地域医療が全国各地で崩壊の危機に直面している今、この問題への対応は、一市、一町の利害を超えて、広域医療圏全体で一体となって取り組んでゆく必要があります。拠点となる診療科を地域で割り振って、そこに医師を集中的に配置するなど、診療体制に余裕を持たせることが大切と考えられます。
****** 以下、神戸新聞、2006年7月30日
医師はどこへ/市町の利害を超え新モデル探れ
産婦人科医を「絶滅危惧種」と呼ぶ人がいる。「いま手を差し伸べなければ、本当にいなくなるかもしれない。絶滅したトキやコウノトリのように」
名付け親の三浦徹さんは、神戸市垂水区にある佐野病院の産婦人科医である。同じ医師の目に現実は厳しく映るようだ。
安全性を追求するあまり、技術第一の出産に偏っていることに気づいたのが十九年前。その反省に立ち、母子の自然に産む力、生きる力を引き出す分娩に軸足を置き換え、助産科を開設した。正常産を助産師に委ねることにより、産科医の過剰労働を軽減できる。医師の産科離れに歯止めをかける可能性もある、と考えている。
その三浦医師のもとへ、自治体の関係者が見学に訪れる。産科離れが進み、あらためて助産師が注目され出した。
日本産婦人科学会の最近の調査によると、全国で実際に出産できる病院・診療所は約三千カ所、赤ちゃんを取り上げる医師は約八千人しかいない。
二〇〇二年に産婦人科・産科を掲げていた医療施設は六千四百、〇四年に主な診療科を産婦人科・産科としていた医師は一万六百人いた。産科を掲げていても、出産を扱わない医師が増えているのである。
医療技術の進歩でお産の“安全神話”が行き渡り、失敗できない、と委縮する。手を引く医師が増える大きな理由だ。
明石市内の病院の医師は日々、それを痛感するという。この病院では月々二十人の赤ちゃんが生まれる。三人いる産科医は二十四時間体制で、誰かが待機する。手術は気が張る。危険を伴う場合が少なくないからだ。気の休まるときがない。
地方の「叫び」に耳を
福島県で二月、産科医が逮捕、起訴される事例があって以来、一層、身構えるようになった。看板を下ろす小児科医が少なくないのも、よく似た理由である。
だが、産科や小児科離れだけが地域医療を脅かしているのではない。都市と地方の間で医師の偏在が進み、地方では、各診療科で医師不足と、それによる地域医療の弱体化が顕著になっている。
「これ以上、問題を先送りできない」
豊岡市で先日、発足した「但馬の医療確保対策協議会」は、土壇場に追い詰められた地方の「叫び」である。
県土の25%を占める但馬の医療は、九つの公立病院と二十六の公立診療所に支えられているといっても過言ではない。ところが、この二年間で医師が二十一人減った。欠員が出ても補充できず、診療科の閉鎖や縮小が相次いでいる。
丹波市や隣の篠山市でも、同じ問題に直面する。公的な中核病院が軒並み累積赤字を抱え、診療体制の再編や病院間の機能の見直しも急務となっている。
医師不足の原因が、二年前に始まった臨床研修制度にあるとされるのは皮肉だ。
若い医師たちは、医局に縛られず、より魅力のある病院を研修先として自由に選べるようになった。そのこと自体、評価する声は多い。ただその結果、大学は人手不足に陥り、派遣先から医師を引き揚げざるを得なくなった。揚げ句、地方の医療が疲弊するという構図である。
新しい一歩を大切に
地域医療がやせ細りつつある。地方へ行くほど問題は深刻だ。「崩壊」の懸念すらささやかれる。医療は今、構造的な問題に突き当たっているというべきだろう。
先の国会で医療制度改革法が成立した。少子高齢化が進んでも、安心して病院にかかれるように、とのうたい文句だ。
しかし、頼るべき医師が身近にいなくなる。公立病院でも診療科が減っていく。医療制度の見直しが進む一方で、安心とはほど遠い現場の実態がある。これを横に置いて、国民が期待する医療を本当に実現できるのだろうか。
ただ、逆にこんなときだからこそ、新しい地域医療の絵を、地域自ら描き直すチャンスといえなくもない。
但馬の医療確保対策協議会は、市長、町長たちが病院の集約化・重点化を共通認識とすることで一致した。一市、一町の利害を超えて取り組む雰囲気が生まれたのは初めてであり、大きな一歩になるはずだ。
拠点となる診療科を地域に割り振り、医師を集中的に配置するなど、診療体制に余裕を持たせることが大切だろう。
若い医師たちも全部が全部、都会に向いているわけではない。地方であっても、地域医療に情熱を持って取り組んでいる病院には人が集まっている。そんな魅力のある地域モデルを示してほしい。
(神戸新聞、2006年7月30日)