What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

食事が一等大事。

2011年04月29日 15時33分44秒 | 日常
 震災当日から、私が一番にしゃなきゃならなかったのは、家族に食事をさせることでした。

水があがって、家から出られなかった三日間ほどは、食パン一枚を二人で分け、リンゴは半分を更に四等分したものが一回の食事でした。冷蔵庫が斜め半分にドアを上にして引っくり返ったので、卵や冷凍食品などが取り出せたのは幸いでした。灯油ストーブで無事だった小ナベにお湯を沸かし、ゆで卵を作ったり、アルミホイルを敷いて冷凍のエビフライを焼いたりしました。

家の外の水が膝まで引いた頃に、手に食料品を持って歩いている人を見かけたので、二階のベランダから声をかけて聞いたら、近くのお店から「もってきた」と言われました。

直ぐに長男と二人で、とにかく何か情報と食料が手に入るかもしれないと、足にビニール袋を履いてから、靴を履いて近所の大きな道路を目指して出かけてみたんですが・・・。

事務所のガラス戸が割られ、そこから人が入っては品物を持ち出しているドラッグストアや、ガラスの割られたコンビニを見て、この期におよんでも、私にはそこへ入って品物を持ち出すことはできませんでした。それでも生き延びる為には、そうした方が良かったのかもしれませんが、子どもの前で、私にはできない行動でした。

そう思って歩いていると、あるスーパーで、店員さんが「なんでも持って言ってください」と言っているお店があったんです。どのみちドロまみれの商品なので、売り物にはならないから、粗末にしないで持って言ってという言葉が、ほんとうにありがたかったです。めちゃくちゃになって照明の落ちた薄暗い店内で、水や飲料を探しては、ドロだらけでも、無事なペットボトルを見つけた時は、嬉しかったなぁ。

(後日談ですが、エコ活動のためにペットボトルのキャップを集めていたのが、思わず役立ちました。この時拾った飲料の半分くらいは、ドロがキャップの溝に入り込んでいたんです。そこで、溝を濡れティッシュで綺麗にしてから、取っておいたキャップをはめ替えて保存しました)

同じ市内でも、津波が来なかった親戚の家の旦那さんが、寒い中、朝早くから給水所に並んで水を汲んで持って来てくれたのも、ありがたかったです。それに、近所に水の出る井戸があるのを教えてくれた見ず知らずの人がいて(飲み水にはできない水だったんですが)そこへ何度も、子供たちがペットボトルをリュックにつめて水汲みをしてくれたおかげで、洗い水も確保できました。

ビタミンCのサプリを食べさせたり、野菜ジュースを飲ませたり、食事のバランスが悪いのは判ってましたから、なんとか体力が持つようにとばかり、願ってすごしました。この時、食事量が少なかったからでしょうね、あまりウンチが出ませんでした(笑)*トイレが使えなかったから、それはちょっとだけ良い事でした。

*のちのち、主人が100回分入った簡易トイレ(おしっこ等を固める薬剤がセットになったポリ袋)を二箱届けてくれて、トイレの心配は無くなりました。この話は、あとから必ず書きますが、女性だけの問題があったんですよ~。

一週間くらい、そんな毎日が続いたのちに、近所で唯一生き残った某スーパーで3・4時間ならべば食品などが買える様になりました。それと同時に、自衛隊や市の配給が、一日一回来るようになり、食事の心配をする必要は無くなりました。

地震や津波で家が壊れたり、怪我をしたりするんじゃないかという心配も大きかったですが、どんな状況でもお腹は空くし、うんちもでます。家族を守るのに、食事は一等大事だということを痛感した日々でした。




 同じ頃、うちのおじいさん(85歳)が、ストレスでしょう、下痢や便秘をくりかえしたり、物忘れが激しくなったり、不眠が続いて問題行動を起こすようになってしまいました。この事も、あとから必ず書きますが・・・震災から今まで、これへの対応が、一番しんどかったことです(苦笑)

明日、明後日とかけて、ようやく長男を大学のある街へ、家族で送り届けてきます。おじいさんはとても独りで家に置いていかれないので、義姉に説得してもらい預かってもらいました(そりゃもう大騒ぎ)

某引越し業者には、震災で混乱しているので拙宅には行かれませんといわれ、別の業者には単身パックでも10万弱かかると見積もられたので、諦めて親戚からでっかい車を借りて、自力で引越しすることにしました。

なので、次の更新は5月になってからとなります。皆さん、良いゴールデンウィークをお過ごし下さい!
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あの夜、星が綺麗過ぎたこと。

