夢中人

sura@cosmic_a

私と小鳥と鈴と

2009年02月03日 | Weblog
下関には、時代を映し出している女性が一人いらしゃるようです。
それは、金子みすずさんです。みすずさんは詩人。
恥ずかしながら、みすずさんのことは、名前は聞いたことはあっても、
よく知らなかったんです。
でも、萬斎様が出演されている「にほんごであそぼ」を観るようになって
みすずさんの詩を知りました。

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私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面(じべた)を速くははしれない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私。
みんなちがって、みんないい。
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前の記事で書いた下関でいただいた地域情報誌にもみすずさんの詩があったんです。

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おり紙あそび

わたしの十のゆびさきで、
まず生まれます、虚無僧が。

みるまに化ります、鯛の尾に、
ほらほら、ぴちぴちはねてます。

鯛もうかべば帆かけ舟、
舟は帆かけてどこへゆく。
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。。。この詩って楽しくないです?
私的にはすごい楽しいです。
この詩って、すごいイマジネーション。

どうやらみすずさんは26歳という若さでこの世を去られたようです。
自ら命を絶たれたようですね。
ネットでザッとしか読んでいませんが、養父の決めた相手と結婚をされたんだけど、
その相手ときたら女遊び好きでどうやら遊郭に通っていたみたいです。
その関係でみすずさんは淋病にかかってしまったそうです。
養父は、みすずさん達を離婚させようとしたが、みすずさんが妊娠をしているのがわかり
みすずさん本人が離婚をしないと決めたそうです。
でも、夫の嫌がらせはエスカレートしていばかりで、みすずさんに詩を書くのを禁じたりしていったとか。
そして、26歳のある日、離婚話も正式に進んでいたのですが、
みすずさんは子供を引き取って育てたかったのですが、夫が引き取るということになってしまったそうです。
そして、子供を夫に渡す前の日にみすずさんはみずからの命を絶ったようです。

みすずさんの詩は一部しか読んでいませんが、きっとみすずさんは風になりたかったんでしょうね。
風になって子供のそばにいたかったんじゃないかなと感じました。
そしてまた時代でしょうね。時代が彼女をそうさせたんじゃないかと思います。
今だったら、みすずさんは有名な女流作家となるわけですよ。
生活力もあって、子供もりっぱに育て上げられたはず。
年収何千万かは知りませんが、お金もきっちり稼いでりっぱに子供を育てているシングルマザーと
上げられるわけですよ。
そんな時代があったんですね。
女性達にとってはちょっと生きにくい時代だったのかもしれませんね。
下関にはちょっぴり悲しいけどそんな女性の足跡が残されてあるんですね。
そんな時代があったから今がある。

「気」というか「エネルギー」というか「エナジー」といっていいんでしょうか。
それは「やさしい」んですね。
金子みすずさんの詩からはそんなものを感じるようです。

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花魁道中

2009年02月03日 | Weblog
下関で地域情報誌をいただきました。
これがフリーペーパーなのかと思うような内容ばかり。
いろいろ気になる記事が載っていたのですが、その中に「先帝祭」のことがありました。
先帝祭というのは、今から820年前、源平合戦で敗れた平家とともに、
8歳で壇之浦の海に沈んだ安徳天皇の霊を慰めるために、生き残った平家の女官達が
幼い幼帝の命日に正装して参拝したという悲話に因んでいるということです。
。。。8歳ですか。今でいうならば小学校2年生か3年生くらいですね。
その幼帝の御霊を祀られているのが関門海峡を望む小高い丘に建つ赤間神社だそうです。
その赤間神社が先帝祭の舞台となるみたいなんですが、その先帝祭の見せ場であるのが上臈参拝だとか。

この上臈参拝なんですが、載っている写真を観てみると、花魁道中のようです。
豪華絢爛な衣装を身に纏い、髪飾りもこれ以上はつけられないくらいの量のかんざしを挿し、
そして、あの厚底の下駄を履かれているんです。
。。。どうみても花魁道中。花魁といえば遊女。なんでなんだろうと思ったら、
「一説には、生き残った平家の女官達が遊女として命をつないだのが郭(くるわ)の起源だとも
言われている」とありました。
。。。そうなんですね。生き残るためにだったんですね。

下関にはかつて大きな遊郭街があったそうなんですが、昭和20年の下関空襲で全てを焼失してしまったそうです。
下関にそんな歴史があるなんて知りませんでした。
ある意味、ちょっぴり悲しいけれど女性の歴史が残っているところでもあるのかなぁと思いました。
花魁といったら悲しいお話ですよね。
数々の女優さん達が演じてくれたのを観てきましたがどれもこれも悲しいものばかり。。。
でも、その中でも悲しい場面とはうらはらに花魁道中の場面は豪華絢爛で華々しいです。
でもかえってそれが物悲しかったりする。。。
花魁道中を演じてきた女優さんたちがそれぞれに言われていたんですが、
かつらと衣装でだいたい25キロになるそうなんですが、あの格好で歩くのは無理に近いと言われていました。
。。。そうですよね、そんな感じですもんねぇ。しかもあの下駄。さらにあの歩き方。
とても一人じゃあるけないみたいですよ。
当時の花魁達もさすがにきっついなぁ。。。と思っていたんじゃないかな。
でも花魁達はやったんですね。あの花魁道中ができるのは、運よくスポンサーがついた場合にできたようですね。
私は、あの花魁道中ってなんなんだろうと思うんですよ。
多くの花魁たちの中でも花形である証でもあるんだろうけど、それだけじゃないような気がするんです。

