夢中人

sura@cosmic_a

法隆寺

2008年09月18日 | Weblog
法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築。
訪れたのは2回目。前回は高校生の時の修学旅行で一度行きました。

 
 
 
603年(推古13年)聖徳太子は飛鳥を離れてこの斑鳩にある法隆寺に引越ししちゃうんです。
聖徳太子はなぜ都を離れ、この斑鳩にきちゃったんだんでしょう?
ん~。。。と考えてみて、もしかしたら、蘇我一族の一員としてこの世に生まれてきちゃって、
しかも賢かったばっかりに国政のお仕事をせざるおえないことになっていて、しかも重要なポスト。。。
でも、太子は、一生懸命に国政のお仕事に力を注いだはず。
そんなある時、太子はもっと仏教のことを研究してみたいと思ったんじゃないかな。
それで、飛鳥周辺に引越ししちゃっても同じ状況になるだろうし、それだったら飛鳥を出て、でも遠すぎずの距離
(飛鳥から斑鳩につながる太子道をつかって徒歩で3時間くらいの距離)にあるこの土地を撰んだのかなぁと思いました。
その当時のお寺は学校みたいなところだったんですよね。
そうすると太子はそこで、仏教を研究する学者さんということになるのかな?
法隆寺の中には、東室や妻室という、僧侶が生活していた住居があるんですよ。
 
それって、今言う学生寮みたいなんものなのかなぁと思ったです。
太子は仏教の研究にも、そして教育にもちからをそそいでいたのかなぁ。。。

お寺の建築の目的は教育だったのかな。人間力を高めるお勉強を広めて、それを国の力にしていきたかったのかもしれないな。
それは、太子はもちろん、蘇我馬子さんも推古天皇も同じ気持ちだったんだろうな。
学び続けるには生きていかなければならないよね。生きていくことで学べることも沢山ある。
多くの人々が、生きていって学んでいけるようにと、お寺にはそんな願いもこめられているのかもしれないな。
お寺ってそうなのかなぁ。。。と思っていて、法隆寺にて文字を書く機会にあったんですよ。
その時にかいた文字です。

「生きていくこと」「学んでいくこと」と書いてみました。
日本には書道という道がありながら、私は文字を書くのはイマイチです。
筆を持つのも随分と久しぶり。
。。。でも、書道っていいかもと思いました。一文字書くだけで何かが違いますね。

  
  
こちらは、太子が瞑想にふけったという夢殿。太子はどんな瞑想をしたのかな。。。
法隆寺は、その当時の国を司る方々の願いや希望がこめられた所なのかな。
日本に繁栄をもたらし、そしてずっと学び続けていけるようにと。

法隆寺では沢山の写真を撮ったけど、この写真が一番のお気に入りとなりました。

五重塔の屋根と空しかなんですけど、なにかいいんです。

法隆寺にもうそろそろ紅葉の季節が訪れようとしています。
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