What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

「外国人歴史家が体験した3.11」

2015年03月13日 21時47分04秒 | 日常
★「3.11 東日本大震災 / 「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11」
( http://www.huffingtonpost.jp/2015/03/11/311-for-the-historian_n_6845278.html )より引用

 オーストラリアに生まれ、日本に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

2月下旬、澄み切った快晴の日。多賀城市にあるJ・F・モリスさんの自宅を訪ねた。

「私は地元のガイジン。あるいは土着性の強い外国人です」と茶目っ気たっぷりに自らを語るモリスさんは、1974年に留学生として来日。東北大学で博士号を取得し、仙台出身の女性と結婚し、現在は宮城学院女子大学教授として、日本の歴史を研究しながらこの地に拠点を構えている。

「東北大で博士号を取って、宮城学院に就職して、女房は仙台生まれ。ここで子育てをして、子供はインターナショナルスクールには行かせずに、地元の保育所、地元の小学校。普通の日本人として育ててね。自慢じゃないんですが、ほぼ完璧なモノリンガル(日本語のみ)。共働きで、家に帰ってくると子供が『お腹すいたー』って。バイリンガルとか悠長なことはやってられません。普通の親と同じですよ」。

被災者として、外国人として、歴史家として、どう震災に向き合ってきたのか。東日本大震災について聞いた。

(中略)

一番の問題は、地域経済・地域社会にどう影響するのかということ。立ち直れるか、そうでないか。明暗はすでに自治体によって分かれ始めています。

非常に冷徹な言い方をすると、今回の震災は時計を20年から30年間進めただけ。だから、復興は、東北が東京の植民地であるという、従属関係を組み直して、地域が独自に成り立つように組み替える必要がある。元通りに戻すんじゃなくて、元の関係を克服して持続可能なものにしなければ復興は袋小路だと思うんです。

もう一つは、この教訓を覚えるか、覚えないか。今回の震災でも、明治や昭和の津波を覚えているところと覚えていないところで明暗が分かれた。

人は簡単に、「忘れてはいけない」と言う。でもね……人は悲惨なできごとを忘れないと明日へ向かって生きていけないんです。私自身の記憶もかなり書き換えられているし、潜伏しているんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バタバタしていますが、蘭の... | トップ | あったかいですねぇ。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日常」カテゴリの最新記事