細胞のしくみ (入門ビジュアルサイエンス) | |
長野 敬 | |
日本実業出版社 |
旧約聖書繋がりということで、この本を読んでみた。感想としましては、やはり細胞というのは、よくできているなと思いました。感心するくらいによくできているというか、しくみがすごいなと思いました。すごく楽しく本を読ませていただきました。しかし、この本を読み終えて、なにか一つ物足りなさを感じたんです。なんか足りなくないみたいな感じなんですよ。なにかなぁ思ってみたら、細胞というのは、いったい何のためにこんなに働いているんだろうと思って、そしたら、この本には、霊(たましい)のことが書かれてないから物足りなさを感じたんだなと気がつきました。
細胞があんなに一生懸命働けるのは、そこに霊(たましい)があるからじゃないかなと思った。そこに霊があるから、分裂とか代謝とかをやっているのではないかと思ったわけです。だって、その細胞というか肉体から霊がなくなると、それらの細胞の働きは止まるわけですよね?そして、そこにある細胞は、壊死をしていって最終的には滅びるわけですよね?そんなことを考えていたら、やはり細胞というのはそこにある霊のために存在し機能をはたしているのかなと思ったわけです。。。思ったわけなんですけど、でもですよ、霊のために細胞が存在し機能していくって、それだけでもなんか違わなくない?と思うわけです。 細胞は細胞でしなければいけないことがあるわけですよ。その細胞の原動力というか働くエネルギーの元の元は、霊だと思うわけで、細胞のために霊が存在していると言ってもいいのかなと思ったわけです。だから、霊と細胞は、お互い様なのかなと思いました。
ネットをいろいろみていたらプシュケーというのが目に付きました。プシュケーとは、「古代ギリシャの言葉で、もともとは息(いき、呼吸)を意味しており、転じて生きること(いのち、生命)、また心や魂を意味するようになった言葉である。」とありました。この文章を読んだときに、創世記2-7の「主なる神は、土(アマダ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」の所が思い浮かびました。息をするということは、体内に酸素を取り入れて代謝しているという事だと思うんですが、代謝するということは、霊と細胞が一つになっている状態で、それを生命といい、その状態をプシュケーと言うのかなと思いました。
プシュケーという状態をいつ頃の状態からいうのかなと思ったのですが、母親の胎内にいるころからかなと思ってみました。産まれたばかりの赤ちゃんを見ているとですよ、すでに性格があるなと感じます。あの性格ってどこで出来上がっているのかなと思うんですよ。母親の胎内にいる時の影響もあると聞きますがそれだけではなくて、霊にもともとの性格がありそうな気がするし、細胞の方にも遺伝子というのがあるわけでそこにも性格がありそうな気がするんですよね。性格というか意思といった方がいいのかな。どちらの影響が強いのかなとも思ったんですよね。産まれたての赤ちゃんもそれぞれなんだなということが不思議なんですよ。でも、生物というのはその環境に対応していく能力があるということで、その後の環境が大きく影響していくんですよね。いろいろ考えていたら、狼に育てられた少女の話を思い出したりしました。
霊と細胞が一つになった時、代謝がはじまるわけですね。代謝をするために、他の細胞を必要とするわけですが、そこから狩猟とか農耕とかが始まったわけで、そこから経済の話に繋がっていくじゃないですか。だから経済というのは、霊とか細胞レベルの話なんだなと思いました。というか、霊と細胞が一つになった時に現れる現象なんですね。
人間の3大欲求として、食欲、睡眠、性欲というじゃないですか。それはそれでいいと思うんですが、それらを欲求と言っていいのかなと思うわけです。ネットに、「生理的・本能的な欲求」生物が生命を維持し子孫をのこすために必要な欲求である。外界からの刺激や体内の状態に直接結びついた、短期的な欲求である。「主に身体内部の情報に基づいた欲求」呼吸・食欲・飲水・排便・排尿・睡眠欲・体温調節・性欲とあったのですが、体内には呼吸系、消化系、あと排出系や生殖系があったり、脳があったりで、それらは、それぞれの細胞があつまった「組織」。人間の体をつくっている細胞は100種類ほどあるみたいで、同じタイプの細胞が集まったものが「組織」で、大きくタイプわけすると、上皮組織、結合組織、筋組織、神経組織の4つのグループになる。人体の各種機能系は、骨格系、筋肉系、循環系、神経系、呼吸系、消化系、排出系、生殖系とありました。無数の細胞が、見事にシステム化されて全身の各種「系」をなしているということです。で、人間の3大欲求は、食欲、睡眠、性欲ですが、これらをなにが欲求してるのかなと思ったわけです。それらを欲してるのは、細胞というか霊というかプシュケーなのかなと思ったわけです。その欲求のために、呼吸系や消化系、生殖系などなどが体内には存在しているというか設置してあって、それらの細胞がそれぞれの役割で欲求をし、それが脳に伝わって意識になってあらわれるのかなと思ったわけです。だから、人間の3大欲求というのは、「欲求」ではなくて「義務」なのかなと思ったわけです。別の言い方をすれば、肉体は、細胞というか霊というかプシュケーのための装置なのかなとも思ったわけです。だから、恋愛ドラマで、「あなたが欲しい」とか「あなたじゃなきゃダメなの」とかいう類の台詞はですよ、細胞というか霊というかプシュケーレベルからの欲求であって、それが脳に伝わり、言葉として発せられるのではないのでしょうか。たぶん。
死というのは、代謝が止まることであるならば、それは、細胞と霊が分離することを言うんですね。その場合、細胞はこの世に遺伝子を残しておくことができるけど、霊は、あの世とは言われてはいるけれども、どこにいくのかわからないんですね。ということは、霊はどこからやってくるのかわからいということですね。
ネットを見ていたら「生命とは何かについて、はっきりとした定義を与える事は難しい。」とありました。ということはですよ、人類というのは、自分達のことがよくわかっていないということなのでしょうか。宇宙とか他の星なんかよりも自分達の存在が最大の謎なのでしょうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます