ているという類の事をおっしゃっておられた憶えが有る。今では、そのおっしゃられていた事の意味が解り合点出来る。

 ロシアの場合、1914年~1918年まで「第一次世界大戦」の最中、1917年から始まった「ロシア革命」、そしてその後、1922年に「ソビエト連邦」が成立した。そして、第一次大戦直後の2019年に、ソ連を本部とする「第三インターナショナル」(コミンテルン)が創立された。ほんで、1991年12月25日にソ連が崩壊するまで、ロシアはその間、共産主義化されていた。
 因みに、第一次大戦開始の前年の1913年には、「ロックフェラー財団」、「米国連邦準備制度理事会(FRB)」、そして「ユダヤ名誉毀損防止同盟(ADL)」が設立された。これらも併せて、今から約100年前に、ユダヤ人達が自らの解放を名目とした世界中の国家の解体、並びに国境を失くした国際化、グローバル化、世界共産化という世界的な革命が始まった訳や。そして、ユダヤ人達は自らのそんな謀略に向けて、米国を自身の駒、人形としたんや。




 ロシアはその後、エリツィン政権時代はユダヤ・オリガルヒ・マフィアが蔓延る中での新自由主義、そしてプーチン政権となってからはユダヤ・マフィアを表舞台から排除し、祖国愛を有するロシア国をロシア人に取り戻した。しかし、依然、地下には、ユダヤ・オリガルヒやユダヤ・コミュニストのマフィアが燻りながら潜伏中や。

 関連文献

なぜロシア人は先延ばししてしまうのか

 その答えの一部はロシア人の遺伝子にあると考える歴史家もいる。

 

  2020/05/13付・RUSSIA BEYOND「なぜロシア人は先延ばししてしまうのか」

 そんな、ユダヤ・コミュニストによって抑圧されて来たロシアの人々と、日本人が似ているのである。
 確かに、日本にも、戦前から共産主義は存在した。第二次世界大戦で「敗戦革命」を企んでいた輩共、コミンテルンの日本支部である日本共産党、近衛文麿首相をはじめ、東大や京大のエリート、昭和研究会、NHKや朝日新聞、毎日新聞といったメディア、そして山本五十六司令長官等の日本帝国海軍の幹部ら、その他、マルクスかぶれの哲学者、思想家らに見る事が出来る。

 ほんでも、日本人はそんなもんばかりやった訳では無く、マルクスの理論なんかエリートしか知らんかったやろうし、大衆はそれこそ共産主義と聞いてもピンと来んかったやろ。それでも、世間、社会、政局を動かす場合は大抵、トップダウンで、一部の高官、権力によって煽動されるもんやでな。
 一方、今流行りの「ポピュリズム」ゆう現象も在って、そんなトップダウン、それをも超過した独裁的な指導に抵抗する運動で、世の中を変えようと、また実際に変えたりもしよるわな。

 ポピュリズム運動、デモには、左翼、中道、右翼と在って一概には言えんけど、その団体行動、群衆行動で個人が埋没してもて、それら何れもが下手したら、その延長上に全体主義、独裁主義に繋がりかねへん。
 左翼やリベラルはとかく「反権力」言いよるけど、左翼リベラルの群衆が全体主義、独裁となって権力持つ様になる可能性が有るねん。

 左翼やリベラルは、何でも「一緒くた」にしてまう。権力というのんも、全てを一括にして捉えてまいよんねん。どんな政党が政権取っても権力になるんやから、反権力なんかゆうとったら全て否定する事になってまうわな。
 まぁそやから、左翼リベラルの「反権力」という理屈は、結局、「ユダヤ人解放」という理屈の上で国家を全て否定して世界を一つにまとめて統一するという事とおんなじで、全ての政党を否定して一つの政党やイデオロギーにまとめるゆう事やわな。
 かつてのソ連や現在の支那(中国)、北朝鮮を見ても解る通り、一つの政党にまとめられとるわなぁ。要するに、左翼リベラルの「反権力」が、逆説的に、その延長上に、自分達が権力を握るゆう事になってまう訳や。

 また、左翼リベラルの「反権力」には、高いもの、強いもの、裕福なもん、能力の有るもん、個性の強いもんを抑えるとゆう意味も含んどんねん。ほんで、そんな出る杭に圧力掛けて、みんな、均一に、画一的に、低~いレベルに均等化しようという目論見を持っとる訳や。
 確かに、共産主義の下では、みんな平等やし、みんな平和や。そないして抑え付ける事で平等になるし、自己主張やはみ出た行動を弾圧するんやから反論、議論も起こらんから平和になるねん。そんな平等や平和が正しいと思うんかいな?

