夢中人

sura@cosmic_a

意味の山

2015年11月12日 | Weblog

これ、何かな。。。?山?かな。
何の山かな。。。そうだ、もしかしたら「意味の山」かもしれない。
お話しでは、焼かれた「意味の山」。こちらの山は、錆だらけ。
錆だらけの山とは無関係のような青空。
もの悲しさを感じつつも、気をひかれるのは何故だろう。
続・悩む力 (集英社新書)
姜尚中
集英社

姜尚中さんの「続・悩む力」。
ゲンコツをくらったようだった。

ある夏の日、私は、この街の一番の繁華街の脇を通る道路に立ちすくみ、その道路の向こう側にある場所を見上げていた。
無関係じゃないはず。「シアワセノカタチ」。
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稲盛和夫

2015年09月02日 | Weblog
うどんはおいしい。
体調がイマイチだなと感じた時に食べたりすると、幾分か良くなったような気がする。
最近、街に新しく食堂ができた。こじんまりとした今風な感じのシンプルな食堂。線路の下にあるから、電車が通るとゴトンゴトンと音が響き渡る。
うどんメニューが多い。だしに、いりこが使われている風。そんな新しい店のうどんを食べながら思った。「びっくりうどん」ってどんな感じだったのかなぁって。
稲盛和夫の哲学―人は何のために生きるのか
稲盛 和夫
PHP研究所

京セラ名誉会長 稲盛和夫さんの本を読ませていただきました。
読んでいて、まず初めに思ったことは「シンプル」でした。シンプルですから、スルスルと読める。一つ一つのお話がとてもありがたい。
そして、もう一つ強く思った事があって、それは、「経済はスピリチュアル」ということ。宇宙と波長が合うとはこういうことなのかと思い、それはまるで、宇宙からの伝言のようでした。
稲盛本を読む前に、1冊本を読んだのですけど、それは、「さお竹やはなぜ潰れないのか?」です。以前から、そのタイトルは耳にしていたのですが、今回、初めて読むこととなり、会計を説明しているというその本も読んでみて、具体的にはそう書いてはないのですが、その本には「中心を持て」や「軸」の事が書かれてあるなと思い、会計というのはなんでしょうか、自分の立ち位置がわかるのでしょうか。
それを読んでの稲盛本でしたので、やはり経済とはスピリチュアルと密接なのだなと強く感じました。
霊と細胞が一つになった時、人となってこの世で生きていかなければならない。霊にも細胞にも栄養が必要で、さらに、どちらも磨き上げていかなければならない。このお話を、ご自身のお話も交えながら、ご説明して下さっているので、非常にわかりやすく、そして説得力も感じます。
私は、英語など得意ではなかったのですが、おそらくですが一番初めに学校で教えていただいた熟語だけは覚えていて、それは「each other」でした。「お互いに」ということですが、霊と細胞はeach otherの関係だと改めてそうなんだなと思いました。

稲盛本には、戦後、日本はこうやって経済成長してきたのですよとも書いてあるようだ。
ノミニケーションのお話もあったりする。日本型の会社といいましょうか、そんなスタイルをここ長いこと疎まれる風潮がありますが、稲盛本を読んでいると、その景色が新鮮に映るのはなぜなのでしょうか。
このような事を書くのは失礼にあたるのではないのかと思ったのですが、感じてしまったので書きますが、稲盛さんは立ち止まっている方ではないのですね。
ずっと進み続けていらっしゃるのだなと。今現在も現在進行形。それが「フレッシュ」さを感じさせるのですね。
稲盛本は「シンプル」で「フレッシュ」。輝き。原点。希望。
稲盛さんが影響を受けられた方々も気になります。
沢山ある稲盛本を、心からありがたく読ませていただきます。

いろいろなお話をありがとうございます。
京セラフィロソフィ
稲盛和夫
サンマーク出版
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価値

2015年07月30日 | Weblog
「歴史は繰り返される」と聞いて、あまりピンとくるものがない。
「歴史は繰り返される」というよりも、人の行動というのは、古代から変わっていないということなのかなと思った。
資本論のさわりを読んでいて、ネットで少し検索していたら、学校で習ったことのある「東インド会社」というのが出てきて、あぁ、株式会社で貿易かぁと思ったのですが、貿易というか交流でしょうか、それだったら飛鳥時代からやってたんだよなぁと思ってみたのですが、商いとしての交流は初めてだったということかなと思ってみた。当時、お金の存在はあったかもしれないけれど、外国のお金をもらってもしょうがなかったろうし、物々交換して、自国で値をつけて売っていたのだろうなぁ。自国から遠ければ遠いほど価値あるのものとして売れたのじゃないかなぁ。現在では、外国の物をお金と交換はもちろん、お金同士の交換もできる。レート、外国為替ぐらいの言葉は聞いたことがある。ニュースでは、しょっちゅう1ドルいくらいくらと言っている。秒単位で変動しているような感じ。しかし、なぜ変動するのか?だいたい他国同士のお金が交換できるとはどういうことなのか?個人での買い物、個人輸入ができるということか。外貨を稼ぐという言葉もあるということは、お金は天下の回り物ということで、この地球上にお金の流れがあるみたいなのですが、それぞれにお金の価値というのがあるワケで、その価値というのは何で決まるの?
。。。それも生活なのかな?


