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そして、「枕草子」に引き続き読んでいるのが「万葉集」。こちらはAAAの「恋音と雨音」が流れながら読んでいる感じでしょうか。きれいな歌ですよね。
AAA / 「恋音と雨空」Music Video
万葉集とは何かとは、まだわかりませんが「想い」なのかなと感じます。それぞれその時、あの時、いく万の想いを言の葉に変換したのを集めたものなのかな。ここに綴られている想いが、日本人の精神文化となっているとどこかに書いてあったなぁ。だとしたら、今、外国で受け入れられているという日本のサブカルチャー、J-POPや漫画などもここから繋がっているのかな。テレビのインタビューで外国の日本のサブカルチャーファンの方々が、日本はこうなんだと語っていらっしゃったのが印象的でした。
先日、歌舞伎を観ました。「坂東玉三郎初春特別舞踊公演」です。
その中に「村松風二人汐汲」という演目がありました。ストーリーは、時代は平安時代。天皇の孫に当たる在原行平という男が帝の怒りを買って須磨で罪をつぐなうことになったのです。その須磨で汐汲みをする姉妹に出会いました。姉を松風、妹を村雨と名付け寵愛したのです。ですが年月が経ったある日、行平は罪を許されて都に戻ることになりました。その時に寵愛した姉妹への形見として、烏帽子と狩衣を松に掛け、行平は都へと戻っていきました。残された松風と村雨は、形見を行平と思い、悲しみの内にその面影を偲びながら、やがてこの世を去ったのです。
そして、目の前の景色は須磨の浜辺。そこに、松風(坂東玉三郎)と村雨(中村七之助)の霊が現れました。姉妹は行平との恋を想いながら汐汲みをします。松風は、行平の形見を見につけて、行平の面影を偲びながら舞います。いつしか松風と村雨は姿を消してしまう。
なんとも悲しいお話でありました。松風と村雨は汐汲みをしていたのですが、職業的には海人になるのでしょうね。この海人をいう職業は万葉の時からあるみたいで、万葉集の歌に「志賀の海人は 藻刈り塩焼き 暇なみ 髪梳の小櫛 取りも見なくに」というのがあります。訳すると「志賀の海人おとめは海藻をとったり、塩を焼いたりで暇がないものだから、髪をすく櫛さえ手にとってみることはない」。海にも浸かるし、それこそ時間、天候などが左右するかなと思うし、なり振りかまわなかった感じでしょうか。この歌を詠んだのが、風流を嗜む斬新な文化の担い手「風流侍従」と呼ばれる石川少郎(いしかはのをといらつこ)という人物だとか。この都で雅に最先端に立つ「風流侍従」と呼ばれる男が、働きまくる海女を見て風流と感じたのか。。。というか、石川少郎にしてみれば宮廷で優雅な姫君達ばかり見ていたのだろうし、海女をみて、なにかこう思うところがあったのでしょうね。海人に関しては他の説明もあって、大和民族とは異種の、海辺を流れ渡っていく、わたらいの民であるとありました。日本の両岸を沿岸沿いに東北地方にまで行っていたとありましたが、これはジプシーみたいな感じだったということかな。。。ちょっとよくわかりませんが、海人は、なり振りかまわず身なりにかまわなく働いていたということですね。しかし、目の前に現れた村松と村雨は、そんな歌の中の海人とはかけ離れた美しい海人でした。美しい衣装を身にまとい、さらに美しい汐桶で汐汲みをして行平のことを思っているのです。この目の前に繰り広げられている場面は、村松と村雨の想いがつくりあげたみたいな感じなのですが、どうかなぁと思うところもあります。どちらかというとい、行平想いがこの場面をつくったのじゃないかなと思うところもあります。行平は罪を償うのに都落ちしたのだと思うのですが、当時、都落ちといったら結構痛かったと聞きました。当時の流刑は、都からの距離によって定められていたとありました。配流が決まった恋人の歌もあるんですね。「君が行く 道のながてを 繰り畳ね 焼き亡ぼさむ 天の火もがも」訳すると「あなたのいらしゃる道の、長いみちのりをたぐり寄せて畳んで、焼きつくしてしまうような天の火がほしい」ということだそうです。作者は狭野茅上娘子(さののちがみのをとめ)。配流となったのは、彼女の夫の中臣宅守。どういう罪かというと、宅守が娘子を娶ったことで天皇の怒りに触れた事にあるようです。
ま、とにかく、当時の都落ちは痛かったらしく、蟄居というのは閉門のうえ一室に謹慎されるものとありました。行平が天皇の孫だったから罰がゆるかったという設定もありかもしれませんが、罪を償いに行ってるのに、姉妹とですよ、どうなっちゃってるの?って感じじゃないですか。だからして思うのですが、極端に言ってしまえば、松風と村雨という姉妹は実在しなかったのではないかと。もし実在したとしても、行平と接していなかったのかもなと思うところもありです。行平は、都落ちになって身も心もボロボロ。謹慎された部屋からは浜辺が見えて、そこに姉妹の海人。どうやら名前は、もしほとこふじ。ちゃんとした名前があるにもかかわらず行平は、都風なのでしょうか松風と村雨と名付ける。あとは妄想の世界。身も心もボロボロの行平にとって、小さい窓から見える浜辺の海人が唯一のなぐさみだったかもなと。その浜辺にいた海人も、なり振りかまわずに働いていたと思うのですが、行平にはキラキラした存在だったかも。だから、あの場面の海人の姉妹は美しいのかもしれないと思いました。もし、あの場面が松風と村雨の想いだとしたら、思い出じゃないかな。ま、でも、行平は都に戻れたというし、よかったじゃないですか。初めは、姉妹の悲しいお話なのかと思いきやそうではなく、行平の夢なのか、悲しみを埋める妄想ではないのかという解釈となりました。