HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

統一の時代を考える

2018-02-19 16:00:13 | 新しい希望に向けて!

 

「統一の時代」を考える

 

劇的変化が予想される今年

真の神の日を迎えて、そのニュースも伝わってきています。

そんな中で、いよいよ半島の統一の時代が到来した予感を強く感じて来た。

丁度ピョンチャンオリンピック開催中で、一見平和に見える半島だが、内外の情勢は一触即発の状況であることは、誰の目にも明らかです。

北は、オリンピック開会の直前に軍事パレードを実施して、彼らの軍事力を誇示しているが、核開発に核ミサイル開発は既に周辺国並びに米国の忍耐の限界を越しており、オリンピック終了後、さほどの時間の経過を待たずして、米国の何らかのアクションがあることは間違いない。

今回のオリンピック開会式に参加したペンス副大統領は、レセプションに参加した北朝鮮幹部に極めて厳しいというか、一切無視の態度を取った。好況はするけれど、対話は無い。と言うのが今のアメリカの立場である。今の韓国文在寅政権の北との対話路線は、完全に今のアメリカや世界の動向を見誤っているとしか思えない。

 

このような状況の半島情勢の中で、HJNAKU大会などを通して、別の視点からの半島統一を提言し、市民運動としての統一を志向する運動を展開している。政治的なあるいは軍事的な統一ではなく、市民による下からの統一運動がどのような展開を見せるのか関心を持って見つめて行きたい。

 

新羅による半島統一

さて、統一と言えば、かつての新羅による統一が思い起こされる。古代の半島は主要な三国、すなわち高句麗、新羅、百済の三国を新羅が統一して統一国家を実現した。新羅による半島統一に主要な役割を果たしたのが、金庾信将軍でした。金庾信はもとは伽耶の王族の末裔でした。

新羅統一の主力となったのが花郎でした。

花郎は弥勒を奉じて国の守りを祈願しました。この弥勒信仰のもととなったのが文家の始祖文多省先生であったことは有名な話です。

 

さて、新羅による三国の統一は新羅が唐の国と結んで高句麗と百済を滅ぼす形で実現した。

その結果、新羅は唐の冊封体制に組み入れられる結果となり、その後の中国歴代の王朝と歴代の半島国家の関係もそのような関係が続いてきた。それが、解消されたのが、日韓併合であり、その結果立てられたのが「独立門」だった。今韓国人の多くが独立門は日本からの独立を記念するもんだと信じている人が多くいるそうだが、それは違う。当時中国を支配していた清国との冊封体制から解放され、独立を祝う門だったのである。

 

さて、真のお父様は半島の南北統一は北の民と南の民がともに一つになりたいという熱い心で結ばれてこその統一であると語られていた。そのごとくの状況は生まれてくるのだろうか?

 

新羅の唐の力に頼った統一は日本との関係も危機に陥れた。当時、日本と最も関係の深かったのが百済だった。日本からは百済救援のために日本各地からの援軍が組織され海を渡った。その軍団が終結したのが、白村江だった。ところがこの白村江での海戦で、日本と百済の連合軍は唐と新羅の連合軍に決定的な敗北をしてしまうのである。この白村江の戦い以降、日本と半島との関係は決定的な決裂関係となってしまう。

 

真のお父様もこの時の新羅による統一は否定的にみられる発言があった。慶尚道の連中(新羅)を中心としての半島統一ではなく、全羅道(百済)中心に、高句麗や日本とも連携して大国中国(唐)の進出を食い止めての統一がなされていたとするならばその後の東アジアの歴史は決定的に違っていたに違いない。その後半島は新羅が旧高句麗系の高麗に代わり、その後親中国路線の朝鮮が王朝を支配する時代が続いてきた。


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