以前に訪れた吉野ヶ里遺跡。
堅穴式住居や土器などがあって、当時の生活が再現してあった。そして、とても印象的だったのが、その生活エリアを囲むようにしてあった防御網でしょうか。かなり、がっちりしてありました。はっきり言って驚きました。こんなテーマパークで、こんなしっかりした防御網を造るということは、発見された遺跡には、そうとうな面積で防御網があったのかなとも思ってみた。高いやぐらもあったし、どちらかというと、防衛の印象が強かった。生活を守っていくには、力強い防衛が必要ということが古代からあったということですよね。

国会を観ていたら、ホルムズ海峡と言う言葉がちょくちょく出てきていた。
説明を聞いていると、吉野ヶ里遺跡時代で言う所の、水場とか、狩場みたいなところかなと思ってみた。水場を、他の村と共同で守るということはあったのかなぁ。。。と想いながらホルムズ海峡の話を聞いていました。


歴史は繰り返されるにピンとこないと書きましたが、一つだけこれはそうなのかと思ったのがあります。
それは、時のリーダー達は、その時の状況や時代の変化に合わせて改革をしようとしているのですね。そこで、ものすごい反発があるのですね。身近な人達からの猛反発。
そこで、やり通せるのか、やり通せないかがあるようです。
フランス国王ルイ16世も改革をしようとしていたのだけれど、結局はできなかった。
イギリスの前首相サッチャーさんの映画を観て、かなりの反発があったのだなと思って、リーダーってゆるぎない信念なのだなと思いました。
それは想像の範疇外なのかなと。

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覚醒

2015年04月13日 | Weblog
「商品」というのを考えてみる。
商品。形あるもの。商品とは物であって、物とは欲求から形として存在するものと思ってみて、欲求に気が行って、人が最初に欲求して、形にしてきたものとはなんだろうと考えてみた。それはおそらく「守る」ことかなと思ってみた。
まもる。守る。防御かなと。「守る」「防」「御」などを辞書で引いてみる。
そして行き着いたのが「禦」。
禦・意味①ふせぐ。同・衙 御。アこばみさえぎる。ふせぎまもる。類・距。
イとどめる。くいとめる。そなえる。類 禁・止。②匹敵する。相当する。また、匹敵するもの。類 当。③まもり。ふせぐもの。
(なりたち)形声。示(かみ)+音符御ギョ。

守るからいきついたとこころは示(かみ)・・・


                     
       


さぁっ!春歌ミュージックスタートっ!!!
空想委員会 / 春恋、覚醒 Music Video

「春恋、覚醒」。カーラジオでたまたま聞いて、いい、と思い、それからよく聴いている曲というかCDです。
空想片恋枕草子
クリエーター情報なし
King Records =music=

「空想片恋枕草子」。CDのタイトルに引かれたわけではないです。曲に引かれてCDを手にしたらこのタイトルでした。4曲入っていて、春夏秋冬の景色が歌になっている。そのそれぞれのタイトル、曲もいい感じです
学生さんくらいの景色が歌われているのですが、なにかこう、うきうきだけではなく、はかとなく感じるものもあり、なにかこういいかなと感じたのです。
「春恋、覚醒」では、恋する君の好きなバンドがイヤホンからながれているそうで、なんのバンドかなと想いつつ、「マフラー少女」では、自転車に乗っている女の子のマフラーがなびいていて、それが手を振っているようだと歌われていて、あぁそうなのだなと思う歌で、自分的にはやはり冬の歌が好きなのかなと思ってしまいました。
歌われているのは「空想委員会」というバンド。う~ん。。。なんともこの「空想委員会」というバンド名にもひかれるではありませんか。
いつかどこかで唄われているお姿が拝見できればと思います。

すっかり季節は春。花々が咲き乱れております。


ごぶさたしております。もうすっかり春時の流れの速さに驚いております。


そんな時の流れの早さに驚きつつ、1冊の本を手にしてみました。
ある方々にといってバイブルとなっているというマルクス「資本論」。分厚い本で存在するのだろうなと思っていたが、なんと単個本であった。
手にしたのは「資本論(一)」。さらりとさわりを読んでみる。
そして感想。それは、不思議感であった。不思議感があふれていた。
どんな不思議感かというと、一見、難しいことが書いてあるのかなと思いつつ、そうではなくて、文章に引き込まれていくというのもそうなのですが、それもそうなのですが、もっと不思議に感じるのが、ものすごくスピリチュアル感を感じるところでした。
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天地創造

