夢中人

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杜の都

2014年07月07日 | Weblog
あの日、何も知らずにテレビに目を向けると、小さい漁港が映っていて、そこに大きな船が映っていたのです。その船は多少の波では動くはずもないくらいの大きさだったのですが、波の意思によって本来の船の動きではない動きをしていたのです。 
この鳥は、あの日の光景を見ていたのでしょうか。


杜の都仙台に行ってきました。仙台に行くのは初めてで福岡空港から2時間かからなく、なんの苦痛も無く簡単に行けてしまって「はるばるやって来た」という感じがまったくなく、良かったのか悪かったのかという感じでしたがグッと距離感が縮まり仙台は身近なエリアとなりました。
仙台駅に着いての第一印象は、すごく都会だなぁでした。ビルが立ち並び、交通量も多くてとても賑やか。若者も多くおしゃれ感も漂っている。


到着したのが丁度お昼時だったのでランチをとれる所を探索していたら、EDENという場所が目につきました。オープンカフェの様子なのですが、道路に面していなくて中庭スタイル。で、その中庭のガーデニングがいい感じ。ビルの谷間の空間で、隣のビルのコンクリートがむき出しではありましたが、なにかしら都会感があり、それを含めでとてもいい感じでした。
EDENを出て、駅周辺を探索してみました。並木がとてもきれいで、アーケードがありましたのでそこを歩いてみると、本当に賑やかで沢山のお店が立ち並び興味をそそられるばかりでした。興味をそそられあれやこれやみていたら、Acid Black Cherryセキスイハイムスーパーアリーナライブ会場行きのシャトルバスに乗り遅れていました。が、ライブにはギリギリ間に合いました。会場に入ってすぐに始まりました。
そのライブ会場は、市街地から離れているらしいと情報は入っていましたが、まさかあれ程とはと驚きました。ライブ会場へと行く途中の景色を見ていたら、家々が立ち並んでいるワケです。空港から仙台市内に入る途中の景色も同じことを思ったのですが、とても大地震が起きた後の景色には見えない。それは仙台駅周辺でも思った事で、どちらかというと住宅にしても市街地の建築物しても、比較的新しい感じがして町中が綺麗なのです。この疑問を訊いてみると、この地域はずっと以前から大きな地震があって、建物自体の耐震構造が優れているらしく、前回の東日本大震災でも地震による被害はそうでもなく、一番大きい被害は新幹線が受けたのだとありました。東日本大震災で大きな被害をもたらしたのは津波なのですね。
そんなしっかりとしているという建築物を見ていたら、今回のライブ会場のネーミングに「セキスイハイム」とありますが、セキスイハイムと言ったら住宅販売会社。これは、耐震構造に自身ありということで、この地にネーミングライツしたのかなと思ってみました。
今回のこの旅で、被災地という所へは行きませんでした。もちろん気にはなりますが今回は行きませんでした。現地の観光ガイドさんは、津波を受けた場所を見てみると津波の恐ろしさがわかると言われていました。また、被災地に住まわれていている方がいらっしゃって、その方々は大きな船が建物の上に乗ったりしている光景、それはただただテレビでしか見ているだけしかできなかった光景を実際に見ていらっしゃったようです。
移動する乗り物の中から、おそらく仮説住宅だろうなと思われる建物もありました。でも、仙台市内だけしか見ていませんが「復興」という言葉が適当なのかなとも感じました。復興というよりも・・・復興というよりも「リベンジ」なのかなとも。耐震構造が優れているというのはリベンジを繰り返してきたからそうなったのかなと思うし、日本語で言うところの「再挑戦」のなるワケかと思ってみました。
バベルの塔は、人間の可能性を信じる神と再挑戦に挑んでいく人間の話。


仙台に行っての感想は、一言でいうと「ここどこだっけ?」です。それはなぜかというと、全体的に建物が比較的新しい感じで東北らしさというか、地域性を感じる景色ではなかったと思うのですよね。また、東北弁というか東北なまりを感じなかったし、山を歩く機会があったのですが、天気がものすごくよいのはいいことだったのですが、暑くて予想外の日焼けもしてしまって、ここどこだっけ?あれ?私、九州からきたよね?みたいなそんな感覚に陥りっぱなしの状況でした。表面的にはそんな感じだったのですが「気」なるものは違ったのかなと感じました。杜の都の「杜」というのは、ふさぐ、とざす、封鎖するなどの意味があるとのことですが、土地的に何かを封印しているのかなと思ってみたのです。
何かなと思ってみたのですが、人間の欲的なものを封印してしまうのかなと思ったワケです。この旅ではよくお寺に行きました。仙台市内のアーケード内にもお寺があって、なぜかよくお線香と蝋燭をあげていて、あれらのお寺を巡っていると、京都というのは都なのだなというのを思いました。その時代の最先端の建築様式で洗練されているのが京都あたりのお寺なのに対し、今回のたびで巡ったお寺は自然の景観のなかにあるお寺と言ったいいのでしょうか、そんな感じの場所でした。
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