夢中人

sura@cosmic_a

村松風二人汐汲

2014年01月24日 | Weblog

The beginning
クリエーター情報なし
A stAtion
綾香の「The beginning」に入ってる「Hello」は、自分的にですが「枕草子」の幕開けにぴったりっぽい。
そして、「枕草子」に引き続き読んでいるのが「万葉集」。こちらはAAAの「恋音と雨音」が流れながら読んでいる感じでしょうか。きれいな歌ですよね。
AAA / 「恋音と雨空」Music Video

万葉集とは何かとは、まだわかりませんが「想い」なのかなと感じます。それぞれその時、あの時、いく万の想いを言の葉に変換したのを集めたものなのかな。ここに綴られている想いが、日本人の精神文化となっているとどこかに書いてあったなぁ。だとしたら、今、外国で受け入れられているという日本のサブカルチャー、J-POPや漫画などもここから繋がっているのかな。テレビのインタビューで外国の日本のサブカルチャーファンの方々が、日本はこうなんだと語っていらっしゃったのが印象的でした。


先日、歌舞伎を観ました。「坂東玉三郎初春特別舞踊公演」です。
その中に「村松風二人汐汲」という演目がありました。ストーリーは、時代は平安時代。天皇の孫に当たる在原行平という男が帝の怒りを買って須磨で罪をつぐなうことになったのです。その須磨で汐汲みをする姉妹に出会いました。姉を松風、妹を村雨と名付け寵愛したのです。ですが年月が経ったある日、行平は罪を許されて都に戻ることになりました。その時に寵愛した姉妹への形見として、烏帽子と狩衣を松に掛け、行平は都へと戻っていきました。残された松風と村雨は、形見を行平と思い、悲しみの内にその面影を偲びながら、やがてこの世を去ったのです。
そして、目の前の景色は須磨の浜辺。そこに、松風(坂東玉三郎)と村雨(中村七之助)の霊が現れました。姉妹は行平との恋を想いながら汐汲みをします。松風は、行平の形見を見につけて、行平の面影を偲びながら舞います。いつしか松風と村雨は姿を消してしまう。

なんとも悲しいお話でありました。松風と村雨は汐汲みをしていたのですが、職業的には海人になるのでしょうね。この海人をいう職業は万葉の時からあるみたいで、万葉集の歌に「志賀の海人は 藻刈り塩焼き 暇なみ 髪梳の小櫛 取りも見なくに」というのがあります。訳すると「志賀の海人おとめは海藻をとったり、塩を焼いたりで暇がないものだから、髪をすく櫛さえ手にとってみることはない」。海にも浸かるし、それこそ時間、天候などが左右するかなと思うし、なり振りかまわなかった感じでしょうか。この歌を詠んだのが、風流を嗜む斬新な文化の担い手「風流侍従」と呼ばれる石川少郎(いしかはのをといらつこ)という人物だとか。この都で雅に最先端に立つ「風流侍従」と呼ばれる男が、働きまくる海女を見て風流と感じたのか。。。というか、石川少郎にしてみれば宮廷で優雅な姫君達ばかり見ていたのだろうし、海女をみて、なにかこう思うところがあったのでしょうね。海人に関しては他の説明もあって、大和民族とは異種の、海辺を流れ渡っていく、わたらいの民であるとありました。日本の両岸を沿岸沿いに東北地方にまで行っていたとありましたが、これはジプシーみたいな感じだったということかな。。。ちょっとよくわかりませんが、海人は、なり振りかまわず身なりにかまわなく働いていたということですね。しかし、目の前に現れた村松と村雨は、そんな歌の中の海人とはかけ離れた美しい海人でした。美しい衣装を身にまとい、さらに美しい汐桶で汐汲みをして行平のことを思っているのです。この目の前に繰り広げられている場面は、村松と村雨の想いがつくりあげたみたいな感じなのですが、どうかなぁと思うところもあります。どちらかというとい、行平想いがこの場面をつくったのじゃないかなと思うところもあります。行平は罪を償うのに都落ちしたのだと思うのですが、当時、都落ちといったら結構痛かったと聞きました。当時の流刑は、都からの距離によって定められていたとありました。配流が決まった恋人の歌もあるんですね。「君が行く 道のながてを 繰り畳ね 焼き亡ぼさむ 天の火もがも」訳すると「あなたのいらしゃる道の、長いみちのりをたぐり寄せて畳んで、焼きつくしてしまうような天の火がほしい」ということだそうです。作者は狭野茅上娘子(さののちがみのをとめ)。配流となったのは、彼女の夫の中臣宅守。どういう罪かというと、宅守が娘子を娶ったことで天皇の怒りに触れた事にあるようです。
ま、とにかく、当時の都落ちは痛かったらしく、蟄居というのは閉門のうえ一室に謹慎されるものとありました。行平が天皇の孫だったから罰がゆるかったという設定もありかもしれませんが、罪を償いに行ってるのに、姉妹とですよ、どうなっちゃってるの?って感じじゃないですか。だからして思うのですが、極端に言ってしまえば、松風と村雨という姉妹は実在しなかったのではないかと。もし実在したとしても、行平と接していなかったのかもなと思うところもありです。行平は、都落ちになって身も心もボロボロ。謹慎された部屋からは浜辺が見えて、そこに姉妹の海人。どうやら名前は、もしほとこふじ。ちゃんとした名前があるにもかかわらず行平は、都風なのでしょうか松風と村雨と名付ける。あとは妄想の世界。身も心もボロボロの行平にとって、小さい窓から見える浜辺の海人が唯一のなぐさみだったかもなと。その浜辺にいた海人も、なり振りかまわずに働いていたと思うのですが、行平にはキラキラした存在だったかも。だから、あの場面の海人の姉妹は美しいのかもしれないと思いました。もし、あの場面が松風と村雨の想いだとしたら、思い出じゃないかな。ま、でも、行平は都に戻れたというし、よかったじゃないですか。初めは、姉妹の悲しいお話なのかと思いきやそうではなく、行平の夢なのか、悲しみを埋める妄想ではないのかという解釈となりました。