2014年11月14日 | Weblog
初めに、神は天地を創造された。

地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた神は言われた。

「光あれ。」

こうして光があった。神は光を見て良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった第一の日である。

神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。

神は言われた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」
そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。神は言われた。
「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」
そのようになった。地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草とそれぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。
夕べがあり朝があった。第三の日である。

神は言われた。
「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さなほうに夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。

神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
夕べがあり朝があった。第五の日である。

神は言われた。
「地は、それぞれの生き物を生みだせ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て良しとされた。




旧約聖書っていろんなことが書いてあるなと思って。
再び、歯医者の待合室で雑誌を読んでいたら、「有名企業を目指すならこの大学」という記事があって読んでみた。
大学生就職企業人気ランキングなど書いてあって、あぁそうか、ここに書いてある企業がグローバリゼーションのルールに持っていかれてしまう企業なんだろうなと思ってみた。グローバリゼーションって日本語にした場合に人によって違う感じなのかな。いろいろありそう。グローバリゼーションを考えなたくなった。
で、それらの企業に入っていく若者がハムなのかなと思ってみた。このグローバリゼーションのことについても旧約聖書のどこかも部分に書いてあるのかなと思った。

日本を支える大企業がグローバリゼーションのルールに持って行かれてしまうからこそ、国内での新しい産業や企業が必要になってくるのかなと思ってみた。それが地方創生なのかな。
新しい商品や企業を見つけるのって、なかなかできることではないな。ていうか、どういう動きになれば新い商品や企業を見つけれるのかなと、11月5日岸 博幸さんのお話を聴いて思ったことです。
岸さんのお話はあっという間に終わってしまって、もう少し聴いていたかった感じでした。
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ハム

2014年11月10日 | Weblog
本を読み返してみた。佐藤優さん「人間の叡智」。
以前に読んでいたのだが読み返してみる。ここのところ、旧約聖書のある部分が気になっていて、なぜだ、なぜだと思っていたところに再び読む。
人間の叡智 (文春新書 869)
佐藤 優
文藝春秋


佐藤さんの本を読んでいると、シンプルな感じで書かれてあるようなのですが、見たことがないような字や言葉、いろんな人物、そしてその人物の出来事などが書かれてあって、新しい世界が開けるような感じです。あと何と言っても、他のストーリーとリンクすることが多くて、また、こうなのだろうなと感じることが多い。

旧約聖書の気になる所というのは、創世記に書かれてあるノアと息子達のストーリーです。
創世記9-20『さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。ノアは酔いから醒めると、末の息子がしたことを知り、こう言った。
「カナンは呪われよ
奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」』
このお話の意味は何なのだろうと、しばらく思っていたのです。旧約聖書のことだから、そのままストレートではなく、解釈であって、その裏にある愛のはずなのですよ。
お話のタイプ的には、黄泉の国で見てはいけないというのにイザナキがイザナミの姿を見てしまった話とか、また「鶴の恩返し」のように見てはいけない物を見てしまって話が動く系統なのかなと思ったりしていたのですが、それだけじゃないなとしっくりこなくて、そんな時に佐藤さんの「人間の叡智」を読んでみたところ、この話は「後継者選び」なんだなと感じました。
「カナンは呪われよ」の「呪い」は「願い」の意味。マイナス的な感じがするのですが、プラス思考で考えると「試練」の意味なのかなと思いました。ハムに試練の試練を与えよという感じでしょうか。いろんな試練、いろんな訓練が後継者には必要なのですね。

ノアは、エリート。つまり神にお願いされた人。神に魅入られた人だと思うのですが、ノア的には、この神に魅入られたことが辛いことで、なんといいましょうか、呪縛的な感じだったのかなとも思ったのです。そうなってしまったからには、もうそれからは逃れられない呪縛でしょうか。
ノア的には、実はそれが辛くて折れそうな時もあった。ノアには後継者が必要で、その後継者は引き継いでいかなければいけない。だからこそ「試練」を与えた。
エリートとは、いいことばかりではなくて、いろんな状況に陥るのだと思います。それは現代の状況をみていても思います。それで「脆さ」もあると思います。エリートであり続けるというのはリスクもあるのかなと思うワケで、それに打ち勝っていくには試練、訓練が必要なのかもしれませんね。
最近、本を読んだり、お話を聞いたりしていると「エリート」という言葉を目や耳にします。
今、このエリートが動いていないというか、動きにくい状況なのでしょうか。
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記事

