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ダンスとか。

Headlong Dance Theater

2006-03-04 | ダンスとか
Headlong Dance Theater, Mixed Tape for a Bad Year

92nd Street Y Harkness Dance Festival.
NY, The Ailey Citigroup Theater.
フィラデルフィアのカンパニーで、ヤザキタケシとのコラボレーションで名前を聞いたことがある。作品を見たことはないが、今回は長編ではなくて、セットやギミックのない小品を集めたとのこと。タイトルの「Bad Year」は洪水や戦争など様々な事件の起こった2005年を指していて、この短編集には、暗い気分を一掃して希望を持とうという意味合いが込められている。
Swinginging
舞台中央で女性が中速のリズムをとりながら簡単な動きの累積(アキュミュレーション)をやっているところへ、別の女性が来て加わり、かけ合いになって、さらにもう一人加わって複雑化する。人の真似をすることと、そこからハズれること、この二つを素材にしたシンプルな作品。無音だが、動きのリズムとダンサーの仕草や表情だけでグイグイ引き込まれてしまった。ダンス・テクニックを誇示しない、力の抜けた動き方がNYのダンスとは全く違っている。どこまで振り付けられているのか、どのくらい即興性があるのか、見ているだけではよくわからないが、動きがズレたり重なったりするさまが視覚的な混乱を生み出したり安心させたりする、その「出来事」の密度が詰まっている。一定のリズムの枠内で行われるため、ダンサー間の駆け引きの要素はあまり強くない。しかし派手な荒れも凪もない微温的なテンションが保たれることで、一人一人のちょっとした間合いの揺れとか息遣いが際立つ。そういうところからも観客はダンサーを身近に感じることができる。10分。
Thrash
ヴィデオ作品。カンパニーのメンバーとその他の一般の人々が、それぞれ一人ずつブッシュ大統領の演説を聞いてから「4分間カメラの前で好きなように動いてパフォーマンスして下さい」という課題に応え、それを音楽とともに編集してある(5分半)。一つ一つのショットは短く刻まれていて、したがって目に見えるのは「動き」というよりも「イメージ」の断片。クルクル回転する人もいるし、モダンダンスの振りを踊る人、頭を抱えて突っ立っている人、床にへたり込んで怒りを露わにしている人もいる。おそらく、ダンサーだろうが普通の人だろうが「4分間」という長さを即興でもたせるのは難しい。ちょっとやそっとの思い付きでは続かない。だがむしろ、「言葉」が続かなくなったその時にこそ、何か「言葉」とは違うものが現れるのだろうと思う。宛先や標的のある、人に届く、意味の通じる「言葉」ではなく、方向もなく分節化もされていない、無意味というより、新たな意味を今まさに生み出そうともがいているような丸裸の「運動」、「身体」。だからどちらかといえば、見た目にはこれといって目を引かない、あるいは何もしていないかのような人の姿に何かを見出そうとして画面を見つめることになった。壁の角に顔を突っ込んでもたれかかっている人、照れながら両手をヒラヒラさせている人。身体から行為(意味)が剥奪された時に、「何も出来ない」という状況の中で、身体の「可能性」が剥き出しになって見える気がする。しかしそれを捉えるのに、このヴィデオは必ずしも成功していないようにも思う。まずショットが短く、出演者が四苦八苦する過程を見ることができない(そしてその過程を見ることができたとしても、今度は単なる「覗き見」になってしまうというジレンマ)。そして一見「何も出来ない」状況にある人の、画面上では決して目立たないようなショットが、わかりやすい意味のある身振りを捉えたショットに対する、ユーモラスなネガとして置かれてしまっていること。確かにネガには違いないのだが、それをポジとネガの関係から救い出し、違う平面に置くのでなければ、身体に新しい可能性は開かれないだろう。行為(意味)に対して無為(無意味)、力に対して無力を対置するのではなく、無為や無意味や無力の中に、あるいはそれを通じて、新しい行為や意味、力を見つけ出そうとするのでなければ、身体などもはや負け犬の地位を脱しようがないだろう。
Yonder
男2女2による、フォークダンスをモティーフにしたやや演劇的な作品。男は白いシャツとパンツにネクタイ、女は白いワンピースで、アメリカ南部の音楽を使っている。女を十字架のように運んで来て、比較的単純な動きを遊戯的に展開する。ここでもやはり絶妙にリラックスした、それでいて丁寧な動きが楽しいが、人が床に寝て動かなくなるとそこに墓石が置かれ、やがて舞台の上は墓地のような様相を呈する。18分。
Shosha
男2女3。アイザック・シンガーの小説『ショーシャ』を素材にした作品で、前半は普通にダンスが続き、途中で突然、演出家と男女の俳優の舞台稽古のようなシチュエーションになる。メタ演劇的なところから、実際の芝居が始まり、その中になぜかダンスが入って来る。この作品はちょっとコンセプトをつかみかねた。23分。
Hippie Elegy
がっしりした体格で髭を生やした大男(Jeb Kraeger)と、小柄で賑やかそうな雰囲気の女性(Amy Smith)が、「昔ヒッピーだった中年」を演じるデュオ。ジョニ・ミッチェルやニール・ヤングの曲を使って、おマヌケな動きをリズミカルかつスピーディーに。汗をかきながら必死そうに見えるクレーガーと、本当に楽しそうに踊るスミスのキャラクターがとにかく絶妙な上に、チマチマしていたり大袈裟だったりするシンプルな振付の完成度も高く、本当に引き込まれた。舞台奥にピクニック・シートが広げられ、バスケットや飲み物が用意されるのだが、途中でなぜかいきなりスミスがクレーガーに本気で突き飛ばされ、横っ飛びに床へ転倒してから雰囲気が急変して、二人とも酔っ払いのようになってしまう。ハメを外したスミスが、ヘラヘラと暴れながら、あたかもクレーガーに突き飛ばされた瞬間を無意識に反復するかのように、ピクニック・シートの上の壜を蹴り倒してしまうところなどは、そのあっけなさに何ともいえない衝撃を受けた。陽気で、無邪気で無頓着な人のもつ、罪のない残酷さのようなもの。18分。
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