本当に助け合うべきはまず家族だろうに

2007-10-10 22:11:25 | Weblog
最近何度書こうと思ってもまとまらないことがある。

それは本当に社会が援助すべき人はどういう人で、またどう援助すべきかってこと。

援助すべき人の中に、不正に近い人がもぐりこんで、税金を食い荒らしているのがどうも許せないってこと。
不正まで行かなくても、ただの甘えや怠惰が原因で働けない人を、本当に困っている人と区別していかないとならないだろうってこと。

保護はどこまでするべきなのか。
生活保護で、ワーキングプアな人たちよりましな生活できてしまっていいのか?

社会保障ってものは一度レベルを上げてしまうと落とすのが難しい。戦後の日本は経済成長で税収が上がるのをいいことに、少しばら撒きやりすぎているのではないのか?

テレビの報道があまりに極端で、生活保護を受ける人たちの実態が伝わってこない。

そして、親や子供の話が出てこないのもおかしな気がする。

助け合いの一番の元は家族だろうと思うのに、子供を東京に放り出したのか子供がかってに出て行ったのかはいろいろだろうけれど、家のない若者。定住してなければ、仕事なんて見つかるはずがない。

老人の孤独死を社会問題と報道する前に、子供は?親族は?友達は?人間関係をちゃんと作るのは、生活において重要なことだと思うのだけれど、長年何してたの?

生活の目途も立てずに無責任に子供連れて離婚する前に、準備すべきことがあったのでは?近くに親が住んでいるのに、親は?子供の父親は?

本来言われなくても助け合うだろうという家族が助け合っていないで、社会に自分が生活できない責任を押し付けているのはどこか間違っているように思えてならない。

人は一人では生きていけない。それなのに、誰とも助け合わなくても社会がなんとかしてくれるという状態を作ってしまったから、より家族が無責任になっていくような気もする。仲間や地域を大事にしなくてもいいと身勝手に生きる人がいるのでは。怪しげな宗教に助けを求めて、それが社会に害をなす。
老後を見てくれる子供を残さなくても、今楽しければいいと考える人まで増えてしまうのでは?

そんな身勝手な人が増え続けて、果たして社会はそのコストに耐えうるのか?
そして、社会保障を当てにして、日本に不法に流れ込んでくる人間ももっと増えてくるだろう。

厳しさを求めると無慈悲だと非難する声が出てしまうけれど、人間は甘やかされるとどこまでもだめになる生き物でもあることも忘れてしまわないほうがいいのでは。