2014年10月01日 | Weblog
今、歯医者に通っている。先日、歯磨きをがんばっている様子ですねと言われた。うれしかった

で、その診察前の待合室にて呼ばれるまでに読む雑誌を探した。目に付いたのは、女優・広末涼子さん表紙のやつ。

サンデー毎日 2014年 9/21号 [雑誌]
クリエーター情報なし
毎日新聞社

今、広末さん主演の「聖女」という連続ドラマがなかなかよろしくて、はまって観ている感じなのです。広末さんと言ったらキャリアの長い女優さんでお名前やそのお姿もよく目にしたのですが、失礼ながら、演技をされているお姿を拝見するのは初めてに近いのです。そのドラマの広末さんは、なんと言ったらよいのでしょうか、話に入り込ませてくれるというか、惹きつけられると言うか、広末涼子さんってこんな感じの女優さんだったのと想いつつ観ております。そしてドラマの主題歌JUJUさんの「ラストシーン」もよくて、あの曲が流れ始めるとキタキタ~と言う感じなんですよ。
JUJU 『「ラストシーン」 NHKドラマ10「聖女」主題歌』


そんな広末さん表紙の雑誌。「サンデー毎日」。目次を見てみるといろいろあった中から気になったのが2つ。1つ目は「朝日新聞でいま何が起きているのか!」というやつ。

最近、テレビでいろいろあったアレですね。
池上彰さんの連載コラムが新聞に載るとか載らないとか言っていて、池上さんのコラムが・・・?と思っていたら、あらよあらよといううちに、朝日新聞ですか、その方々が謝罪会見されていて、なに?なに?って感じでみていたのですよね。そしたらその内容が、東日本大震災で原発が爆発した際のその当時の所長さんに関する記事と、従軍慰安婦の記事に関する謝罪だったワケです。
なになに??と思いながらみるテレビの中では、ものすごいフラッシュの中で頭を深々と下げる朝日新聞の方々。
??クエスチョンな感じでいたのですが先日の「たかじんのそこまで言って委員会」を観て、それらの記事を事実に基づいて記事を書くのではなくて、それをモデルにして小説みたいなのを書いて、それが事実かのように書いていたと解釈しました
その新聞記事が海外や国連に影響があったとか。日本の隣国ではたびたびそのような映像は見ていましたが、国連にまで影響があったとは少々ショックを受けました。
ただの新聞報道なのにと思ってみましたが、たしかインテリジェンスの世界では報道が重要になっていると聞いたし、国連でもそうなのかなと驚きました
従軍慰安婦に関しては、日本から遊郭で働いていた女性達が自ら志願して現地に行っていたといわれていて、そういえばドラマなどで外国なのに日本人の芸者さんがいたりするなと思ってみました。ああいう方達がそれにあたるのでしょうか。
原発に関しては、所長さんの指示の出し方の報道が違ったということですね。
そういう報道をすることによって、その先に何があったのかなと思って。その報道によって何を求めていたのかなと思った。ふと思ったのは、再びドラマの話になりますが「売国者」という言葉を一時期よく聞いたような気がしたのですが、それらのドラマの設定の中で、これが売国者?という感じがおおかったのですが、今回のこの事は、それに当てはまるようだなと感じました。
朝日新聞は、日本で2番目に発行部数が多い新聞とか。この先どうなっていくのでしょうか

そしてもう一つ気になったのは、外国の学術誌が富士山の噴火を大きく取り上げていたという記事です。内容的には、世界各地で東日本題震災クラスの大地震が起きた後は周辺の火山噴火があったみたいなのですが、東日本大震災の後だけがないということで、研究者達は、東日本でいつどの火山が噴火するかと危機感を高めていて、富士山をはじめとする東日本各地の火山帯で「異変」が起きているというまとめの内容とのことでした。
2014年9月27日午前11時53分頃、長野県と岐阜県にまたがる御嶽山(3067メートル)が噴火。
紅葉シーズン、そしてお昼時ということで山頂付近には沢山の登山客がいて、噴火の被害にあった要救助者が多数。自衛隊など救助に向かおうとするが、降り積もった火山灰が足元を取り、風に吹かれると視界をさえぎり、そして高濃度の火山ガスで非常に危険な状態などという事で救助活動がなかなか進まない。救助者も、この状態に非常にもどかしい様子。そして要救助者のご家族の方々の心情は計り知れないものだと思う。通常ならば災害が起きた場合、ボランティアが集まるのだが、ボランティアが足を踏み入れることができない状況。噴火が一刻もはやくおさまるのと、雨が御嶽山上空に降らないことを願うしだいです。