 こんなもん、エリートによる偽善やで。一部のエスタブリッシュメントが、大衆を管理し、コントロールし、支配する為の手段や。あの広大な旧ソ連や支那の大衆を静かに落ち着かせ、それらが内乱起こさん様にしようと思たら、共産主義が役に立つねん。
 反権力かざしとる左翼リベラルの群衆が、却って自分らが権力を持つ様になって、全体主義、それら大衆による独裁化に向かうねん。

 民主化運動とか反エスタブリッシュメントゆうデモでも、よ~く見ると、裏からグローバリストが煽っとるもんが多い。そのグローバリズムというのは、「ユダヤ人解放」の理屈から来た「世界共産化」の事やでな。
また、体制転換の為に、外国勢力なんかがそんなポピュリズムを煽っとるもんが多いんや。
 「反権力」とか「反骨」とかゆうたら、カッコええイメージが有るでな。そやから特に、無知蒙昧な、勉強不足な学生らの若モンなんかが、そんなもんを掲げとる左翼リベラルを支持しよんねん。




 しかし、日本の世間一般的に、ヒューマニズムや性善説を持っとるのは何でやろ。
 ヒューマニズムゆうたら、「人間性を称揚し、さまざまな束縛や抑圧による非人間的状態から人間の解放を目ざす思想」、「人文主義」、「17~18世紀にイギリス・フランスで、普遍的な人間性を認め、いくつかの市民革命の指導理念となった思想、市民的ヒューマニズム」、「資本主義による人間の自己疎外から人間性の回復を目ざすプロレタリア階級の運動、社会主義的ヒューマニズム」、「人道主義」等と辞書に在る(goo辞書(デジタル大辞泉(小学館))より)

 「人間主義」、「人道主義」ゆうたら一見すると美しい、素晴らしい様に見えるし、耳当たりもエエわな。人の命を大事にせなアカン、他人を尊重せなアカン、人間誰しもの自由や権利を認めなアカン、道徳に適った行いせなアカン、といった事なんかは言える。
 それら、確かに間違った事ではないんやけど、行き過ぎたらアカンわな。この世が全てでは無く、後の天国での生命が在るねん。しかし、ヒューマニズムというもんは、この世が全てであると主張するもんやから、「この世の生命至上主義」に偏っとるねん。

 そやから、ヒューマニズムに立っとる左翼やリベラルは、現・日本国憲法の「9条改正反対!」とか言いよんねん。しかし、時には、公義の為、守る為に、この世での生を犠牲にする事を厭わん事が大事や。かつての「武士道」や特攻隊、そしてパレスチナで偽イスラエル占領軍の戦車に向かって石ころ片手に立ち向かう子ども達には、天での「永遠の命」という思想が有るから、この世での自身の生命を軽視して犠牲になる事を進んで行いよんねん。
 
 あの、「自由、平等、『友愛』」を掲げとった「フランス革命」がそれを言うとった事に注目せなアカン。「フランス革命」をはじめその他、明治維新にしてもそうやし、世界中の多くの革命が、あのイルミナティとフリーメーソンというサタニック・カルトによるもんや。先に挙げた、ポピュリズムがグローバリストによって煽られとるという事に、正にピッタリと当てはまるもんや。

 「ヒューマニズム」、つまり「人間主義」やな。つまりこれは、人間の欲望を基にした主義、イデオロギーゆう事や。しかし、それとは別に、天の唯一の神様である創造主の考え、御心が存在するんや。要するに、「ヒューマニズム」とは別に、「ゴッドイズム」ゆうもんが在る訳や。
 天の父と、子であるイエス・キリストと聖霊の三位一体で唯一の神様である創造主が人間に与えた律法、道徳、生き方、考え方、そして主が立てられた御計画である運命、宿命、使命が在る。人間は、そんな「ゴッドイズム」にこそ従わなアカンねん。