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2014年書初め

2014年01月02日 | Weblog
 
          形声。日(太陽)+音符寺シ。日の移り変わり。ひいて、「とき」の意に用いる。

新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
2014年書初めに選んだ文字は「時」。新しくした漢和辞典にて引いてみました。
角川必携漢和辞典
小川 環樹
角川書店

一年があっと言う間と感じる今日この頃。枕草子を読みながら、千年とはいったいどんな感じなのだろうと思った。あっと言う間だったのか、それとも長かったのか。どんな時の流れを感じていたのだろうかと思ってこの「時」を選んでみました。

パッと見、時という字は「日」と「寺」に分かれている。
「寺」を調べてみると、(1)①役所。政務を執る所。②てら。「寺院」(2)①はべる。②そばづかえ。特に宦官のこと。「寺人」<<(同)侍。
意外にも宗教的な意味合いが書いてあるのかと思いきや、そうでもない感じ。「寺人」とあるが、寺人と書いて侍。侍を引いてみると、そこにも「はべる」とある。うやうやしく付き従うことをいう。侍るとなるのですね。

「はべる」ってどういうのを言うのかなと思ったところ、よく時代劇で殿様とかに対して伏せている感じの場面がありますよね。あの感じなのかなと思ってみた。で、あの感じをずっと思い浮かべていたら、「己」という字が浮かんできた。あの伏せている感じはですよ、「己」という字の体制ですよね。
「己」を引いてみたら、「つちのと」とあった。五行では土、方位では中央に配する。
「つちのと」の「と」は「弟」にあたるみたいなのですけど、「寺」という字は「土」に「十(と)」に「・」と書くなと思ってみました。
「弟」を引いてみると、・おとうと。(対)兄。古くは妹をもさす。(同)娣(類)妹・でし。門人「高弟」(対)師・次第。順序。(同)第(類)但・助字(ア)ただ。ひたすら。(イ)しばらく。(類)且

なんだか「時」というのは、この「弟」にかかっているような気がするな。

一年の四つに分けられる季候を四季といいますが、四時とも言うのですね。四季といったら五感で感じるものという感じなのですが、四時と言ったら太陽の動きを感じるかな。「時」の「日」は四時のような気がする。それは宇宙空間のイメージ。
「時」と言ったら、勝手というか自然に動いているものと思っていたが、作用によって動いているのかもね。
宇宙空間自体は、時が流れたなぁと感じる事ってあるのかなぁ。だってさ、一つの物体がさ、不老不死とまで言っていいのかわからないけど、おそらく永遠にというか、ずっと長いこと同じ動きをしている感じ。なんか、時の流れというのがなさそうな気がするなぁ。そこに受け継ぎという感じはないよね。星も生まれたり死んだりしているみたいなのだけど、受け継いでというワケではないよね。おそらく。
「時」という字は、太陽信仰の意味にも受け取られる感じもする。それは、地球という星に生命体が存在した時から受け継がれていたのかも。生活様式はさまざまで「創」によって変化してきたのかもしれないけど、根底にあるものは変わらないような感じ。変わらぬものを受け継いでいく。それが「時」なのか。とすると、「時」は、この星の特有なものなのかなぁ。 
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枕草子

2013年12月17日 | Weblog
枕草子を読んでみた。
枕草子 (ビジュアル版 日本の古典に親しむ)
田辺 聖子
世界文化社

作者の清少納言は、今から千年前の平安時代に中宮定子の女房として宮仕をして働き生活をしていた女性。
中宮定子には沢山の召使いがいたはずで、彼女はその中の一人。ここで清少納言は、しきたりや形式に則って生活をしていったのでしょうね。それはそれで良かったと思うのですが、彼女は妄想好きの自由な心の持ち主だった。その思いを紙に書き綴っていくのが楽しかったに違いない。書いていくうちに本音が出てきたりもして、あ、自分こんなこと思っていたのだなんて感じたこともあったのじゃないかな。
他にも、流行り物も決して嫌いではなかったと思うワケで、当時の風潮も入っているような気もする。
そんな本音も書いてある清少納言の文を読んでいると、手紙を読んでいる気分になる。そして、返信をしたくなる。
きっと当時はそんな術がなければいけなかったのかなと感じます。

枕草子を読んでみて、今も千年前も変わらないのだなと思ってはみたものの、いや違う、千年前の生活が受け継がれて今に至るのだなと思った。描かれている生活が日本人のDNAに刻み込まれているみたいだと。
唯一つ現代と違うなと感じるところがあるとすれば、時間の流れ方でしょうか。そこはなんとなく違うと感じる。ゆったりと流れているなと思う時もあれば、明るいうちにやらなければいけない事もあっただろうし、暗くなったら暗くなったであったろうし、それはそれで忙しかったのかもなと思う所もある。当時の夜は真っ暗闇だったでしょうね。現代の日本では体験出来ることできないのではない暗さなのではないのかなと思う。漆黒の闇、黒い世界、物の怪たちの世界。あぁ、闇ってワクワクするものなのですね。その状況が妄想力をかりたてる感じです。
上村松園「雪月花」
枕草子では、それぞれの四季が愛情深く描かれてあるのですが、私的には、今が冬ということもあるせいなのか、冬の景色が心に残りました。コントのような「雪の山」。登場人物が多くてワイワイとした様や、中宮のノリの良さ。清少納言の負けず嫌い感。ハラハラ感。自然との戯れ感などを感じました。そして、「雪の夜」。このお話の中に古歌が出てきます。「山里は雪ふりつみて道もなし今日来む人をあはれとは見む」。この古歌ですが、「お仕えしはじめたころ」にも出てくるんですよね。人気の古歌だったのかなぁ。しかし古歌ってあんまり触れた事がないなぁ。。。解説には「拾遺集」とか「古今和歌集」などと書いてある。をかしな感じなのかな。をかしきことって私的にはドラマテックな事として読んでいることが多い。生きている事をかみしめる、そんなドラマテックなこと。いとをかし。
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五代目坂東玉三郎

2013年10月02日 | Weblog
博多座に坂東玉三郎さん演出の「アマテラス」を観に行きました。天の岩屋戸のストーリー。
この坂東玉三郎さん演出の「アマテラス」。一言でいうと、持ってかれました。持っていかれてしまいました。。。