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戸惑う

2014年09月18日 | Weblog
万葉時代と現代では、見た目の美しさの基準が違うと聞いておりまして、その当時の絵など見ても、そうなのだろうなと思っておりました。
どちらかと言うと、万葉時代は、ほっぺがふっくらしていて、メリハリの無い体系がよかったのだと聞いたような気がしたのですが、万葉集1738が、そうではないかということを示しておりました。

上総(かみつふさ)の末(すえ)の珠名娘子(たまなをとめ)を詠みし一首
しなが鳥 安房に継ぎたる 梓弓 末の珠名は 胸別の 広き我妹 腰細の すがる娘子の その姿の きらきらしきに 花の如 笑みて立てれば 珠桙の 道行く人は 己が行く 道は行かずて 呼ばなくに 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は あらかじめ 己妻離りて 乞はなくに 鍵さへ奉る 人皆の かく迷へれば かほよきに 寄りてそ妹は たはれてありける
訳・(しなが鳥)安房の地続きの、(梓弓)周准郡の珠名は、胸ゆたかな娘、腰の細いすがる蜂のようなおとめで、顔立ちがまばゆいまでに美しい上に、花のようににっこり笑って立っていると、(玉桙の)道を行く人は、自分の通るべき道は行かないで、呼びもしないのに彼女の門に来てしまう。(さし並ぶ)隣家の主は、前もって自分の妻を離別して、求めもしないのに鍵までも渡す。皆々がこのように心戸惑っているので、その中の最も姿のよい男に寄り添って娘子は遊びたわけている。

「蜂のようなおとめ」なのですよ。いわゆる、めりはりのある身体つきで、ついでに小顔で、さらについでにお目目がキョッと大きかったのかなと想像するしだいです。
万葉時代にそんな娘子がいて男子達を惑わしていたという歌。。。というか、題のところで、通常は「歌一首」となるようなのですが、ここでは「歌」の字がないのです。だから、歌というよりも、記事?になるのかなと思ってみました。
蜂のような娘子が男子達を戸惑わせている状況を書いているワケなのですが、「戸惑い」というのは字の様子からみて、この記事の状況がそう言わせているのかなと思ってみました。
「鍵を渡す」ということですが、それは、女性に主婦権を与えることで、正妻として迎えるという意思表示との事。鍵は戸に付いているワケですから、その戸の管理を迷っている状況を「戸惑う」というのかなと思ってみました。
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留无留无

2014年07月09日 | Weblog
万葉集1737 
大滝を過ぎて夏実に近く居て清き川瀬を見るがさやけさ
(大滝を過ぎて菜摘の近くにいて、清い川瀬を見る心のすがすがしさよ)

菜摘というのは、早春に女子達が食用の野草を摘み取ることだと思うのですが、
この歌は、滝の流れに乗せて自分の恋心の心情を歌っているのだろうなと思ってみた。

突然現れたのですよ。滝のごとく。ドウドウと動と突然。ほら、アイドルの歌みたいな感じで
突然現れたの~~みたいな感じで、キターみたいな衝撃的ぃみたいなそんな感じ。
出会い、それが大滝。
で、うまくいって菜摘という女子の側にいるわけでしょ。再びアイドルの歌みたいにですよ、
あなたを手に入れたの~の、ノリでしょうか。
滝のように力強い喜びw

で、やってきました清い川瀬。それは、まさに静。やすらぎって感じでしょうか
あなたの側にいるだけで~いい感じなの~

あ、そうですか、るんるんな感じなのですね。留无留无

秋保大滝を見て、この歌に出合ったのですが、そんな解釈となりました。
作者は男性でしょうね。「作者、兵部川原は未詳」としかありません。
万葉人 兵部川原はるんるんを歌にした。アイドルみたい

ふっふ~ん
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山寺

2014年07月08日 | Weblog
秋保大滝でマイナスイオンを堪能した後は、バスで愛子(あやし)駅まで行きJR仙石線にて山寺までいきました。山寺には立石寺がありました。
目指すはあの山の頂上。
だからして、登るワケです。階段を使って。時間の関係もあって駆け上がるのです。階段を。階段を駆け上がる。
駆け上がる。駆け上がる。階段を。駆け上がる。
こんな景色の中に階段があって駆け上がる。そして、展望台みたいなところに着き
景色を堪能。山間の町だぁ。この展望台からJR仙石線が見えるのですが、愛子から山寺まで乗ってきたワケなのですが、その間、ものすごい山道なんですよ。ものすごい山道で、よくここに線路ができたなぁと感動しつつ乗ってました。その電車の車窓から気になったのがこちら。
名前はマタタビだそうです。調べてみると九州にもあるような感じで書かれてましたが、九州で見たことあったっけ?とにかくこのマタタビの白い葉の所が太陽の光に照らされてキラキラしていてきれいだったのです。また旅。。。あ、マタタビがきれいだった宮城県と山形県の県境の山。すごい所に線路がありました。人間ってすごいなと感動。
景色を堪能した後は、帰りの電車に間に合うように階段を掛け下がる。電車に間に合うように掛け下がる。
奥の細道松尾芭蕉さんも来たワケですね。「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」ですか。さすがだな。。。しみる。。。
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秋保大滝