 まぁゆうなれば、「ゴッドイズム」の中の一部として、「ヒューマニズム」が含まれとると言える。そやけど、左翼やリベラリストは、そのヒューマニズムが全てみたいに言うとるわな。
 左翼リベラリストは、何でも「解放、解放」、「自由、自由」ゆうたり「権利、権利」ゆうて「自己主張」しとるわな。そんな自己主張は、自分の欲望を基にしとるだけのもんやから、神様が「同性愛は罪や!」とか言うたりしとってもそれを無視し、同性婚を法制化までしてまう等と、神様への反抗、また神様に対する犯行が甚だしいわな。

 創造主が、「これをしたらアカン」とか「これはしてもエエ」ゆうて決めとんねん。その善悪は絶対や。最初の人間、アダムとエバが、創造主から「このリンゴは食べたらアカン!」と言われとったにも関わらず、悪魔の蛇に唆されて食べてもたわな。それが人間の悪の始まりやし、「リベラル」の始まりでもある。以降、人間は「原罪」ゆうて、罪の性質を生来的に持っとるんやけど、その「リベラル」によって罪を犯す事になるねん。

 何でも解放、何でも自由、何でも権利、そういう事を言うたり考え持っとるリベラリストらは、何でもしてエエと思い込んどるもんやから、犯罪も自由に犯してまいよんねん。その犯罪とゆうのは、この世では警察によって捕まえられへんから犯罪とはされへんかもしれんけど、この世で死んだ後、天での主による裁きで本当の犯罪とされるもんや。歴史上、時の権力者によって法律も変わって来とる様に、その時々で、この世で罪になるか否かは違って来とる。そやけど、創造主の善悪は、創生期の古代から一貫して変わってないねん。

 グローバリストのイルミナティやフリーメーソンと言うのんは悪魔を崇拝するカルトやから、勿論、「無神論者」やわな。そやから、ヒューマニズム一辺倒に偏って、ゴッドイズムを無視しとんねん。あと、共産主義も宗教を否定しとるぐらいやから、勿論、無神論者やでな。
 そんな、カルトや共産主義者、リベラリストという「無神論者」らと同様に、日本人に無神論者が多い。初詣にお参りしても自分の欲望を拝んどるだけやし、可愛いから、綺麗やからゆう理由で結婚式を教会で挙げたりクリスマスを祝うたりしとるだけやし、葬式の時だけ寺の坊さんに頼みよるだけやわな。

 いっこも、唯一の創造主への信仰心が無い。日本人で神様信じとるとか言うもんがおっても、その神様ゆうんが「八百万の神」ゆうて、無数に存在するとされとる正に神話的なもんを指してゆうとる訳やから、そんだけ、善悪の判断にしても無数に存在しとる事やろ。
 何事に於いても、「真実」言うもんはただ一つしかないし、本来、至ってシンプルなもんや。それが複雑に見える事事態、そんだけ「嘘八百」並べとるゆう事が言えるわな。




 「性善説」を持っとるのも、日本人の特徴やな。それも、無神論、八百万の神が影響しとるんやろうけど、創造主の言葉が預言者や使徒を通して書かれとる「聖書」は、「性悪説」に立っとる。聖書では「人間はみんな悪や!」と書いてある通り、前述の「原罪」を人間はみんな持っとる訳で、そんな人間を安易に信じる事は出来ひんねん。
 諸外国を見渡すと、貪欲な国々がよ~け在るわなぁ。現・日本国憲法前文の「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しよう」なんてもんは、聖書の立場からゆうたら全くの出鱈目で、「無神論者」のイルミナティ、グローバリストの立場で書いとる文言やでな。現在の日本の憲法に、世界統一の目論見が見える訳や。

 左翼やリベラリストは「無神論者」と言う事が出来るから基本的に「アホ」と言えるけど、まぁ弱者に優しいゆう面はエエ事やわな。
 一方で、性悪説に立つ右翼なんかは、疑心暗鬼が強過ぎて、排除しようとするわな。それとか、在日特権を許さない会とかの極右なんかは、えげつない、汚い言葉で罵ったりしとるけど、そんなもんは勿論、間違っとるし、正に「ヘイトスピーチ」に指定されて当然や。但し、左翼リベラル・グローバリスト、そして「ユダヤ」の常套手段、「何でも一緒くた」にしての「禁止」は間違いやで。
 ほんでも、極左に相当するしばき隊やら中核派、革マル派なんかも、ホンマ、暴力使いよるもんなぁ。まぁ、何でも、偏り過ぎたら、そないして間違った事しよんねん。バランスゆうもんが大事や。