博多座で「アマテラス」があると気付いた時には、すでにチケットは無く「え~それ困る」と思ったのですが、当日券があるということで、それで観る事が出来ました。場所は3階の一番後ろの立ち見席。そこの場所から観ても、なんというんですか、玉三郎マジック。。。いやマジックじゃない。あれはマジックじゃない。そんなんじゃなくて、魅力。。。うん、魅力。。。という範囲で抑えられない、なにかわからない、わからない。。。とにかく、とにかく持っていかれてしまいました。私的には、とにかく持っていかれているので、その舞台が観たいワケです。で、なんとか3回は観る事が出来、幸運なことに、そのうちの1回は、前から3番目の席だったと思うんですけど、そこで観ることが出来たんです。
見る場所が、遠くても近くても同じように感じたことなんですけど、霊的なんですね。玉三郎さんの舞台を観るのは今回が初めてで、まだ他の舞台を観ていないので、感じ的にどう言っていいかということなんですが、霊的なものを感じました。神の世界を描いているからというわけでもなさそう。舞台の上の玉三郎さんに触れると、手がスッと玉三郎さんの身体を通り抜けていきそうな感じでした。あともう一つ感じたのは「無」。「無」と「美」ってなにか繋がりがあるのだろうなぁ。

第一幕で、玉三郎さんが踊っていらっしゃったんです。なんと言っていいかわからないのですが、おそらく、すごい技が入ってる踊りではないと思うのですが、なんか惹きつけられるというか魅入ってしまう。それは、遠くから観ていても同じように思いました。その踊りは、私にとって「自由」でした。衣装はオレンジ色で、それは空に映ったり、海に映ったり、泡になったり、鳥になったり、玉三郎さんのアマテラスは自由。自由自在。もう、魅入る以外なかった。。。

坂東玉三郎さんは歌舞伎役者さんで立女形。女形の存在の事をあまり考えた事はなかったんですけど、今回、玉三郎さんを観て思ったのは、自分的にはおそらく、目の前にいる演じられている女の人は、まさに女という感じなのだけれど、演じているのは男性であって、女っぽく女を演じているのだけれど、もともとは男であって、女のでありながら、時たまチラッとみえる男の気配に惹きつけられるというか、キュンとくるんですね。まさに胸キュン。というかですね、そういうミステリアスな魅力に憧れているのだと思う。憧れの人。

玉三郎さんのホームページを見て文章とかを読んでいると「進行形」というのを感じます。それらの文章も丁寧な言葉使いや気配りで一見女性風な感じなんですけど、やっぱり男性的なところを感じたりする。
玉三郎さんの存在は、以前から知ってはいたのですが、やはり、歌舞伎というか梨園の人で、梨園といったら。。。どうかなという感じで、あまり触れない方がいいのかなという感じでもあった。以前、ネットをいろいろ検索していたら、世田谷パブリックシアターの時のアマテラス公演のページをたまたま見て、これ観たいなと思ったのですが、その時はすでに終わっていて観れなかったんです。でも、いつか観るだろうなぁぐらいな予感はありました。あれから月日は経ちましたが、今回観る事ができました。
本当に観に行ってよかったと思います。1回目観た時に、泣く場面でもないのに泣いてしまったんです。日本にはなんてすばらしいものがあるのだろうって、心から感動してしまったんですね。多くの方々はすでにずっと以前から気付いていらっしゃったのだと思うのですが、私は今回初めて気付きました。輝く国の宝を、また一つ見つけました。

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白書

2013年09月04日 | Weblog
猛暑で雨もほとんど降らなかった九州北部地方の今年の夏。しかし、ここのところ雨がザバザバ降ってくれます。ザバザバと
そのおかげで気温も下がりぎみでヒンヤリと過ごしやすい日々となりました。夜は真夏の服装をしていると少々寒いくらいです。
そのせいでしょうか、はくしょんはくしょんとくしゃみがでます。はくしょんと。。。と、いうワケで白書を読んでみることとなりました。
厚生労働はくしょん。。。ではなく厚生労働白書

厚生労働白書〈平成24年版〉社会保障を考える
クリエーター情報なし
日経印刷


白書というのを初めて読んでみました。まだ少ししか読んでいませんが、雰囲気的にすごくわかりやすい感じで書いてあるんですね。
世の中のしくみを決めていくのは、いろんな要素があるのかなと思うワケで、人口とかあるのかなと思ったりしたのですが、
「普通の生活」というのも一つの要素になってくる感じなんですね。
正義はどこにある?「普通の生活」にあるのか。。。?
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夜と霧

2013年07月19日 | Weblog
本を何冊か読んでみました。
なんかこう。。。いろいろ情報を入れていくごとに、わからなくなってきたというか、いままで持っていた印象と違うというか、みる方向が変わってきた感じでしょうか。
でも、その新たにみる方向は夜のように真っ暗で霧でモヤモヤしていて、その中心というか核心というか、そんなのが覆い隠されているかのようです。
今、その中心をみようとしても無理なのか。なんだかデフォルメもされている感じで、なかなか素がつかみにくい感じ。
ただ一つ、それらの本を読んでいてよぎったことは、利用された感もあるのだなということ。何に利用されたかというと時代でしょうか。抽象的な言い方になりますが、それだと思う。とりあえずそれが悪いということにしておけばいいという印象。あと、独裁者ってありえるのかな。そこらへんもわからなくなってきた。モヤモヤする。真っ暗で霧が沢山かかっている。見えない、中心が。でも、中心はあるのだ。

映画も数本観てみました。その中であの女の子が言っていた。「どうしてこうなってしまったの?どうして?」って。
映画は、だいたいが収容所の様子だった。そんな場面を観ていて思ったのが、この囚人とされている人達、まるで彼みたいだなということ。どうしてそんなこと思ったのだろう。わからない。でも、ストーリーが進んでいく。そういえば、私のお気に入りのあの映画では「魔女狩り」が扱われていたなって。あれは、彼の娘が対象だったなって。今見ている話も同じなのかなって。もしかしたら彼の兆候でもあったのかなって。そんな兆しがある時災いが起こるのか。。。そんなストーリーが頭の中に出来上がっていく。すごい妄想だな。