2014年07月08日 | Weblog
秋保大滝に行きました。秋保温泉からウォーキングしてみました。


秋保温泉からスタート。川に沿って歩いていくような感じだったのですが、その川の水がきれいできれいで、
きれいで、そんなきれいな川の水を眺めつつ、
木の切り株や木陰に物語を感じながら馬頭観音を地域の方に教えてもらいつつ
さくらんぼや蝶をカメラにおさめつつ、てくてく地域の民話を読みつつ歩く。
秋保温泉から秋保大滝まで車で20分ということだったので、歩けない距離ではないなと思ってスタートしてみたが、なかなか着かない。。。そう、田舎道の20分だったんです。信号待ちもない、車も混雑していない、そんな道の20分だったのですよ。。。道中、ものすごい山道というワケでもなく、田舎の住宅街を歩く。お天気は快晴。暑い、が、風がありまして、それには助かりました。バテバテになりながらも目的地を目指し歩く歩く歩くこと2時間ちょっとだったでしょうか、
秋保神社に到着。ホッとしつつも再び歩く。今度は山道。
整備されてはいましたが山道。山道を歩く。山道。光と影。光と影。光と影がきれい。
光と影をカメラにおさめつつ、ぐだぐだになりながらも歩く。そして見えてきた秋保大滝。おぉ、マイナスイオンって感じwおぉ。。。そして。。。
きたーっ!秋保大滝っ!!着いたっ!!!おぉっ!!まぶしいっ!まぶしすぎるっだはありませんか!
おぉ、見事でありますっ!
で、後ろを振り返ると、まさに「静」。滝が「動」であるなら、この景色は「静」。すばらしいではあませんか。道中くじけて断念しようかとも思いましたが、ここまで来て本当によかった。達成感もありつつ感動も一入でした。秋保というのは奥座敷と言われていたところらしく、昔はお殿様なんかが静養をしにこの道をあるいたのかなぁと思いつつ歩いていました。川のせせらぎの音、鳥達のさえずりとともに歩き、やさしすぎるくらいのそよ風、そして、たっぷりのマイナスイオンをご馳走様でした。
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杜の都

2014年07月07日 | Weblog
あの日、何も知らずにテレビに目を向けると、小さい漁港が映っていて、そこに大きな船が映っていたのです。その船は多少の波では動くはずもないくらいの大きさだったのですが、波の意思によって本来の船の動きではない動きをしていたのです。 
この鳥は、あの日の光景を見ていたのでしょうか。


杜の都仙台に行ってきました。仙台に行くのは初めてで福岡空港から2時間かからなく、なんの苦痛も無く簡単に行けてしまって「はるばるやって来た」という感じがまったくなく、良かったのか悪かったのかという感じでしたがグッと距離感が縮まり仙台は身近なエリアとなりました。
仙台駅に着いての第一印象は、すごく都会だなぁでした。ビルが立ち並び、交通量も多くてとても賑やか。若者も多くおしゃれ感も漂っている。


