ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

大野病院事件 第11回公判

2007年12月22日 | 大野病院事件

癒着胎盤で母体死亡となった事例

第1回公判 1/26 冒頭陳述
第2回公判 2/23 近隣の産婦人科医 前立ちの外科医
第3回公判 3/16 手術室にいた助産師 麻酔科医
第4回公判 4/27 手術室にいた看護師 病院長
第5回公判 5/25 病理鑑定医
第6回公判 7/20 田中憲一新潟大教授(産婦人科)
第7回公判 8/31 加藤医師に対する本人尋問
第8回公判 9/28 中山雅弘先生(胎盤病理の専門家)
第9回公判 10/26 岡村州博東北大教授(産婦人科)
第10回公判 11/30 池ノ上克宮崎大教授(産婦人科)

第11回公判 12/21 加藤医師に対する本人尋問

【今後の予定】 
1/25 証拠書類の採否を決定、遺族の意見陳述
3/14 論告求刑
5/ 9  最終弁論
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ロハス・メディカル ブログ

 福島県立大野病院事件第11回公判(0)

 福島県立大野病院事件第11回公判(1)

大野事件 第11回公判!【産科医療のこれから】

第十一回公判について
【周産期医療の崩壊をくい止める会】

大野病院事件についての自ブロク内リンク集

****** m3.com 医療維新、2007年12月25日

福島県立大野病院事件◆Vol.6

「異状死の届け出はしなくていい」
医師法第21条で加藤医師への尋問、院長との会話が明らかに
橋本佳子(m3.com編集長)

 大野病院院長:「医療過誤はあったのか」
 加藤医師:「いえ、ありません」
 大野病院院長:「それでは、異状死の届け出はしなくていい」

 福島県立大野病院で、女性が大量出血で死亡したのは2004年12月17日のこと。当日の夜、被告である加藤克彦医師と同病院の院長との間で、こんな会話が交わされたという。加藤医師は、業務上過失致死罪に加えて、異状死の届け出をしなかったとして医師法第21条違反にも問われている。先週末の12月21日に開かれた第11回公判では、加藤医師は、「異状死の届け出対象は医療過誤で、施設長である院長が届け出る」という認識を持っていたと述べた。

加藤医師は当時の厚生省指針に準拠

 この日の公判では、25人分の一般傍聴席を求め、並んだのは63人。午前10時開廷で、午前中は12時まで、午後は1時から3時まで、被告人質問が行われた。

 医師法第21条に基づく異状死の届け出について、加藤医師の認識や院内でのやり取りが明らかになったことが、この日の一番のポイントだ。そのほか、女性の死亡に伴い、被告の加藤医師がどんな心境に陥ったか、また遺族側といかなるやり取りがなされたかなど、当時の様子が語られ、非常に興味深い展開になった(これらの点については、「墓前で自然な気持ちで土下座した」を参照)。

 医師法第21条は、「医師が異状死体を検案した場合は、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と定めている。しかし、何が「異状死体」に当たるのかなど、21条の解釈をめぐっては、日本法医学会や日本外科学会、厚生労働省など様々な団体が異なる解釈を出しており、医療現場は混乱しているのが現状だ。

 加藤医師は、21条について、「事件や事故で死亡した場合や医療過誤で死亡した場合に、施設長である院長が警察に届け出るという認識だった」と語った。ここでいう「医療過誤」とは、「医療準則に反した行為」などを想定したという。加藤医師の頭には、当時の厚生省保健医療局国立病院部が2000年に作成した「リスクマネージメントマニュアル作成指針」が念頭にあった。この指針では、「医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と記載している。また大野病院の「医療事故防止のための安全管理マニュアル」も、この指針に沿った内容になっている。加藤医師は、大野病院のマニュアルの存在は知っていたものの、内容は読んでいなかった。

「過誤がないなら、届け出はしなくていい」と院長

 手術当日、加藤医師は、異状死の届け出について、院長と2回話す機会があった。1回目は、女性の死亡直後の19時半ごろで、手術室から出た直後、廊下で立ち話をした際だ。加藤医師が「届け出はしますか」と聞いたところ、院長は「届け出はしなくていい」と、「届け出は君の仕事ではないから」というニュアンスで話したという。