 「何でも一緒くた」、正に共産主義下では、大衆はみんな、ピラミッドの頂点におる一部のエスタブリッシュメントによって「何でも一緒くた」にされてまう。そやから、却って、違いが失くなるんやから、差別やいじめも起こりにくくなるんちゃうか。
 冒頭付近に書いた通り、日本の世間は、恰も大衆自らが共産主義を楽しんどる様に、僕の目~には見える。ほんでも、それが、政権の政策や議会の法制化によって共産主義となっとる訳では無く、一応、口上では民主主義となっとる訳やから、矛盾が有るわな。そやから、日本の大衆が共産主義を楽しんどる様でも、いじめや差別は日々、起こっとるでな。

 ほんでも、極左の革マル派や中核派なんかでは「内ゲバ」ゆうて抗争したりはみ出そうとするもんをリンチに掛けたりするでな。まぁ、暴力団でもそういう事やっとるけど、でもヤクザに政治的イデオロギーは無いと思う。ほんでも、ヤクザのエセ右翼は一応、イデオロギーかざしとるでな。そのエセ右翼は、韓国人、朝鮮人で構成されて、米CIAが操作しとるもんやから、結局、左翼と言えるんや。アメリカの保守中道のトランプ政権も、左翼のCIAやネオコン、ネオリベラリストから邪魔ばかりされよるわなぁ。ネオコンやネオリベラルは、ユダヤ共産主義が発祥や。

 日本の世間の大衆の中でも、とかくリンチに値する、いじめやバッシングが行われとるわな。テレビやSNSの中でも、批判を受けとる政治家や芸能人一人を集中攻撃しよるわな。そんな、リンチするもんを探すが如く、大衆は人の顔色ばっかり見とって「監視」して、世間に見合わんもん、普通でないもん、標準に値せんと感じるもん、抜きん出とったり、反対に劣っとると感じるもん、そんな、世間一般との違いを持った個性の強いもんを発見したらそこら中、周りに風評、噂として拡散しながら「密告」するねん。

 そんな個性を排除する日本の世間は、一つの空気、一つの色に染まってもとんねん。そないして、結局、みんな同じでなければならないという、個人の意見や単独の行動を認めないという「全体主義」に迎合しとると言える。
 そやから、出来るだけ目立たん様にしよう、人から見て変わっているという様に思われない様にしようと、「自主検閲」する様に、無言の「同調圧力」に屈してもとんねん。

 ほんで、そないして出る杭を打ってどんぐりの背比べの様になり、平均化、画一化、標準化されて、まるで整形手術したかの如く、み~んなニヤけて、おんなじ顔する事となっとんねん。
 僕が中学生の頃なんかすごかったで。当時の神戸市立の中学校、男子生徒はみんな丸坊主、ほんでみんな真っ黒の学ラン着とるやろ。そやけど、就職活動しとる連中も、み~んな、おんなじ様な真っ黒のスーツ着とるでな。企業、特に大企業である程、個性を嫌うやろなぁ。個性の強いもんは、組織を乱すもんなぁ。

 

 出典:2018/03/14付・wuthnews「学校とは同じ人間を作る工場、でも社会に出ると…プレゼン資料が話題」

 

 出典:2016/06/05付:アゴラ「茂木さんが嘆く就活生の無個性は、学校教育の成果。」

 僕の場合、自分自身が目立つし、不思議なもん持っとる程に個性が強いもんやから、経験者として、以上の事がよ~く見えて理解出来とるねん。
 ほんでも、日本だけや無く、世間の大衆の愚かさは、万国共通や。特に、前で触れた、フランス革命、ヒューマニズム、リベラリズム、無神論、左翼ポピュリズムの、ユダヤ・イルミナティ・フリーメーソンのグローバリズムEU(欧州連合)の状況を予言しとる様な内容が次や。
 日本の大衆も、とかく距離をよ~取らんと、「いちいち」、自身の「虚栄心」を基に、人の事に干渉しよる奴が多いわなぁ。