2011年04月28日 19時38分33秒 | 日常
 震災がおきた3月11日は、東北地方はとても冷え込んで、みぞれ混じりの雪が降るような夜でした。

刻々と水位が増してくる様子を見ようと、何度も二階のベランダに出て外を見ていたのですが、ふと見上げた夜空が、恐ろしいぐらいの満天の星空でした。

恐らく、停電であたりが真っ暗だったせいで、普段以上に星が見えたと思うのです。が、それにしても、あの夜の星空は、ぞっとするような輝きを放っていました。

すぐに「あぁ、これは亡くなった人たちの命が輝いているんだ」と思いました。そして、それ以上、その恐ろしいまでの輝きを放つ星達を見ていられませんでした。

事実、何千という命が失われたあの夜の星の輝きは、たぶん生涯忘れないと思います。

どうか、行方不明の方たちが、一日も早く見つかりますように。少しでも、亡くなられた方たちが、成仏されますように。少しでも、生き残った方たちが、癒される日が早く訪れますように。
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全国の皆さんへの御礼。

2011年04月28日 09時59分19秒 | 日常
 きのう「がしがしブログを書く」と宣言したんですが、書きたいことがあり過ぎると、困るもんですね(苦笑)なので、皆さんにお伝えしたかった順番に、書いていこうと思います。


 なによりもまず、全国からのご支援、ほんとうにありがとうございます。現在進行形で、あらゆる支援の手が、私達被災者に差し伸べられていることに、心から御礼申し上げます。


「ボランティア」で、家のドロだらけの畳(一階の四部屋ぶんの畳)をあげて下さった、男性八人(うちおニ人は外国の方)は、ものの十分で三十枚近くの、重い畳をあげて庭に運んで下さいました。リーダーの方は、「伊勢市・○○」という名札をつけておいででした。女子どもの力では、とうていできない仕事を、ありがとうございました。

被災日から二十日くらいたってからだったかな?一日一回、食事の配給が始まりました。主に、おにぎりとパンとカップラーメンを自宅避難しているご近所さんたちとわけあったのですが、とても助かりました。特に「鹿児島からの長期保存のきく牛乳」と「栃木の牛乳」には、子供たちが大喜び!なにせ三食牛乳を飲んでいた子たちだったんで、まったく飲めなてがっかりしていたんです。ありがとうございました。

おにぎりも、場所によって梅ぼしおにぎりが違うのが面白かったですよ。「大阪」の梅は練り梅とかね、地域色があるんですよ。何も無かったら、そんなこと知りもしなかったでしょうに、ありがとうございました。

「自衛隊の炊き出し」にはびっくりさせられました。ご飯がおっきい保温ケース一つに、みっしり入っていたのは予想できたんですが、もう一つにはきりたんぽ汁が入っていたのは予想外でした(笑)美味しかった~。あれで二日間、家族四人が食いつなげました。ありがとうございました。

「熊本ラーメン」の炊き出しも美味しかった!子供たちが一時間並んで、家までカップを持って帰ってきてくれて、分けて食べたので、尚更美味しかったです。ありがとうございました。

「自衛隊のお風呂」にも入りましたよ~。大きな湯船で、お湯を使いたい放題という、めっちゃ贅沢をさせて頂きました。男風呂は入浴剤も入っていたんですよ!(笑)入った日は、体がぽかぽか暖かくて、ぐっすり眠れました。ありがとうございました。

「病院のお医者さんや薬剤師さんや看護士さん」も、全国からおいでです。言葉にお国なまりがあるのを聴くと、嬉しくなりました。最初は十日分しか頂けなかったおじいさんの薬も、昨日は一ヶ月分貰えました。ありがとうございました。

救急車やパトカー、ガスや電気、物資配達などの支援車両のナンバーも「北見・春日部・福岡・沖縄・栃木・足立区・千葉」ほかたくさんの地域を見ます。様々な場所から駆けつけて来て下さっているのが判って、見るたびにありがたい気持ちと励まされる気持ちになります。


 計画停電や節電、物資の品不足など、全国の皆さんには、ほんとご迷惑をおかけして申し訳ないですが、助かっています。なにせゼロになっちゃったから、イチから買い揃えなきゃいけない人がほとんどなんです。歯ブラシからパンツ、冷蔵庫から車や家に至るまで、何にも無い人たちのために、もうしばらく不自由をおかけします。

皆さんが「普通の毎日を暮らされている」おかげで、私達被災地の者がどれだけ助けられているか、どれだけ励まされているか、お礼のしようもありません。物資の支援、ボランティア活動、義援金など、どれもありがたいことばかりですが、どうぞ、皆さんの普通の暮らしが、一番被災地の支えになっていることにお気づき下さい。何もできないとか、被災者に悪いとか、決して心わずらわないで下さい!