ヨーロッパの歴史は、国王と教皇の歴史っぽいな。国王か教皇か。国王、いや教皇。国王。。。いや教皇の方が強そうな感じかなみたいな。その系列の本を読んでいると「カノッサの屈辱」というのが出てくる。そのタイトルは、ずっと以前のテレビの深夜番組のタイトル。タイトルがすごく印象に残っていた。その時に意味はわからなかった。
でも、国を創る時に宗教とは、その要素になるのだったよな。そうそう、そんな本があった。
まさかここから宗教に繋がっていくとは自分的には想定外だった。
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切り口

2013年06月26日 | Weblog
猪瀬さんの本を読んでから、なんとなく気になるナチス。今までは、その名前は知っていたものの詳しくは知ろうとはしなかった。では、いつ知るかということで、それは「今でしょう」ということで、ネットや本を読んでみました。

それらには、ヒトラーの言葉が出ていました。それらを読んでみての感想としましては、なんていうのでしょうか、こう。。。そう、つっこみを入れたくなるような言葉達でした。
ネットや本に載っていたそれらの言葉は一部だと思うのですが、言ってることが統治機構以前の内容かなと感じるわけです。それらの言葉を聞いて、「あるわけないやろっ!」とか、「アホかぁ」と、でこピンしたくなるような感じでしょうか。でも、あの映像やら写真の感じからすると、かなり真剣にあれらの言葉を言っていたんだろうなと思う。
なんていうんですか、「じゃぁいままでなんだったの?」とか「歴史なめてんじゃないのぉ」という感じ。それこそ神の領域的なところというか、新たな神になってやるぐらいの意気負い。神的にも「なんじゃそりゃ」みたいな感じではないでしょうか。
おそらく、当時、生で聞いていたドイツ国民も「はぁ?」という感じをうけたんじゃないかなと感じるのですが、あまりにも真剣だから、それが微笑ましかったというか、コメディアン的存在だったというのはこの辺りの感じがそうだったのかなと思うワケです。
あれらの事を真剣にまじめに言っているとしたら、それはそれで恐ろしい。でも1900年代の、それもある程度の知識があるだろうと思われる人間が言うかなという疑問がでないわけありません。どうしてあんな事を言っていたのかなと思ってみたんですけど、これは予測なんですけど、当時のドイツ国民力が落ち気味だったのかなとか、国民力のさらなる向上が必要だったのかなと思ったわけです。時代背景的には世界恐慌があったんですね。

今回というか、進行形ではありますが、ナチスの事が書かれている本やネットなどを、まだ少しではありますが読んでいくと、切り口が沢山あるというか、ナチスを通していろんなことが見えてくる感じなのだなという印象があります。ヨーロッパと言ったらフランスなイメージがありましたが、ドイツという存在も大きいのですね。だからして、ナチスを知ることによって世界が見えてくる感じでしょうか。
ハインリッヒ・ヒムラー
クリエーター情報なし
文芸社

ナチスと言ったらヒトラーという感じだったのですが、今回、親衛隊という方々がいたというのを知りました。この方達の方が、ナチスというあの狂暴なイメージに強い影響を与えているのではないかという感じなんですね。ヒトラーをはじめ、それらの親衛隊の方々の最後は自殺が多かったようですが、それらの話を知った時に、日本で半年前か1年くらい前に起こった、ある女性を中心とした事件があったのですが、その主犯格の女性も留置所で自殺という件と重なりました。
ヒトラーというのは、首相になる前に留置所に入っていたみたいですね。これってドイツ的にも危険な人物だとわかっていたのかなと思いました。ドイツ的にもそれを抑えようとしたのだけれど、時代背景やテレビというメディアの存在によって世にでてしまったということでしょうか。彼には、沢山でいいのかな?恋人といわれる存在の女性達がいたみたいですね。今回読んだ所にはでていなかったのですが、以前にとてもかわいらしいバレリーナの女性の写真を見たことがあって、その女性こそが恋人的存在だったとあったと思ったのですが、チラっと耳にした事があるのですが、それらの恋人といわれる女性達は、彼の盾的存在だったと。最近でもナチスというかヒトラーの新たな情報が流れているようで、彼は食事をする前に女性達に毒見をさせていたようですね。その、毒見をしていた女性が証言している映像をみました。そして、彼はすごく脅えている様子だったと。

ナチスといったらユダヤ人というのか思い浮かびます。アウシュビッツ強制収容所という存在や、ひどい迫害を受けた。
ナチスの思想的には、白人至上主義という人種差別が入っているということが書かれてあったりしましたが、当時の様子を描いている映画などを思い浮かべると、迫害を受けていたのは、ほとんどが白人のような印象です。思想の中にアーリア人ですか、そんな言葉があって、「民族」という括りでしょうか、それによって争いごとがあるのですね。だから、最近、人類の始まりはアフリカのある女性からなのだよということを言っているのかなと思いました。
「今の世の中をつくったのはユダヤ人」だという言葉を聞いたことがあります。それは、あまり前向きな言葉としてではなく発せられている感じですね。いつぐらいから言われているのだろう。地に足がついていないような言葉のような印象。ドイツの歴史を知るということは、ヨーロッパの歴史、それは世界の歴史を知るということだと思うのですが1800年代くらいから目に付くのが「人口」という文字。それは「人口増加」であったり「人口移動」。
ドイツの歴史―新ヨーロッパ中心国の軌跡 (有斐閣アルマ―世界に出会う各国=地域史)
クリエーター情報なし
有斐閣


