HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

コリントⅠ13章

2018-03-18 18:54:27 | 新しい希望に向けて!

あらためて、コリントⅠ13章のみ言をかみ締めよう!

コリント人への第1の手紙 第13章 

たといわたしが、人々の言葉や御使(みつかい)たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢(にょうはち)と同じである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない。自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

 

実に味わい深いみ言である。旧新約聖書のすべてのみ言を集約しているといっても過言ではないだろう!

結局聖書の教えの根本は「愛」である。 愛がすべてであると言ってもいいだろう。

私たちの人生も、愛がすべてではないだろうか! 愛に生まれ!愛に生き!愛に死す! まさしく愛の人生こそが人生そのものであると言えよう。  文鮮明先生が教えた教えの核心もまさにその「愛」に他ならない!

愛の人生 いかに愛を持って生きるか! 日々の生活の中で以下に愛を実感する生活を味わえるか!そこ人生のすべてがかかっている。

翻って、人生の不幸とは何か!人生の不幸とは「愛」を知らないで生きることである。愛を失い、愛から遠ざかり、愛を否定して生きる人生こそ悲劇の人生に他ならない。

人々の幸福を願うのではなく、自らの恨みと憎しみを先立て、人々に悲しみや対立や分裂をもたらすのは人生の不幸である。愛を失ったときにすべてがそのようになってしまうのである。

愛を感じる人生を生きよう。与えられることよりも与えることを願って、人から愛されることよりも人を愛することを願って生きよう。

豊かな情操を育てるのは家庭だと言った。その家庭が憎しみや恨みの舞台となってはならない。家族深い紐帯が、限りなく豊かな情操を育むよき家庭を求めて行かなければならない。愛の実践生活こそが家庭生活の基本とならなければならないのだ!

 


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