夢中人

sura@cosmic_a

黒島

2008年05月13日 | Weblog
先日、黒島という島に行ってきました。
黒島は、佐世保の相浦桟橋からフェリーで50分。
どんな島だったかというと、一言でいうと写真を撮りたくなるような島でした。





まず、なにが目を引いたかというと、花です。
野に咲く花々がきれいでした。色とりどりの花々でした。
また、野に咲く花々だけではなく、各家々でお花を育てているみたいで
その花々もきれいでした。
なぜこんなに各家々でこんなにお花を育てているのかと不思議に思ったら、
それは、黒島には黒島教会という教会があって、そこの礼拝堂に
各家庭からお花を持ち寄って飾っているだからだそうです。
確かに、礼拝堂にはステキなお花がアレンジメントされていました。

この黒島教会は、フランス人のマルマン神父の指導により
1902年に完成した教会だそうです。
祭壇の床にきれいなタイルが貼ってあったのですが、それは有田焼のタイルとのこと。
なんでこんなりっぱな教会がこの島に?って感じなんですが、長崎県には田舎に行けばいくほど、
こんな教会があるんです。
それはやっぱり隠れキリシタンの影響なんでしょうね。
江戸時代に豊臣秀吉が、キリスト教を信仰すること禁止したみたいで、
でも、キリシタンだった人々はやめることなくこっそりと信仰を続けていたそうです。
そんな禁教下、幕府は「踏み絵」などでキリシタンであるかないか一人一人、
隅から隅までチェックしていたみたいで、もしキリシタンだとわかると、持ち物を制限したり、
そればかりではなく、ひどい拷問や処刑などがあったそうです。
あと、建設された教会も破壊していったみたいですね。
この隠れキリシタンの歴史の中には、「島原の乱」という出来事もあって、
それは、島原・天草の領民約3万7000人が島原半島の原城に立てこもり、
幕府軍の総攻撃により、老幼男女の別なく皆殺しという凄惨な結末を迎え、
そして、この乱の最後の舞台となった原城は徹底的に破壊されたそうです。
明治政府になってもその信仰弾圧は続いたのですが、
世界からの批判をあびた日本政府はキリスト教を黙認するようになったみたいです。
この出来事は、小学校だったか中学校だった忘れたけど、授業時間に聞いた。
改めて知るとひどい話だなぁと思って、でもだよ、この話って過去の話だけじゃないよね。
隠れキリシタンと中国のチベット問題が重なるけど。
。。。そうだ、重なる。
隠れキリシタンの話は耳をふさぎたくなる内容が多いみたい。
でも、ふさいではいけないんだ。
しっかりと聞かなければいけない。
この隠れキリシタンの歴史は絶対に忘れてはいけないものなんだ。
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