ここで、「口」を漢和辞典で引いてみました。
口コウ・ク くち一くち。イ飲食し音声を発する器官。人間の五感の一つ。ロいりぐち。出入口。関門。ハみなと(港)。「海口」
二あな。2くちをきく。しゃべる。「利口」3くちずから親しく自分の口から。4ことば。くちかず。5のみくい。飲食。
6人。また、人を数える単位。丁に対して用いる時は、女子と未成年者をいう。7ふり。刀剣を数える単位。
国くち。イはし(端)。はじめ。ロたぐい。種類。ハてづる。2つめどころ。○あき・ひろ・口分田くぶんでん・くもだ・くもて・口直海くちのみ
解字「   」象形。口の形にかたどる。
「人口」とはよく言ったもので、「口」とは人を数える単位。口は、食べ物を食べる所であり、また、言葉を発する所。当時、生産が安定していないという言い方でいいのでしょうか、食料不足になったりもしていたようです。そうなってくると生きて行くことに不安を感じる。不安から不満に変わり、それが言葉に発せられる。それが一番に影響を受けるのが労働者という市民。そんな市民達が生きて行く為に「市民運動」を起こしていたわけですね。で、そこに知識人としてユダヤ人が協力した感じなんですね。主体的には市民だと思う。だから、誰が今の世の中をつくったかと言われれば、1800年代くらいでいいのかな、労働者層に生まれてきた多くの市民なのではないのでしょうか。 
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偶然

2013年03月21日 | Weblog
最近、ウォーキングをしています。
今まで車で通っていた通りすがりの道などを歩いていたりすると、いろんな発見があったりして楽しみながらやっています。
先日、こんなものを見つけました。

柵に絡み付いているというか、一体となっている木。すごい。こんな風になるんですね。

あとは春ということで春の草花があちらこちらに。




こちらの桜は 佐世保東山海軍墓地の桜。
ここには沢山の桜が植えてあります。まさに鎮魂の櫻と言ったところでしょうか。
佐世保東山海軍墓地は、碑は合葬碑・個人碑に分けられ、合葬碑は戦前のものが15基、戦後には45基が建設されているそうです。個人碑は戦前のものが417基あり、その中には陸軍兵士3名、ドイツ水平1名のお墓も含まれているようです。なぜこの場所にドイツ水平のお墓があるのかはわかりませんがお名前もありました。
欲望のメディア (小学館文庫)
猪瀬 直樹
小学館

ドイツといえば、今読んでいる猪瀬直樹さんの「欲望のメディア」第一章 遠視鏡の夢のところでドイツのお話が出てきます。
テレビという機械が産声をあげた状況が書かれてあります。戦争によっていろんな機械が進化し、それが今の生活の中で存在し活躍しているとは聞いていましたが、テレビもそうだったんですね。すごく意外でした。
お話の中にヒトラーが出てくるんです。このお話を読み進めていくうちに、思い浮かんだ話がありました。それは、アメリカ映画の「13日の金曜日」です。この映画の主人公はジェイソン。ジェイソンは惨忍な殺人鬼。とても怖い存在であることは間違いないと思われます。そんな恐ろしい殺人鬼ジェイソンですが、子供達の間で人気があったと耳にしました。この事は制作者も予想にしていなかったと言っていたと思う。そんな子供達のヒーローであるジェイソンに、だた殺人をさせることはできないということで、ギャング達を次々にやっつけさせたと聞きました。
これからするとですよ、テレビというのは予想していなかった事が起きるんですね。偶然が起こる。ヒトラーというのは、偶然にも偶然を発見してしまったのか。彼はですよ、思い浮かぶ感じからすると小柄な印象だと思う。それってテレビ向きだとききました。まさにメディア向きというか、その偶然をいち早く発見した。そして彼を描いている映画がつくられたりもしたとあったけど、どんな映画かはわからないけど、おそらく、すごくすばらしくいい感じで描かれていたとは思う。そこに描かれている自分は、作り上げられた自分であって、そこに苦悩はなかったのかな。たまに耳にするんですが、メディアを通して出ている自分と、実際の自分は違うという苦悩があるというのを。もしそれが彼にあったとしたらですよ、おそらくですがその時の状況からして、メディアの中の自分に何が何でも近づこうとしたかもしれない。それは人気者、つまり支持率の高い自分。もしそうだとしたら、もしかしてもしかすると、ヒトラー自身もメディアの罠にかかった一人なのかもしれない。歴史の影に女ありということで、その映画をつくったのは、彼の恋人だと噂された女性みたいですね。なぜそう言われたかというと、その中に描かれている彼が日頃のままよく描かれてあったからとあったのですが、逆だったのかもしれないですね。彼が彼女の描く自分に近づいていったのではないのだろうか。私は、ナチスとかヒトラーのことはよくわからないんです。調べようと思えば調べられると思うのですが、映画を観るとかその範囲の情報くらいでしょうか。
動く映像のヒトラーと対照的のように描かれているのが天皇の「御真影」。それは写真で動かない。それは、それぞれの心の中に存在する。具体的ではなく現実感がない。言い換えれば神秘的なのかな。それは長い歴史がそうさせるとヒトラーが言ったみたいですね。
当時、日本はテレビ開発に力を入れなかったみたいなんですが、それは必要がなかったのかもしれないけど、「偶然」なのかもしれない。でも、当時テレビが日本にあったとしても、天皇はテレビには出なかったのではないかなと感じるけどなぁ。おそらく。

そういえば、ルワンダでもラジオというメディアが使われていましたね。
歴史の影に女ありといいますが、女だけではなくメディアというのもありそうですね。
「歴史の影に女とメディアあり」か。。。
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論者

2013年03月13日 | Weblog
猪瀬直樹さんの「東京の副知事になってみたら」を読みました。

東京の副知事になってみたら(小学館101新書)
猪瀬 直樹
小学館


猪瀬さんは、現東京都知事という政治の現場にいらっしゃいますが、元のご職業は作家さんみたいです。猪瀬さんが副知事の時の知事だったのが石原慎太郎さん。石原さんも政治家と作家という(それ以外にもありそうな感じですが)面をお持ちの方。テレビ画面から見ていると、お二方ともご自身の「風」を持っているなと感じます。まさに風雲児という言葉が当てはまるようです。
お二人の共通点は「作家で政治家」であると思うのですが、今までも(今も)政治家意外の方々が政治に風を吹かせています。その方々は経済学者さんや政治学者さんであって、その方々が政治に風を吹かせるというのは理解しやすいかと思うのですが、「作家」というご職業の方が、なぜ政治に風を吹かせることができるのだろうかという少々の疑問がありました。

