夢中人

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大原美術館

2012年06月18日 | Weblog
大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。。。と、ありました。1930年と言ったら、昭和5年。その周辺あたりの歴史を見ていると、1929年世界恐慌があるんですよ。世界恐慌と言ったら、世界的規模で起きる経済恐慌(world crisis)のこと。その時の日本の状況を見てみると、大戦後の恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌によって日本経済は弱体化していたとありました。昭和金融恐慌は、後年起きた昭和農業恐慌(1929年の世界恐慌の影響を受けて主に農業に経済的打撃を受けた)と合わせて昭和恐慌といわれることもある。とあったんですけど、これからすると、この時の日本は、世界恐慌の影響はそんなになかったのかなという感じなんでしょうか。少しはあったのかもしれないませんが、どちらかというと国内の事情で経済が弱っていたのかな。どちらにしろ、日本も世界も経済が弱っていたということですね。でもそんな状況の中、大原美術館は開館した。ちなみに1年前の1929年にニューヨーク美術館が開館。なぜ世界恐慌のさなかに美術館が出来たんだろうか。

大原美術館創設者の大原孫三郎は、親の代から紡績業を営む倉敷の名家に生まれた。ネットを見てみると、ある人との出会いで意識が変わったみたいですね。1906年(明治39年)父親の辞任の後、倉敷紡績の社長となったと同時に、会社の福利厚生に力を入れたみたいですね。そんな改革に旧来の重役や株主は反対したみたいなんですが、これに対して「わしの目には10年先が見える」という言葉で押し切ったとか。また農業改革もしたり、社会問題の研究機関、病院などを設立したんですね。この大原社会問題研究所は多くの政治家などを輩出。さらに工場を蒸気による動力から電気動力への転換を図り中国水力電気会社(現在の中国電力)を設立。また、中国合同銀行(現在の中国銀行)の頭取となり、地元経済界の重鎮となった。さらに倉敷絹織(現在のクラレ)を設立とありました。これからすると、大原孫三郎というお方は改革派の方なんですね。会社という存在自体も社会貢献度が大きいとは思うのですが、それ以上に社会貢献を広げられているという感じでしょうか。クラレは現在、実質的な本社機能は東京と大阪にあるみたいですね。なんで倉敷じゃいけないんだろうと思うのですが、そんなものなんでしょうかね。商品としてはランドセルの「クラリーノ」があったりして、「マジックテープ」はクラレの登録商標だそうです。こうやって見ていると、企業にもドラマがありますね。創設者や社長が中心に話が進んでいくんだろうけど、その周りに沢山の人がいるんですよね。クラリーノやマジックテープは知っていましたが、クラレという会社名は知らなかった。初めて訪れた倉敷で知ることができました。旅行をしてこんなに印象の残る企業ってあるかな。初めてに近いかも。


大原美術館には沢山の絵画や彫刻、焼き物、古美術が展示してありました。その沢山の美術品の中で一番印象に残ったのがムンクでした。「女」という絵だったんですけど、すごい大作とかではなく、小さな絵で、絵の具も黒しか使っていなくて、ササッと描いたような感じの絵です。人物がというのは、それぞれ観ていると、描かれている人物は決していい人には見えないんでね。どちらかというと、内面というか、それぞれの欲が覗いているんですね。ムンクの絵は、人物の表面に現れる内面を描くというよりも、内面そのものを描いているような感じかな。何度もそのムンクの絵の前に戻ってきました。でもですよ、ムンクの絵って、どこに飾るのが適してるのかなと思う。ま、数点しか見てないからムンクを語るには早すぎるかなと思うんですけど、表面的な印象ではムンクって、こう。。。そう、悪霊めいてません?家じゃなさそうだし、ホテルとか会社のロビーもどうかなぁって感じだし。どちらかというと、美術館とかで観て、その絵から離れた場所で残像を思い浮かべ、思慮の渦に入っていくタイプの絵かなと思った。ネットを見てみると「生と死の問題、そして、人間存在の根幹に存在する、孤独、嫉妬、不安などを見つめ、人物画に表現した。」とありました。ムンク、非常に興味がわきました。深めていきたいと思います。もう一枚印象に残る絵があたんですけど、それはモネの「睡蓮」です。有名な絵ではあるんですけど、やっぱり印象に残りました。風景画というのは、人物が描かれていなくても人の気配を感じるものなんですね。でもこのモネの「睡蓮」は、まったく人の気配を感じさせず、どちらかというと妖精の気配を感じさせるんですね。妖精というとかわいらしいイメージになりますが、自然霊のことですよね。確か、へたに人間が近づくと危険だと聞いたような気がする。モネは妖精というか、自然霊を見たのかもしれませんね。こうやって印象的なものを振り返ってみると、霊的なものに反応しているのかもしれませんね。

あ、そうそう、あと、「童女舞姿」(岸田劉生)という絵があったんですけど、この絵って確か教科書に載っていたと思うんですよね。また、いろんなところで目にする絵だと思うんですよ。この絵を目の前にした時、ここに本物があったんだぁという感じでした。暗い部屋にあの絵を置いて、少しのライトをあてると、本当に女の子が今から舞うんだなと勘違いしそうな感じの絵ですね。あの扇を持った右手が今にも振り下ろされそうです。大原美術館というか大原コレクションですか。かなりよかったと思います。

コメント
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