 2回目は、22時40分ごろに女性の死亡退院を見送った後、院長と話し合いをした際だ。手術を担当した麻酔科医が同席して、手術の経過を説明するとともに、死亡原因については出血性ショックによる心室細動であると説明した。

 院長は「過誤はあったのか」と質問したが、加藤医師は「いえ、ありません」と答えた。同様の質問をされた麻酔科医も「ありません」と答えた。院長は、「医療過誤がないから、届け出はしなくていい」との趣旨の発言をして、話し合いは終わった。

 その直後、院長は福島県の病院局長との電話で、「過誤ではないから、届け出はしなくていい」という趣旨の話をしていた。その後、12月20日に各診療科部長などが集まった会議の席上でも、「過誤はないと考えられるので、届け出はしなかった」と院長は説明したという。

 医師法第21条に関する証人尋問は、第4回公判で院長に対して行われたのみ。弁護側は、高名な法学者の21条に関する意見書を証拠として出したが、採用はされなかった。それだけに、加藤医師のこの日の証言は重要な意味を持つ。ただ、たとえ院長が「届け出なくていい」と言ったとしても、法律上は「異状死体を検案した医師が届け出る」となっている。また、前述のように「異状死体」の定義は必ずしも明確ではない。加藤医師が21条違反の罪に問われるか否かは、微妙なところだ。

「検察官は何をお聞きになりたいのですか」と裁判長

 そのほか、第11回公判では、裁判長が検察官の尋問のやり方を問題視するという、珍しい場面があったので、触れておく。裁判長の心証がうかがえた場面でもある。

 加藤医師の法廷での証言には、起訴前の取り調べの際の供述調書などと食い違う点が幾つかある。例えば、供述調書では、「胎盤を子宮から剥離する際、クーパーを使用した」としているが、この日は、「クーパーと用手剥離を併用した」と話した。

 その理由を聞かれた加藤医師は、「記載はないが、そういう(クーパーを併用しているという)気持ちで説明した」と話した。検察側は加藤医師の記憶の曖昧さを問題視し、証言の信憑(しんぴょう)性に疑問を投げかけようとしたのか、何度か同じ質問を繰り返したところ、裁判長が「要するに、検察官は何をお聞きになりたいのですか。もうお答えになっているじゃないですか。検察官が思った答えが出ないというだけではないのですか」と制した。

「検察は立証に失敗している」と弁護団

 公判後、午後4時半すぎから開かれた記者会見で、主任弁護人の平岩敬一氏は、「弁護団は、検察は立証に失敗しているとみている。これまでの証人尋問により、検察が主張する用手剥離の中断は、臨床現場では行われていないことが明らかになった」と語った。検察の訴因は、「用手剥離で出血を来した場合は剥離を中断して、子宮摘出に移行すべきである。しかし、用手剥離を継続した。そのことが大量出血を招き、死亡につながった」という点だ。だが、これまで証人尋問を受けた周産期医療の専門家は、剥離の完遂により子宮収縮が期待でき、止血作業もやりやすくなると証言している。

 次回の公判は来年の1月25日。供述調書などの証拠調べのほか、遺族3人(死亡した女性の夫、父、弟)の意見陳述が行われる。

(m3.com 医療維新、2007年12月25日)

****** m3.com 医療維新、2007年12月25日

福島県立大野病院事件◆Vol.7

「墓前で自然な気持ちで土下座した」
加藤医師が事故後の心境や遺族とのやり取りを語る
橋本佳子(m3.com編集長)

 「私を信頼して、受診してくださったのに、亡くなってしまうという悪い結果になったことを本当に申し訳なく思っています。突然お亡くなりになり、本当に私もショックでした。

 亡くなってしまってからは、(女性が)受診したときからのいろいろな場面が頭に浮かんできて、頭から離れない状態になりました。
 
 家族の方には分かっていただきたいと思ってはいるのですが、なかなか受け入れていただくことは難しいのかなと考えています。

 こうすればよかった、他にいい方法があったのかとも思いますが、あの状況でそれ以上のいい方法は思い浮かびませんでした。

 亡くなってしまった現場に私がいて、私がその現場の責任者で、亡くなってしまったという事実があるわけで、その事実に対して責任があると思われるのも、当然のことだと感じています。