猪瀬さんの本を読んだのは、まだ2冊目です。2冊読んで思ったことは、読みやすくてわかりやすいということ。猪瀬さんだから難しいんだろうなという予想に反して読みやすい。書かれている文章が場面というか映像になって伝わってくる。臨場感。まさに伝える力でしょうか。書かれてあることも(まだ2冊目ですが)、難しいことではなくて生活のことだと思う。それも詳しく数字などで説明してありつつも、文章の端々にハッとさせられるような芸術を感じさせる日本語表現がされてあると思う。
これが作家の技なのか。。。本の中には、「僕は作家として、作家だからできることを考えた。直感の力、記録し伝える力、という武器を駆使した。」とあった。それが作家なんですね。

猪瀬さんの本の中に「設計図」という言葉がありました。この設計図という言葉が妙に気になる。
設計図・設計した建造物・機械などの形状・構造・寸法を一定のきまりに従って記した図面。とありました。
そして、漢和辞典を引いてみました。その取り上げてみた字は「設」。


設・セツ もうける1もうける(まうく)イならべる。つらねる。「陳設」ロそなえつる。「施設」ハおく(置く)。「設置」二たてる(立)。「設立」2こしらえ。また、そなえつけたもの。3うたげ(宴)。ごちそう。4前もって用意する。準備5おおきい(大)。また、大きくする。6あわせる(合)。7むさぼる(貪)。8もし。かりに。たとい。仮定のことば。「仮説・設使・設令・設為」などもみな、「もし・たとい」と読む。○おき・のぶ・設楽
(解字)原字は形声。「 ケツ(転音セツ)はくさび・くい(楔セツ)で、また、音符。 はかけや。「 は手。かけやで杙くいなどを打ち込むことで、土建(建設)の仕事をする意。 の形が変化し、やがて と書き誤られ、設となった。
「陳設」とは供物を供えること。これはですよ、言葉を言い並べる。言いつらねるということで、言葉を神に供えているのではないのでしょうか。また「設楽」というのは平安時代に疫病の流行をのがれるために民衆が信仰した神とされる設楽神のことなのかな。なにか宗教的な意味合いもある文字かな。
 は と書き誤られたとありますが、 書き誤ってないんじゃないかな。「 は「言」。
「言う」という道具で組み立てていく、それは議論のことかな。「論」に繋がっていくんだ。

論・(一)1あげつらう(あげつらふ)イ言い合う。議論する。理非を弁じあう。討論する。ロ可否を言いたてる。評論する。ハ意見を集めて定める。議定する。ニ罪をさばく。判決を下す。2あげつらい。見解。主張。所説。「論議・評論」3はかる。イ考える。思いめぐらす。ロ計りくらべる。ハおしはかる。推量する。ニ計りくらべて判断する。おしはかって判断する。ホたずねる。4とく(説)。イ道理をとく。ロ述べる。語る。談ずる。ハときあかす。5文体の名。自分の意見を主張し述べる文。6論語の略。7(仏)論蔵の略。三蔵(経・論・疏ソ)の一。仏の教えについて弟子たちは述べた語。(二)すじみち。=倫。○とき・のり
(解字)形声。言が意符。侖ロンが音符で、また、すじみちの意を表す。すじみちを立てて述べること。

「論」や「倫」に使われてる「侖」。

侖・(一)(二)1おもう(おもふ・思)。2すじみちをたてる。3まるい。
(解字) 会意。 (集める)と冊(書物の簡ふだ)との合字。書物の簡を集めて順序だてる意をあらわし、すじみちをたてる・すじみちの意に用いる。

これからするとですよ、猪瀬さんは作家と言われていますが、それは今風の言い方であって、本来は「論者」という存在なのではないのでしょうか。本にいろんなタイトルがついているけれども、それは全て「猪瀬直樹論」ということなのですね。

ツイッターを観ていると、「ミカドの肖像」「土地の神話」「欲望のメディア」三部作として読むと理解が深まるとあります。この三作を読む事によって、ある一つの猪瀬直樹論がわかるということなんですね。
今手元に「土地の神話」「欲望のメディア」はあります。「ミカドの肖像」は確か上下巻だったな。こういう時って、読む順番もあるのでしょうか。

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タニタ

2013年01月28日 | Weblog
体脂肪計タニタの社員食堂 ~500kcalのまんぷく定食~
タニタ
大和書房


体脂肪計のタニタ。最近、気になる企業かも。タニタの社員食堂本とか、タニタの体重計というか体組成計ですか、定番ぽい。

TANITA 【乗った人をピタリと当てる「乗るピタ機能」搭載】 体組成計 シルバー BC-705-SV
クリエーター情報なし
タニタ


そして、東京丸の内にあるタニタ食堂の定食。ヘルシーでおいしかった。

出来た頃は、すごく混んでいると聞いていたので、お店に入れるか一か八かで行きました。しかし、2時すぎに行ったせいか余裕でした。
食堂にはいろんな商品が売っていて、ご飯茶碗とかあったなぁ。最初は意外だと思ったけど、確かに健康に関連性があるもんなぁ。
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日本橋

2013年01月24日 | Weblog
「麒麟の翼 劇場版・新参者 」特別プロモーション映像






「麒麟の翼」を観た。舞台は2000年代前半の日本。東京。
で、日本橋に行った。初めて行った。
日本橋には、映画で観た麒麟の像があった。そしてその上には高速道路が架かっていた。
上空からは日本橋は見えないようだ。日本橋の上に架かっている高速道路も東京オリンピックの時に造られた物だと思う。
首都高も急いで造ったと聞いたなぁ。そういえば、日本橋の上の高速道路を、はずそうかなんて言ってたような気がする。
聞いたその時は、あんまりピンときていなかったけど、それが出来ればよさげな感じかなと思う。

町をプロデュースする時に、道って結構ポイントになるんじゃないかな。
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プロデュース

2013年01月22日 | Weblog
プロデュース(Produce,本来の意味は、産出する、生産する、制作する)和製英語であり、英語と日本語で意味がことなる。
日本においては、さまざまな方法を用いて目的物の価値をあげることを指す。
ある本を読んでいて思った。マネジメントとプロデュースは近い感じかもと。
1954年日本高度経済成長が始まり、1964年に東京オリンピックがあった。
この場合、東京オリンピックをどうプロデュースし、日本どうマネジメントしたのかという言い方でいいのだろうか。

