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ダンスとか。

PURUSHARTHA

2007-09-24 | ダンスとか
横浜赤レンガ倉庫3Fホール、夜。
ディレクション/ジャヤチャンドラン・パラジー(Jayachandran Palazhy)、松尾邦彦、振付/ジャヤチャンドラン・パラジー、音楽・映像/松尾邦彦、ステージデザイン・照明デザイン/濱中直樹、演奏・映像/松本充明、照明/トーマス・ドッツラー、ダンス/アタカラリ・センター・フォー・ムーヴメント・アーツ(ATTAKKALARI centre for movement arts)。
インタラクティヴな映像装置などと、インドのコンテンポラリーの組み合わせ。インドはIT大国だが、テクノロジー部門は日本の nest 関係者によるもの。「男子」的な、高価なオモチャはさておき、インドのグループがどんなものなのかと興味をもって行ったのだが、よくあるヨーロッパのコンテンポラリー風の流れる動きの最後だけバラタナティヤムっぽいフレーズで表面的にまとめたりしている感じで、なるほどこういう人たちもいるのだな、と思った。振付家はロンドンで学んでバンガロールを拠点にしているとのことだが、なまじハイブリッドな生活が当たり前になると、それぞれ互いに異質な原理の、その異質さの根の深さに対して無頓着になってしまうのではないか、と思った。
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謝肉祭

2007-09-24 | ダンスとか
千歳烏山・studio GOO、昼。
▼越博美 『庭と木苺、私の屍体』
▼磯島未来 『Matilda』
▼梅崎礼 『Song for・・・・』
▼斎藤麻里子 『ヨシ子遊戯』
7月のアゴラの「万博」で見た斎藤麻里子に何か光るものを感じたために見に行くも、今回の作品はほとんど動かずに居場所を点々と変える、極度にストイックなもので、置いて行かれたというより、見ている自分がつい先へ先へ進もうとしてしまい、やがて無意識に踊り手を置き去りにして(意外と)荒々しい睡魔の世界へ突入。「遅さ」(ひいては「静止」)にもついていけないということがある。つまりそれもまた一つの「速さ」というか、全ては踊り手の速度と見る者のそれとの関係の問題なのだし、しかもその速度に誘い込まれるかどうかで、その速度に耐えられるかどうかではない。梅崎は前にブリックワンで一度見たことがあり、越はたぶん初めてだが、悪意がなく、見ているこちらとしても、することが見つからなくなった。磯島は花をもってグルグルと駆け回りながら、張らない声で鼻歌を歌う冒頭の執拗さに、人の体っていうのは基本的にあちこち無秩序に震えてて、それが特定の部位と幅を割り当てられることで辛うじて動いているんだな、ということを思った(右、左、右、という脚の動きの秩序、ある音と音をつなぐ喉の震えの秩序)。そのことは後で、椅子の背もたれから座部へと逆さまに斜めに、硬直した体がずり落ち、床と頭頂部がゆっくり衝突して無機質なゴツッという音を立てた時に改めて強調されたように感じた。
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