 できる限りのことは、一生懸命にやりました。ただ、亡くなってしまったという結果は、もう変えようもない結果ですので、非常に重い事実として受け止めています。申し訳ありませんでした。

 最後になりますけれども、ご冥福を心からお祈りします」

「すみません」とずっと頭を下げていた

 福島県立大野病院事件の第11回公判では、女性の死亡後、被告である加藤克彦医師と、遺族との間でどんなやり取りがあったのか、その詳細が加藤医師本人の口から語られた(公判の概要は、「異状死の届け出はしなくていい」を参照)。前述したのは、弁護士が一連の経過を尋ねた後に、「最後に遺族に対して」とコメントを求めた際、加藤医師が語った言葉だ。

加藤医師の証言を基に、当時のやり取りを再現しよう。

 本事件で、帝王切開手術を受けた女性が死亡したのは、2004年12月17日の19時1分。死亡直後、加藤医師は突然の死亡にかなりショックを受け、茫然として、頭が真っ白になったという。

 手術室にいたスタッフ全員で合掌。その後、腹部の縫合や点滴ラインの抜管、死亡後の処置などを行い、19時30分すぎにやや広めの病室に遺体を運んだ。その後、遺族のほか、それ以外の人も含めて十数人が集まった。最初は沈痛な雰囲気で遺族らは遺体の手を握って、泣いていた。加藤医師は、手術の経過を説明しようと思っていたが、遺族以外の人もいたため、説明を控えていた。

 いろいろな人が加藤医師の前に来たが、中には罵声を浴びせるような人もいた。そのように言う気持ちは当然だとは思いつつも、「この時は、かなりこたえた」(加藤医師)という。その病室にいたのは約1時間。「すみません」と何度も言いながら、ずっと頭を下げている状態だった。

 その後、別室に移り、死亡した女性の夫と、夫妻の双方の両親、病棟の看護師長、助産師が同席し、加藤医師は入院から手術、死亡に至る経過を説明した。

 本件の手術は、14時26分に開始した。術中、輸血用の血液を追加発注し、その到着までに約1時間半ほどかかった。手術中に説明がなかったことを遺族から指摘され、この点については、加藤医師は「説明する余裕がなかったので、申し訳ありません」と謝罪した。家族への説明は約1時間かかった。この説明の際に書いた紙も、コピーして手渡した。

 加藤医師は、死亡原因を知りたいとの考えから病理解剖を勧めたが、「これ以上、体に傷を付けたくない」との理由から断られた。

 その後、加藤医師は、死亡診断書を書いた。「妊娠36週の帝王切開手術で、癒着胎盤があり、出血性ショックを来し、心室細動が起こり、心停止した」という旨を記した。死因については麻酔科医と話し合ったこともあり、あまり迷わずに書いたという。

 遺族が遺体とともに病院を後にしたのは、22時40分ごろ。病院の裏の玄関まで行き、加藤医師をはじめとするスタッフが見送った。「非常に悲しかった。遺族に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった」(加藤医師)。

「土下座してくれ」と遺族に言われる

 加藤医師は、死亡した女性の告別式には出席しなかった。病院や県の病院局と話し合った結果だ。女性のことは、ふと頭に浮かんだり、カルテを整理しているときなど、頻繁に考えていたという。

 死亡から約10日後の12月26日、院長、事務長、麻酔科医とともに、加藤医師は女性宅を尋ねた。手術の経過を改めて説明するとともに、「精一杯がんばったけれども、こんな結果になって申し訳ありませんでした」と謝罪した。

 大野病院の事故調査委員会は、翌2005年3月に、事故の調査報告書をまとめている。その際にも遺族に会ったが、「墓前にも報告してくれ。お墓のところで、土下座してくれ」と言われたという。「死亡させてしまったという気持ちが強く、本当に申し訳ないと思い、自然な気持ちで土下座しました」(加藤医師)。

 その後、2006年2月の逮捕前までは月命日の前後の休日に、逮捕後は命日に墓参をしているという。

 女性の死亡直後も、また今でも加藤医師は、「自分の手技に問題があったとは考えていない」としている。それでも、女性の突然の死亡にショックを受け、強い謝罪の気持ちを今に至るまで持ち続けている。

