夢中人

sura@cosmic_a

検察審査会

2010年05月12日 | Weblog
先日、池上彰さんの番組を観ていたら、検察審査会の事を言われていたんですよ。
おぉ~、検察審査会と思ってその解説を聞いていました。

Wikipediaによると、検察審査会とは、検察官が独占する権限(公訴権)の行使に民意を反映させ、
また、不当な不起訴処分を抑制するために、地方裁判所またはその支部の所在地に設置される、
無作為に選出された国民(公職選挙法上における有権者)11人によって構成される機関。
検察審査会法(昭和23年7月12日法律第147号)に基づき設置されている。

なるほど。。。「起訴」というのは、検察の独占なんだ。起訴独占主義とも書いてあった。
起訴とういのは、裁判を受けるための流れ?手続きみたいなものかなぁ。それが、検察が独占してるんだ。
ということは、裁判するしないの判断は、検察にあるということなんだね。
ということは、裁判って、検察側が罪を暴く場ってこと?もしくは、検察の正当性を確認するところ?
だって、起訴した件って、ほとんど有罪なんですよね。
で、その中で、検察が起訴しないやつもあるんですよね。不起訴ってやつ。
それに疑問を持った人が、申し立てをして、検察審査会で起訴することもできるということなんですね。

何冊か読んだ本の中に「裁判を受ける権利」という言葉があったのですが、
それって、検察に委ねられているということなのかな。

池上さんの番組の中で、検察が不起訴にした件に疑問をもったら、検察審査会で起訴できると説明されていいたのですよ。
で、検察が、起訴したものに関しては、裁判によって有罪か無罪が決まると言われていたのですけど、
その現状って、検察が起訴したものに関しては、ほぼ100%に近い感じで有罪なんですよね。
それに、もし、無罪だとしても、その無罪を取るのに、何年も、もしくは、何十年もかかっているのではないのでしょうか。
その説明を聞いている時に、疑問があったのですよね。
明らかに、罪を犯している人であればいいと思うのですが、どうかな?という人もいるワケですよね。
そのどうかな?という人が裁判に何十年も費やしているワケですよね。


こないだ、携帯をいじっていたら、ワンセグを見るつもりではなかったのに、ワンセグ画面になってしまったのです。
そしたら、どうやら、外国の大学教授の白熱授業風景が映し出されているみたいで、悪くはなさそうだと思い、
それをしばらく見ていたのですか、その中で、「理性が行動を決める」などなど哲学の話をしていたのです。
その大学教授は、いろいろ話していたのですが、その「理性が行動を決める」という言葉だけが印象に残ったのです。
。。。例えば、思ったのです。
取調べというのは、どんな人でも、まいってしまう状況だと聞きましたが、それは、理性を打ち崩す感じなのかもしれないなと。

。。。などと、映画や本からの情報で思ったことを書いていますが、今は、一つの視点から見てるものだと思うのですよね。
本当に罪を犯してしまって、隠し通している人もいるだろうし、そういう人達は、白状してしまった方がいい状況なワケなんだろうし。。。
私が読んだ、司法に関する本は、本当に簡単に書いてあるものだと思うのですが、いろいろなことが書いてあるのですよ。
いろいろな事が絡んでいるのだろうなと思うワケで、なんていうのですか、的というか、焦点がありそうで、ないのかもみたいな。
なんかこぅ、モヤモヤ感がある感じなのですが、まぁ、司法に興味を持ったのも、つい最近のことであって、
引き続き興味を持っていかなければなと思っています。

そんな中でも1つだけ感じたことがあります。
それは、「正義」とは、孤独で、痛くて、つらいものかもしれないと。
「正義」は光の中にあるワケでもなく、人々の前に現れるワケでもなく、闇の中にあるのかもしれないと。
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