到着したのが丁度お昼時だったのでランチをとれる所を探索していたら、EDENという場所が目につきました。オープンカフェの様子なのですが、道路に面していなくて中庭スタイル。で、その中庭のガーデニングがいい感じ。ビルの谷間の空間で、隣のビルのコンクリートがむき出しではありましたが、なにかしら都会感があり、それを含めでとてもいい感じでした。
EDENを出て、駅周辺を探索してみました。並木がとてもきれいで、アーケードがありましたのでそこを歩いてみると、本当に賑やかで沢山のお店が立ち並び興味をそそられるばかりでした。興味をそそられあれやこれやみていたら、Acid Black Cherryセキスイハイムスーパーアリーナライブ会場行きのシャトルバスに乗り遅れていました。が、ライブにはギリギリ間に合いました。会場に入ってすぐに始まりました。
そのライブ会場は、市街地から離れているらしいと情報は入っていましたが、まさかあれ程とはと驚きました。ライブ会場へと行く途中の景色を見ていたら、家々が立ち並んでいるワケです。空港から仙台市内に入る途中の景色も同じことを思ったのですが、とても大地震が起きた後の景色には見えない。それは仙台駅周辺でも思った事で、どちらかというと住宅にしても市街地の建築物しても、比較的新しい感じがして町中が綺麗なのです。この疑問を訊いてみると、この地域はずっと以前から大きな地震があって、建物自体の耐震構造が優れているらしく、前回の東日本大震災でも地震による被害はそうでもなく、一番大きい被害は新幹線が受けたのだとありました。東日本大震災で大きな被害をもたらしたのは津波なのですね。
そんなしっかりとしているという建築物を見ていたら、今回のライブ会場のネーミングに「セキスイハイム」とありますが、セキスイハイムと言ったら住宅販売会社。これは、耐震構造に自身ありということで、この地にネーミングライツしたのかなと思ってみました。
今回のこの旅で、被災地という所へは行きませんでした。もちろん気にはなりますが今回は行きませんでした。現地の観光ガイドさんは、津波を受けた場所を見てみると津波の恐ろしさがわかると言われていました。また、被災地に住まわれていている方がいらっしゃって、その方々は大きな船が建物の上に乗ったりしている光景、それはただただテレビでしか見ているだけしかできなかった光景を実際に見ていらっしゃったようです。
移動する乗り物の中から、おそらく仮説住宅だろうなと思われる建物もありました。でも、仙台市内だけしか見ていませんが「復興」という言葉が適当なのかなとも感じました。復興というよりも・・・復興というよりも「リベンジ」なのかなとも。耐震構造が優れているというのはリベンジを繰り返してきたからそうなったのかなと思うし、日本語で言うところの「再挑戦」のなるワケかと思ってみました。
バベルの塔は、人間の可能性を信じる神と再挑戦に挑んでいく人間の話。


仙台に行っての感想は、一言でいうと「ここどこだっけ?」です。それはなぜかというと、全体的に建物が比較的新しい感じで東北らしさというか、地域性を感じる景色ではなかったと思うのですよね。また、東北弁というか東北なまりを感じなかったし、山を歩く機会があったのですが、天気がものすごくよいのはいいことだったのですが、暑くて予想外の日焼けもしてしまって、ここどこだっけ?あれ?私、九州からきたよね?みたいなそんな感覚に陥りっぱなしの状況でした。表面的にはそんな感じだったのですが「気」なるものは違ったのかなと感じました。杜の都の「杜」というのは、ふさぐ、とざす、封鎖するなどの意味があるとのことですが、土地的に何かを封印しているのかなと思ってみたのです。
何かなと思ってみたのですが、人間の欲的なものを封印してしまうのかなと思ったワケです。この旅ではよくお寺に行きました。仙台市内のアーケード内にもお寺があって、なぜかよくお線香と蝋燭をあげていて、あれらのお寺を巡っていると、京都というのは都なのだなというのを思いました。その時代の最先端の建築様式で洗練されているのが京都あたりのお寺なのに対し、今回のたびで巡ったお寺は自然の景観のなかにあるお寺と言ったいいのでしょうか、そんな感じの場所でした。
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アンソロジー

2014年04月04日 | Weblog
万葉集の略年表を見ると、西暦592年の推古天皇から始まっている。摂政は聖徳太子で、日本の基礎となる文化を創り上げていこうとしていた時代。
万葉集は、代表的な歌人はもちろん、名も無き歌人達の歌を集めたアンソロジー。全20巻で約4500首もの歌収まっている。
アンソロジーって、素材的には共通しているのだろうけど、個々の微妙さが現れてくるところなのかなと思う。
そんな万葉集の舞台は、奈良県明日香村から始まっているようです。この時代は、天皇達の歌が多いようなのですが、歌の中にその土地の山や川の名前が入っています。
それらは、現代でも同じ名前で存在しています。以前、私は明日香村に行った時に、万葉集の中に書かれている飛鳥川を見ました。感想としましては「え。。。これ?」と言う感じの川というか小川というか、とくに。。。そう、感動もすることもないそんな川でした。その時は「・・・」な感じでスルーしそうな感じだったのですが、この万葉集を読んであの飛鳥川を想い浮かべてみると、やはりそこに土地に対しての愛情を感じました。飛鳥川は、本当に小さい川で、子供だけでも遊んでいても大丈夫そうな川でした。きっと明日香人達は子供のころから飛鳥川で遊んでいて、そこで楽しい思い出はもちろん、学びもたくさんあったはず。小さくてなんてない川なのだけど、他の土地の人にはわからない良さがわかっていた。そんな育ててもらった土地に対して感謝と愛情を込めて歌にしたのだろうなと想いました。
私が土地名が入っている歌でいいなと思うのは、持統天皇の「春すぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山」です。この歌はですね「よしっ、がんばれる!いけるっ」と感じるんです。いつも見ている景色なのですが、今日は何かが違うのです。そんな感じの歌と感じる。持統天皇だってやる気無い時があったはず。でも、洗濯物越しに見る香具山がなぜかいい感じで「よっしゃっ!いける」と思った。それを歌にしたんです。香具山から何かパワーでももらったのでしょうか。こうやって、明日香人達の歌を読んでいると、再び明日香村に行きたくなります。その土地の人々に愛された土地に行きたいと思う。当時の明日香人達は、歌という形で現代に対して観光大使的な存在にもなるようです。