(m3.com 医療維新、2007年12月25日)

****** OhmyNews、2007年12月21日

福島県立大野病院事件、被告医師が経緯を語る

記者:軸丸 靖子

 2004年12月に福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した加藤克彦医師が業務上過失致死と異状死の届け出違反(医師法21条違反)に問われている事件の第11回公判が21日、福島地裁で開かれた。

 今回は、8月の第7回公判で終わらなかった被告本人への尋問の続き。21条違反があったかについて、弁護側は、女性が亡くなってからの医師と病院側の対応を問いただした。

患者死亡後の経緯生々しく

 手術室で女性の死亡が確認されたのは04年12月17日午後7時1分。そのときの心境を問われた加藤医師は、

 「突然亡くなられたので、かなりショックで呆然として頭が真っ白だった。信頼して受診していただいたのに悪い結果になってしまって、本当に申し訳ないと思った」

と話した。

 手術室ではその後、スタッフ全員で合掌。腹部を縫合し、点滴などの管を抜いてガーゼを充填、病室へ戻す準備をした。広めの病室へ運ぶと、女性の家族ら 10数人が入ってきた。死亡に至った経過を説明しようとしたが、目の前に次々にいろいろな人が立ち、罵声を浴びせられることもあって説明できる状態になかったという。

 「かなりこたえた。そう言われるのも当然だろうと思い、1時間くらいはその部屋にいた。(結果的に何も言えず)すみませんと何度も頭を下げていた」(加藤医師)

 その後、別室で女性の夫と双方の両親に経過を説明した。午後2時26分に始まった手術で4時間以上、輸血を待っていた1時間のあいだにも説明がなかったことを家族に指摘されたという。

 加藤医師はその後、死亡診断書を書き、午後10時半過ぎに退院する女性と家族を病院の裏口まで見送った。

 その足で院長室へ向かい、麻酔医とともに、女性の受診から術中死亡までの経緯を説明。胎盤剥離の経過やクーパーの使用についても説明したが、「医療過誤はないから異状死の届け出はしなくてよい」と院長が判断した。手術直後、および数日後にあった院内の会議でも同様の話が出たが、いずれも届け出は不要と言われたという。

 女性の葬儀には、病院と県病院局の判断で参列しないことになったが、数日後に女性の自宅で謝罪した。

 「『お墓で土下座してきてくれ』と言われたので、行った。女性を亡くならせてしまったという気持ちが強く、本当に謝罪したいという思いで自然に土下座した。(その後も)お墓を教えていただいたので、逮捕前までは月命日の前後の休日に行っていた。逮捕後は年1回の命日に行っている」

と語った。

 ただ、女性の死亡に関して医療過誤があったかに関して、医療過誤の定義を問われた加藤医師は、医療準則に反した場合に被害が生じた場合」と明言。この件では準則に反しておらず、医療過誤ではないと考えているとの見解を改めて示した。

「検察は何が聞きたいの?」

 一方の検察側は、応援医師を依頼するときのやりとりや、術中エコーでの所見、クーパー(手術用はさみ)の使い方などについて、過去の尋問ですでに行ったのと同じ問いを繰り返し、加藤医師の証言の揺れや、供述調書と証言の矛盾を突いた。

 特に、癒着した胎盤の剥離にクーパーを用いた考えや使い方については、細かく追及。

 供述調書では「クーパーで剥離した」となっているのに、法廷では「クーパーと指を併用した」となっていることについて、「頭の中に(併用は当たり前という考えが)あったというが、声に出して言ったのか?」「この件については前回の証言で何と答えたか?」と記憶を試すような問いを繰り返したため、弁護団の異議を受けた鈴木信行裁判長が「裁判所としては、それについては答えが出ている」と口をはさむ場面も。

 「要するに、検察官は何をお聞きになりたいんですか? もう答えているじゃないですか」

といさめても「まだ」と食い下がる検察官を

 「(検察が)思った答えが(被告から)出ないというだけじゃないでしょうか」

と制し、傍聴席を驚かせた。

 次回は1月25日で、証拠の採否が決まるほか、女性の家族が意見陳述に立つ予定。

(OhmyNews、2007年12月21日)