日本武道館へ行ってきました。この武道館も東京オリンピックの時に建設された建築物だったんですね。日本武道館は、法隆寺夢殿をモデルにし、大屋根の稜線は富士山をイメージしているそうです。屋根のてっぺんには擬宝珠。日本武道館は、かなり日本的な建築物ですよね。また、前回行った代々木第一体育館は兜をイメージしたと聞きました。最近出来たアリーナクラスの建築物で、日本をイメージしたようなデザインの物って無いような気がするなぁ。外観を凝るって、通常よりお金とエネルギーがかかりそうな感じだもんなぁ。きっと、東京オリンピックだったから出来たんでしょうね。この「東京オリンピックだから」というのは、すごい理由なのかもしれませんね。これだから出来る。また、やらなければいけないというのもあるかもしれまませんね。
日本で一番使われている会場ってどこかな。日本武道館っぽい感じもするな。武道館に入って意外だったのが会場のスケールです。映像で観ると、すごく広く感じるのですが、実際中に入ってみると狭かった。ということは、ステージが近くに感じれるということですね。代々木第一体育館は競技を見やすい設計とありましたが、武道館もそうなんでしょうね。一体感が感じれる空間というか、その会場自体に空気感みたいなのがあるんですね。武道館がよく使われているのは、いろいろ理由があると思いますが、その空気感もいいからだろうなと思いました。

ライブは、Acid Black CherryとBREAKERZの5th Anniverasry Live。Acid BREAKERZ Cherryでした。
歌はもちろん、トークも楽しいライブでした。BREAKERZのDAIGOさんは空気を読む感じがあるんですね。で、全体をまとめ上げて引っ張っていくというか、学級委員長に推薦したい感じかな。この人にだったら学級を任せられる、任せたいという雰囲気。やっぱり政治家の血を引いているなと感じました。なにもわからずにBREAKERZのライブに行っても、楽しめるんだろうなという感じだった。空気を読むって、ステージに立つ方はしなければいけないのかなと思うんですけど、yasuさんの場合は、俺についてこいって感じっぽかったな。hydeさんもサプライズで1曲歌われていたんですけど、hydeさんは職人ですね。ステージは男子ばっかり。その中でもBREAKERZのSHINPEIさんは、男子というか男子校って感じだったな。なんか、それぞれの色を感じるライブだったな。それまではそんな感じてなかったんだけど、今回それを感じたのはなんでだろう。やっぱり武道館という空間がそれを感じさせるのだろうか。
今回、私の座席は、ステージバック1階でした。ステージの後ろ側。真後ろでした。最初は大丈夫かなと思っていたけど、後ろの方もちゃんと意識してくれていたし、通常なら観る事の出来ない景色が見ることができるんですね。ステージは近いし、意外にいい席でした。ただ、会場全体を見渡しながらライブを観ることが出来なかったんですよね。それが少々残念だったかという感じだったかな。次回、武道館に行った時は、会場全体が見れる席になってほしいかなと思います。


日本武道館は北の丸公園内にありました。公園内を散歩してみました。まさに都会のオアシス的な場所ですね。ウォーキングやジョギングをしている方々を見かけました。この北の丸公園は、比較的新しい公園なのかな?というのは、他の公園に行った時には、ものすごく大きい樹齢が長そうな大木があって、それこそ鬱蒼としているなという感じの所があったんですけど、この北の丸公園はそんな感じではなあった。訪れれた日に木々のお手入れをされていたんですけど、お手入れが行き届いているということなのかな。公園を沢山造る事はいいことだと思いますが、もしかしたらお手入れが大変かもしれませんね。でも、東京は大都会であって、その中に公園もいろいろあるみたで、東京の公園めぐりも楽しそうかなと思いました。とくに桜の頃は楽しみですね。

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2013年書初め

2013年01月02日 | Weblog
2013年 明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
新年ということで恒例の書初めをしました。その文字は「食」です。

この象形文字の「食」をずっとみていたら、保食神(ウケモチノカミ)の話が浮かんできました。

ツクヨミは天上でアマテラスに、地上にいるウケモチという神を訪ねて様子をみてくるように言われました。さっそくその神の所に行ってみると、ウケモチは顔をまず国の方に向けて、口からご飯を吐き出し、次に海の方に向け、いろいろな魚を口から吐き出し、それから山の方に向け、いろいろな鳥や獣を口からはきだしました。そして、それらの食物で作ったご馳走を、大きな机にどっさり積み上げて、彼に食べさせようとしました。それでツクヨミは顔を真っ赤にしてい怒り「口から吐き出したものを食べさせるとは、なんという汚い無礼なことをするのか」と言って、剣を抜き、ウケモチを斬り殺してしまいました。ウケモチを殺した後で天に帰ったツクヨミはアマテラスに地上での出来事を全てあった通りに詳しく報告しました。そうするとアマテラスは大変に怒って彼に「あなたは悪い神なので、顔を合わせたくありません」と申し渡しました。それで、太陽のアマテラスとツクヨミはそれから、昼と夜の空に分かれて出ることになりました。
アマテラスは、アマノクマヒトという神にウケモチを看取りに行かせました。行ってみるとウケモチはもう死んでいましたが、その死体の頭からは牛と馬が、ひたいの上には粟が、眉の上には蚕が、目の中には稗が、腹の中には稲が、陰部には麦と大豆と小豆がそれぞれ発生していました。それでアマノクマノヒトは、それらのものを全て天に持ち帰ってアマテラスに献上しました。するとアマテラスは喜んで、まず「これは人間が食べて生きて行くのに必要なものです」と言って、粟と稗と麦と豆を畑で栽培する作物に定めました。それから稲は田の作物にして、天上で稲の栽培を指揮する神様を任命した上で、神聖な田を天に作って、そこに初めて稲の種を植えました。そうすると、その年の秋には、とても長い穂がたわんで垂れ下がるほど実り、心地よい眺めになりました。アマテラスはまた、蚕を自分の口の中に入れて、それから糸を引き出し、それによって蚕を飼って絹糸を取る養蚕も始めました。
。。。というようなお話です。このウケモチの神の話は「日本書紀」に出てくるお話みたいですが、「古事記」の方にも似たようなお話があるみたいです。古事記ではツクヨミがスサノオとなり、ウケモチがオオゲツヒメとなって同じようなお話が展開されるようです。