万葉集の代表的な歌人の中に山上憶良がいます。万葉集の解説本を何冊か読んでいくうちに自分の中で引っかかってきた人です。他の歌人達と何かが違う感じというか、情緒的で華やかな感じもある中で、これを歌にするかと感じる「貧窮問答の歌」などとあったりするのです。山上憶良は情緒を感じさせる枕詞を使わず、現実を歌にすることが多かった歌人だとか。憶良さんの事を読んでいくと悲しみというか、やはり現実というのを感じて、歌的には。。。そう、暗さもあったりなんですけど、憶良さんの事を知ったり、歌を読んでいくにつれて、山上憶良という人は、ものすごく明るい性格なのではと思ってきました。
悲しみは憶良に聞け
中西 進
光文社

というかですね、いろいろ知っていくにつれてシンガーソングライターの中島みゆきさんと重なったのです。みゆきさんの歌の中には、ものすごく暗い歌があるんですよ。初めて聞いた時びっくりしたくらいです。でも、ラジオ番組でしゃべられるみゆきさんは、ものすごく明るいのです。ものすごくおもしろい。そんなみゆきさんと憶良さんが重なったのです。そんな思っている矢先、ある番組でさだまさしさんが、「人生は明るく、歌は暗く」と言われていて、これなのかと思いました。さだまさしさんも暗い系の歌を歌われ、そしてトークは快調な感じの方。そして、さらに想いだされたのが井上陽水さんです。陽水さんの歌の中に「からたちの花」というのがあるのですが、これが「貧窮問答の歌」に匹敵するのではないかと思う歌なんです。作詞はナガレボシさんと言う方みたいなのですが、陽水さんの歌唱力でものすごくしみる歌なのです。そんなはずはないのに、美しいのはなぜ?な感じの歌なのです。そんな陽水さんも性格的には明るい感じの方なのだろうなという感じを受けます。こんな現代の詩人達と憶良さんには共通するなにかがあるのではないのかなと思うワケです。
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アンパンマン

2014年03月12日 | Weblog
子供達に大人気のアンパンマン。
作者のやなせたかしさんは、アンパンマンのことを、かっこいいヒーローではなく、
自分の顔をみんなにわけあたえてボロボロになっていく不恰好なヒーローなんですと言われていたとか。
そんなアンパンマンは、もともとは大人向けにつくられたお話だったみたいなんですが、当時は人気がでなかったそうです。
その後、画風も少々変わったようですが、そんな不恰好なヒーローを見つけ出したのが子供達なんですね。
東日本大震災の際には、「それいけ!アンパンマン」にリクエストが殺到したとか。

「ああ アンパンマン やさしい君は いけ みんなの夢まもるため(作詞やなせたかし)」歌の一部が書かれてるポスター。
とてもまぶしく、そして希望を感じます。
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2014年03月04日 | Weblog
夢醒めあらぬソチオリンピックも終わった。
閉会式では、男の子がソチオリンピックのタイトルの本をパタンと閉じていた。
まさに、感動、そしていろんなストーリーがあった。
今読んでいる本に、「物語」と「小説」の説明があって、「物語」は天皇を主人公とした話で、
「小説」は庶民を主人公とした話だとあって、どうかなぁと思ってみたのですが、「物語」って「伝説」ってことかなと解釈途中の所。
あのソチオリンピック閉会式で、男の子が読んでいた本は、どちらなんだろうと思ってみた。
「物語」か「小説」か。
選手の方々は、大変な練習をこなしていらっしゃるとは思いますが、通常は一般市民として生活されているところが感じられる。
でも、オリンピアンになった時、そこにエネルギーが集中し、神々のよな存在になるのではないか。
だとしたら、あの男の子が読んでいた本は「物語」だ。語り継がれていく「伝説」だ。
この「伝説」になっていくのは、メダルというのがそうさせていくのかと思っていたのだが、それだけではなかったようだ。
浅田真央選手の8トリプルには本当に感動しました。

浅田真央さん、坂東玉三郎さん エアーウィーヴ


ところで、今回のオリンピックを観ていて気になる言葉がりました。それは「軸」です。
「軸」かぁ。。。「軸」ねぇ。思っていたら、ある言葉に繋がりました。それは「文化」。
軸って文化だ、となりました。
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