 以下、「大衆の反逆」(オルテガ・イ・ガセット氏著、神吉敬三氏訳、1995/06/07、筑摩書房刊(1967/09/10、角川書店刊)(原典-1930刊)~「8. 大衆はなぜすべてのことに干渉するのか、しかも彼らはなぜ暴力的にのみ干渉するのか」より
  『……ヨーロッパに初めて理由を示して相手を説得することも、自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断乎として強制しようとする人間のタイプが現れた。実はこれが新奇さなのである。つまり、正当な理由を持たぬ権利、道理なき道理がそれである。わたしはこの事実の中に、能力を持たずして社会を指導しようと決心してしまった大衆の新しいあり方の最も明瞭な現れを見るのである。新しい魂の構造が最も赤裸々に現れるのは彼らの政治活動面においてだが、それにしても鍵は彼らのその知的自己閉塞にあるのである。平均人は自分の中に「思想」を見出しはするが、考える能力を持たないのである。そればかりではなく、思想がその中で生きている極めて微妙な領域がどこであるかさえ考えてもみないのである。彼らは意見を主張しようとはするが、あらゆる意見の主張のための条件と前提を認めようとはしない。彼らの「思想」が、真の思想ではなく、恋愛詩曲のように言葉に身を包んだ欲望に他ならないという理由はここにある。
  一つの思想を持つということは、その思想の根拠を所有していると信ずることであり、したがって、一つの道理の存在、理解しうる真理の世界の存在を信ずることである。したがって思想を形成し、意見をもつということは、そうした審判に訴え、忠誠を誓い、その法廷の法典と判決を受け入れるということと全く同じことであり、したがって、最良の共存形式は対話であり、対話を通して我々の思想の正当性を吟味することであると信ずることに他ならないのである。しかし大衆人がもし討論というものを認めたとすれば、彼は必然的に自己喪失に陥るであろう。そこで彼は本能的に、自己の外にある最高審判に敬意を払うべき義務と絶縁しようとするのである。かくして、「討論の息の根を止めよ」というのがヨーロッパの「新」事態となってきたのであり、そこでは、普通の会話から学問を経て議会にいたるまで、客観的な規範を尊敬するということを前提としているいっさいの共存形式が嫌悪されるのである。これはとりもなおさず、文化的共存、つまり、規範のもとの共存の拒否であり、野蛮的共棲への逆行に他ならない。彼はいっさいの正常な手続きをとばして、自分の望むところをそのまま強行しようとする。既に前に考察したように、大衆をいっさいの社会的な生に介入するようにさせるのは、彼らの魂の自己閉塞性であったが、それはまた大衆を、介入のための唯一の方法、つまり、直接行動へと容赦なくかりたてていくのである。……』

  『……敵と共存する! 反対者と共に政治を行う! かかる愛は、もはや理解されえないものになり始めているのではなかろうか。今では反対派が存在している国がほとんどないという事実ほど、今日の様相を明確に示しているものはない。ほとんど全ての国において、同質的大衆が社会的権力の上にのしかかり、反対派をことごとく圧迫し、抹殺している。大衆は――その密度とおびただしい数とを見れば誰にも明らかなことであろうが、――大衆でないものとの共存を望まない。いや大衆でないものに対して、死んでも死にきれないほどの憎しみを抱いているのである。』
 (以上、「大衆の反逆」より)

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  ・2017/08/16付:『「非戦」は「道義に外れた戦争に非ず」、忍耐の末のやむにやまれぬ自衛戦争、守るは義務・責任、公義の為の捧命・犠牲、左傾・性善説化した教界と距離を置く聖書基準の視点から提示・・「キリスト者の戦争論」を読む』
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次の本を読む。「キリスト者の戦争論」(著者:岡山英雄氏、富岡幸一郎氏、出版社:地引網出版、出版日:2006/08/01)西欧に於いての多数派...

「非戦」は「道義に外れた戦争に非ず」、忍耐の末のやむにやまれぬ自衛戦争、守るは義務・責任、公義の為の捧命・犠牲、左傾・性善説化した教界と距離を置く聖書基準の視点から提示・・「キリスト者の戦争論」を読む - 頑狷曲捻者TNの日々雑記、沈思黙考

 


  ・2019/07/12付:『"Change 9" 日本の現「フリーメーソン憲法」九条改正の必要性と米トランプのタンカー自衛要求:タンカー攻撃されても未だ目が覚めない「狂信者」護憲派の九条信仰、「聖書の価値観」を基準にする憲法改正』
  ・2019/07/22付:『「神第一」のパレスチナは「マネー二の次」で米国の「世紀の取引」を拒否:「刹那主義」のエコノミック日本人には理解出来ず/Palestinian "God First" & "money second"』
  ・2019/07/22付:『"Change 9":日本の現「フリーメーソン憲法」九条改正とパレスチナ支持は矛盾せず、「九条狂信者」護憲派・左翼・リベラル系の矛盾、パレスチナの“抵抗運動”ハマスやインティファーダと日本自衛隊は同じ』
  ・2019/09/10付:『ポピュリズムは「両刃の剣」:香港は反共?それとも共産グローバリストの煽動?「逃亡犯条例改正反対デモ」/Is Hong Kong demo anti-Communism?or globalism?』