確か、歴史上で花魁の個人名は残っていなんじゃないかな。
そんなこと花魁たちはわかっていたんですよね。そんなどうしようもない状況から身動きができなかったんです。
でも、このままじゃだめだ。。。そう思っていたに違いないんです。
ただ自分達は、自分達という存在がいたということを忘れさせてはいけない。
そんな気持ちが花魁道中をつくり上げたんじゃないかなと思うんです。
花魁個人の力では後世に遠い昔の悲しい話だけと残るだけで、実際に目に見える形では残らない。
(花魁の日記でもあればなぁと思うんですけど、それもできない状況だったんじゃないかな。。。)
そこで花魁達は、豪華絢爛な衣装や髪飾り達に力を借りたんでしょうね。
必要以上に豪華な物を身につけ、人目をひくような歩き方で訴えていたんです。
「あたしたちがいたことをを忘れないでくださいねぇ」って。
あの花魁道中の花魁は遊女達の思いをもしょっていたんでしょうね。

戦時中のお話で、たまに兵隊さん達が、「後世の為に戦う。きっと後世は平和になっているに違いない」みたいな
台詞を言われているのを聴いたりするが、この花魁たちももしかしたら
そう思っていたかもしれないなと思ったりもするんです。

沢山の遊女の中で、その遊郭を無事に出て行けたのは、ほんの一握りだけだったとか。
亡くなっていかれる方達が多かったとききました。亡くなっても裏門からひっそりと出されたそうです。
そんな悲しい時代が日本にもあったんです。そんな時代の形を残してくれた女性達がいるんです。
だから今の女性達がいる。
情報誌の最後では、「上臈参拝はただ進化をとげたのではなく、女性達の心から心へ
受け継がれてゆくなかで真価を纏ったのだと感じた」とありました。
本当にそうだと思いました。
花魁道中の花魁は、今でも女性達の思いをしょって歩いているのかもしれませんね。
いつかこの幼帝祭の上臈参拝を実際に観たいと思います。
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サンキューパス

2009年02月03日 | Weblog
今回の湯布院への旅の移動手段はバス。
そう、サンキューパスを使ったんです。
九州は高速道路がいいのか、移動がしやすいように思えます。
道路もよければ、サンキューパスもありがたい。
本当にありがとう!サンキューパス

で、そのありがたいサンキューパス。九州内だけの移動だけじゃなく、
な・・・なんと、「+下関」が付いたというじゃありませんか。
このサンキューパスさえあれば勝手気ままに下関まで行けちゃう。。。
くぅ~。。。これは行くっきゃないということで、下関まで行くことにしました。
行きかたルートは、湯布院から別府まで行き、別府からJRのソニックに乗って小倉まで。
(注・JRはサンキューパスは使えないので別途お支払い。サンキューパスを使おうとするならば、
湯布院から博多に行って、博多から下関にいくこともできるんですが、時間的に2倍は違います)
そして、小倉から関門トンネルを通り下関に到着するわけです。。。。フッフッフッフ。。。

下関で待ち受けていたのは。。。
河豚
ふく
フグ~~!!

あっちでもこっちでもフグが歓迎してくれました。いや~感激だなぁ。
ふぐ。。ふく。。ふぐ。。がいっぱい。
下関到着後すぐさま向かった先は唐戸市場。
最初はバスで行こうかとしたんですが、天気がよかったので歩いていくことにしました。
歩いていくとまず、展望台が目につきました。
ムム~。。すごい建物だなぁ、トロフィーみたい。。。と思いながら
足はてくてくと唐戸市場方面に。
海辺の道を歩いて行ったのですが、気持ちがよかったです。
そーとーよかったです。
てくてくてくてく、ゆっくりてくてく。
あったあった。レトロな建物を横目にてくてく。

。。そして、唐戸市場へ到着しました。

市場はにぎわっているのかなぁ。。。と思いきや午後到着だったため静かでした。。。
いやぁ。。。それにしてもこの唐戸市場といっていいのかカモンワーフといっていいのかここからの景色はすばらしい。
目の前にはドド~ンと門司港ですよ。
そしてたくさんの船が行き交っていました。

あっ。。。あれに観ゆるは関門橋ではありませんか。
。。。ということで記念写真をパチリ。

あぁ。。。関門橋↓関門橋↑(矢印はアクセント)

     関門橋よ。。。→

     あぁ。。。関門橋。。。


。。。決まった。。。フッ。。。

そして下関を離れる時は船で門司港まで行きました。
この船はサンキューパスで乗れちゃうんですよ。

下関ではいろんなことを感じました。
それはつづく。。。です。
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