この話を何度か読んでいるうちに、創世記の「カインとアベル」の話が浮かびました。

創世記「カインとアベル」
さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは、主によって男子を得た」と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物には目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。(4-1~8)

「カインとアベル」の話って、人類最初の殺人とか、この事によってカインというか人類は労働という重い荷物を背負わされる事になったなんて聞いたことがありますが、なんか違うような気がしてたんですよ。今回、書初めで選んだ「食」と言う字から浮かんだ保食神の話。さらにそこから繋がったカインとアベル。「保食神」と「カインとアベル」の共通点は、「怒り、そして殺す」だと思います。
私は、「怒り」は「エネルギー」。そして「殺す」は「無」ということではないかと思います。

以前、アインシュタインの事について書かれている本を読んだとき、E=mc2という式が出てきました。
質量とエネルギーの等価性および定量的関係を表している関係式とありました。この等価性の帰結として、質量の消失はエネルギーの発生であり、エネルギーの発生は質量の消失を意味する。従ってエネルギーを転換すれば無から質量が生まれるとありました。
このE=mc2が理解できているという訳ではありませんが、説明を読んでいると、保食神やカインとアベルの話と似てるところがありそうだなと思いました。
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ミラクル

2012年12月18日 | Weblog
日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月までの19年間であるとありました。第二次世界大戦で日本はボロボロになった。でも、ボロボロになったにもかかわらず、復興し、そして経済大国となった日本。
経済成長を遂げる過程において、環境破壊や金融危機などにあってきましたが、バブル景気までいった日本。この一連の流れを英語では「Japanese miracle」と言うそうです。戦争で、なにもかも全てを無くしてしまったかと思いきや、無くしてなかったものがあったんですね。それは「国民性」のようです。国民性がミラクルを引き起こしたんだ。

そんな経済成長のさなかに建てられた建築物に行ってきました。それは、東京タワーと代々木第一体育館。
東京タワーは1958年(昭和33年)10月14日竣工、同年12月23日に完工式が開かれたそうです。
また、代々木第一体育館は1964年(昭和39年)9月竣工で、それは、東京オリンピックの開幕のわずか39日前だったそうです。この代々木第一体育館は、ものすごく急いで造ったみたいですね。でも、急いで造らなければいけないわりには、デザインが結構凝ってる感じですよね。また、構造的にも珍しい建物とありました。設計者は、丹下健三さん。この時の日本の想いを強く受け止めていらっしゃったに違いありませんね。そしてまた、昼夜を問わず、この建築物を完成してくれた工事人の方々がいらっしゃった。


そんな当時の想いが詰まった代々木第一体育館。私は、内部に初めて入りました。上を見上げれば、テレビで観た事がある、うねっている天上。鱗みたな感じで造られている。天上だけでもすごいわぁ。。。
なぜ代々木第一体育館へ行ったかというと、それは、Acid Black Cherryのライブです。
そのライブはセンターステージでした。壁側ではなく、競技するエリアの中央にステージがあったから、とても観やすかった。というか、体育館的には競技が観やすく設計されているんですよね。だから特にセンターステージだとすごく見やすいんでしょうね。。。というか、センターステージうれしいですよ。ステージに立つご本人達は、すごく大変とお聞きしました。でも、うれしいです。アリーナだけど距離的には、ホールくらいな感じにもなりますね。
私は、歌を聴き入っている時は、なぜか、天上を見上げるんですよ。それはなぜかわからないんですけど、天上を見上げるんです。Acid Black Cherryの歌を聴き入りながら、不思議な形をした天井を見上げていました。
当時の日本の夢と想いを込めて造られた建築物で、大好きなAcid Black Cherryの歌を聴いている。なんだか、とてもうれしい気持ちになりました。


東京タワーからの景色です。夕焼け空に富士山が見えました。街のあかりもポツポツと灯り初めています。
ここから見える東京の景色はすごい。完成当時の東京タワーの周辺の様子の写真があったのですが、周りにはなんにもなさそうなんですよ。ガランとしている感じでした。そっかぁ、今、福島を被災地から復興地へなんて言ってるけど、日本自体が復興地なんだ。戦争でボロボロになった日本。それから約60年後にこの景色とは、やはり、ミラクルかも。


こちらは、今話題の東京スカイツリー。2012年竣工。
平成の今、日本の建て直しが必要と言われています。ここで日本が未来を築き上げることが出来たのなら、それもミラクルなのか。



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もみじ

2012年11月27日 | Weblog

もみじが見頃でした。
このもみじがある場所は、山の中にある小さな分校跡地。そこに石碑がありました。
どうやらこの地に明治12年9月から平成15年3月まで分校があったみたいです。

明治という時代にできた学校。明治という時代は、日本が近代国家へと意識を変えていった時代。
明治維新ですね。明治維新は、江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制の転換とそれに伴う一連の改革をいうとありました。
その期間としては、いろいろ説はあるみたいですが、始まりは明治元年あたりで、終了時期は、廃藩置県の断行(明治4年 1872年)、西南戦争の終結(明治10年 1877年) 内閣制度の発足(明治18年、1885年)、立憲体制の確立(明治22年、1889年)までといういろいろな説があるみたいです。
終わりは、はっきりしないけど、そんな明治維新のさなかに造られた小さな学校。その敷地内にあるもみじ。このもみじはいつからこの地にいるのでしょうか。
こんなりっぱなもみじってあまりみかけないと思うなぁ。ずっと長くこの地にいるんじゃなかろうか。ずっとこの地で時代を感じていたのかもしれない。




学校の目の前はダムです。水面には蒸気霧がかかっていました。蒸気霧が風と共に動いていく様子がとても妖しく見えました。
冬の早朝に発生するこの蒸気霧。とても神秘的できれいですよね。この写真ではイマイチわかりにくい。もうちょっといい写真が撮りたいところです。


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