ほんとにいそうに思えるけれど

2006-01-15 23:44:38 | Weblog

散歩道

頭が痛くなるような文章が紹介されていた。

青森林太郎
「戦争反対運動は日帝という悪を打倒するための暴力的運動」と曲解したコメントがあったが、まず日帝本国が再軍備化(むしろ既に再軍備は終了し軍拡とでも言う方が適切か)=侵略軍の形成を図っている現状、日の丸・君が代制定ならびに扶桑社教科書検定および推進と明白な右傾化、明白な先祖帰りを果たそうとしている状況、そして国家公安の平和運動への弾圧が強化されている現在、これらを鑑みた場合、「戦争反対」の矛先は、日帝本国にならざるをえない。これは自明の理である。
また「反社会的な行動」として反戦運動=平和運動を一刀両断するモノの見方は、日帝警察権力が形作った社会に対し自ら迎合し、オノレの社会的地位とやらに安穏とするだけの矮小な存在として自らを規定するだけのことに過ぎない。

すなわち、日帝本国警察権力にとっては、反戦=反社会行動なのである。これは重要なことである。「戦争反対」と述べること、これは日帝本国にとっては「反社会行動」なのである。

以上のことを踏まえれば、日帝公安が規定した「極左暴力集団」が反戦運動として、諸君らネットウヨクが「暴力」と規定する武装闘争を手段として用いざるをえない局面があることも否定できない。なぜならテキは国家と言う組織としての暴力をもって、反戦運動を弾圧してくるからである。

繰り返し述べるが、これは「内ゲバ」の肯定ではない。
「内ゲバ」を日帝公安当局が扇動したソースだが、すでに(ずいぶん昔のことだが)機関紙・出版物などが反革命公安当局に押収されており、手許にないため提示できない。申し訳ない。
その公安の煽動も含め、本来であれば総括されるべきことと個人的には思う(これは以前にも述べた)が、現在の中核派を否定することにもならない。

したがって、このトピックの主題に沿って言えば、扶桑社社会科教科書採択に対し、中核派が反意を示し、反対運動を行う団体を支援することには問題が無いと言える。

とても読みずらい。別世界で生きてる人なのだと言うことはわかる。でも・・・本気?日帝警察権力が形作った社会って・・いつ警察権力が社会を作ったのだろう。気がつかなかった。

ああ~これじゃあ普通の言葉が通じないわけだ。同じ日本社会の中で生きてるのに、ここまでゆがんで見えるとは。革命ごっこの主役になってる気分ですねえ。平凡なただの庶民になることが受け入れられないのね。ほとんどの人間は歴史の中に一文字たりとも名前を残さず、生まれたことに意味があるのかわからないままに平凡に生きて死ぬだけの矮小な存在なんですけれどね。定時に電車が走っていて安全な水が水道から毎日出ていつも電気を使える社会がどうやって存在しているのかってことに思いを至らせることができない人なんでしょうねえ。子供すぎて。

う~ん・・・冗談だよね?釣られたかな?