たくさんのご恩に報えられる日のために、ほんとうにちょっとづつですが、毎日なにかしら前進しています。これからも被災地へのご支援を、長い年月になるとは思いますが、どうぞよろしくお願い致します。


P.S 勝手ながら、しばらく頂いたコメントへの個別の返信をお休みさせて頂きます。全部すっごい嬉しいし、励みになっています。でも、なにせ時間が以前より何事かかるので(遠くまで歩いて買い物とか順番を待つとか)どうぞお許し下さい。
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ネット復活しましたー!

2011年04月27日 15時24分24秒 | 日常
 ながらくご無沙汰しておりました!ようやくインターネットが今日、接続可能になりました(感涙)PCのキーボード入力が、久しぶりすぎて、なんだか上手く出来ません(笑)


震災直後から、大勢の方にメールやコメントを頂いて、ありがたい気持ちでいっぱいです。長男の携帯から拙宅にアクセスして拝見した時には、嬉しかったし、励まされました。本当にありがとうございました。

 今日現在の我が家の状況は、電気・水道・ガスが復旧し、浸水して漏電した一階のコンセントも、使えるようになりました。家の一階は、床から1メートル上くらいまで水が上がって「大規模半壊」と市役所から認定されるくらいメチャメチャになったんですが、なんとか茶の間に三枚、畳をしいて床板にビニールシイトを貼って、家族で食事ができるまでになりました。二階にあがる階段の三段目まで水があがったのですが、それ以外は二階が無傷で済んだ事が、我が家のもっとも大きな幸運でした。おかげで、もとから二階にあったお菓子や飲み物や水、地震のあと津波がくるまでの間に運び上げた、卓上コンロ・コンロのガス・灯油ストーブ・精米したお米などで、水が引くまでの三日半、家族四人で過ごす事ができました。

そう、津波がきたんですよ。嫁に来てから20年、おじいさんが「うちに津波がきたら、○○(市名)は沈むわ」と言われたとうり、○○は沈みました。人間ってバカですよね・・・実際家の前の道路を真っ黒い水がはいあがってきても「まさか」って思ったんですよ。それが玄関にまで水があがってきたのを見て、もうおじいさんを連れて逃げるのは無理だと思い、避難所には行きませんでした。もちろん、逃げる方が正解なんです。うちの場合は本当に幸いな結果です。あとから、どなたに話しても呆れられましたから。

あの日は、主人は出張でおらず、地震の後必死で家に向かったそうなんですが、水にはばまれて来られませんでした。なので、主人には、長男が送った「水が家の階段の三段目まで・・・」というメールが最後の連絡だったので(携帯の電源が切れました)すっかり四人共だめだと思ったそうで、落胆のあまり三日間何も食べられなかったそうです。後日、その時の話しになって、本当に悪かったなぁと思いましたけど、ネットでも学校でも、すっかり安否不明者になっていたと言われてもねえ?(苦笑)その時の事と、その後連日職場に止まり込んで、今月になってからようよう家に帰えれるようになった主人は、体重が10キロ落ちました・・・これから何年もかかる、大きな仕事に携わっているので、たぶん、もっとがおると思いますが、ほんと、心配かけてしまいました。


 ネットが繋がらない間、なんかもう、いっぱい心の中で皆さんに向かってブログ書いてましたよ(笑)全然、本を読む気が失せちゃったとか、有川 浩さんが新作の印税を全額寄付して下さるとか、本屋さん大賞2011はやっぱりあの人だったとか、伊藤けいかくさんが特別賞を受賞したとか、楽天もベガルタも偉いとか、ずっと皆さんに話してました。

毎日が「想定外」のことばかりで、それを全部皆さんにお話したかったです。

こうやって、また皆さんにお話できるようになって、良かった。生き延びられて、家族が誰も欠けなくて本当に良かった。全国から、たくさんの支援をして頂いて、暮らしています。いつも「ありがたい」という気持ちでいっぱいになります。東北人は我慢強いと言われてますが、そうじゃなくて、すっごい短腹(たんぱら=短気)なんですよ(笑)地震が来て、津波が来て、もう「チクショー、チクショー」ってずっと思ってました。だから、このまま負けたくないんです。何年かかっても、何代かかっても、震災前以上になってやると、みんなお腹の底で思っているから、それまでどんな困難も耐えて行くと思います。

私もまた、がつがつブログを更新する日々を取り戻したいと思います(笑)はじめましての方も、お馴染みの方も、どうぞよろしくお願いします!
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