ポピュリズムは「両刃の剣」:香港は反共?それとも共産グローバリストの煽動?「逃亡犯条例改正反対デモ」/Is Hong Kong demo anti-Communism?or globalism? - 頑狷曲捻者TNの日々雑記、沈思黙考

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ポピュリズムは「両刃の剣」:香港は反共?それとも共産グローバリストの煽動?「逃亡犯条例改正反対デモ」/Is Hong Kong demo anti-Communism?or globalism? - 頑狷曲捻者TNの日々雑記、沈思黙考

 


  ・2019/12/08付:『「悪魔カルト」製の日本国憲法改正を妨害する立憲民主党と共産党は「バカ」/Stupid opposition party, Japan Constitution made by Satanic Cult』
  ・2020/01/10付:「笑われるから辞める?周囲の反応によって行動を決める輩共こそ愚民・恥ではないか/Just people who decide action by reaction are ignorant masses」
  ・2020/01/10付:「一意専心:うんちの為にトイレに行く程度の目的しかないから人の顔色で決める/No reading faces by "purpose" to devote ownself for the Creator」
  ・2020/05/08付:「自立意欲↑性悪説↑改憲賛成↑個人主義↑不干渉↑…コロナ禍に在って日本人は変わりよる?/Do Japanese becom to change ourselves in Corona disaster?」
  ・2020/05/16付:「捻くれもんのツイッターに実感不要、つぶやき洪水に流されずマイペースで/Unobedient and stubborn I do my work and Twitter in my own way」
  ・2020/05/17付:「みんな職安:世界大恐慌への覚悟は出来とる?平和ボケの連中よ他人事ちゃうで/Everyone, to job placement office. Are you prepared Depression?」
  ・2020/05/18付:「ソーシャルディスタンスの意味解っとんのか?アホは干渉・ストーカーを諦めず/Do you understand Social distance? Idiots don't give up stoker」
  ・2020/05/19付:「希望的観測は絶望、自分の望みを絶ってこそ真の希望&神を無視するリベラル/If you watch hopefully, to despair.If you give up, to true hope」

 <2020/06/03 ― 記事追加(1本)>
  ・2016/07/21付:『「笑われて来た」イチロー氏の不動心・集中力・信念貫徹と常識外れの科学的・物理的根拠を基にする打撃』
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「笑われて来た」イチロー氏の不動心・集中力・信念貫徹と常識外れの科学的・物理的根拠を基にする打撃 - 頑狷曲捻者TNの日々雑記、沈思黙考

先日2016年6月15日、米大リーグ・マーリンズのイチロー外野手が、ピート・ローズ氏の持つ大リーグ記録の最多安打記録4,256安打を上回る、...

「笑われて来た」イチロー氏の不動心・集中力・信念貫徹と常識外れの科学的・物理的根拠を基にする打撃 - 頑狷曲捻者TNの日々雑記、沈思黙考

 


 <2020/06/20 ― 記事追加(1本)>
  ・2020/04/14付:『僕も捻くれ者やけど…… ユダヤ問題に「ファイト一発!」/I'm not obedient too, but……For problem about Jew, "Fight, Go for broke!"』
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僕も捻くれ者やけど…… ユダヤ問題に「ファイト一発!」/I'm not obedient too, but……For problem about Jew, "Fight, Go for broke!" - 頑狷曲捻者TNの日々雑記、沈思黙考

<※本当の投稿日時Trueposteddate&time:2020/04/2106:00>(当方の都合にて、投稿日時を変更しておりま...

僕も捻くれ者やけど…… ユダヤ問題に「ファイト一発!」/I'm not obedient too, but……For problem about Jew, "Fight, Go for broke!" - 頑狷曲捻者TNの日々雑記、沈思黙考

 


 引用文献
  ・「大衆の反逆」(オルテガ・イ・ガセット氏著、神吉敬三氏訳、1995/06/07、筑摩書房刊(1967/09/10、角川書店刊)(原典-1930刊)
  ・goo辞書(デジタル大辞泉(小学館)):「ヒューマニズム」



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