今日は建国記念日でした。それで、思い出した小さい頃のこと。
実家に絹製の国旗があって、金ぴかのクリスマスツリーの飾りのようなまあるい玉と、三個か四個だかに分かれていて、それを組み立てる白と黒の竿があって、旗についているヒモを結びつけるようになっていました。祝日のたびに、それを組み立てて飾るのは、父と私の役割だったんですが、いまでもその布の絹特有のごく薄い滑らかな手触りと、淡い光を覚えています。
たぶん、いまでも祖母のタンスの引き出しにしまわれていると思うんですが、いつからそれを掲げなくなったのかが、さっぱり思い出せません。
母は、戦争を思い出すからと、昔から甲子園の試合開始を告げるサイレンの音、迷彩の服、それとこの国旗も好かない様子でした。祖父母は、理由があったのかもしれませんがノータッチだったので(もしかしたら理由があったのかもしれないんですが、子どもだったので覚えていないです)私が学生になって日曜・祝日関係なく部活にでるようになったからか、同じく父も単身赴任したり多忙だったからなのか。改めて「止める」と家族で話した記憶が無いので、担当者がやる気がなかった(失礼)のが原因かもしれません。
今は、このあたりでさえ、祝日に国旗を揚げるのは1・2軒しかありません。(ちなみに婚家には、そもそも国旗がありませんし、昔から掲げる風習も無いかったみたいです)
サッカーなどの国際試合でよく見かける国旗は、ナイロンや綿でできているのかしら?イベントショップやスポーツショップに行けば、買えるのかな。まぁ、今はネットで買えないものは無いから、探せばあるんでしょう。
でも、あの絹特有のしっとりと冷たささえ感じるような国旗を「掲げる意味」を、まったく理解せずに(大人が子どもに説明すらせずに)していたという事が、なによりうちらしかったなと、ふりかえって思います。あそこまで「昭和の家庭」そのものな家も、あまりなかったろうなぁとも思います。
実家に絹製の国旗があって、金ぴかのクリスマスツリーの飾りのようなまあるい玉と、三個か四個だかに分かれていて、それを組み立てる白と黒の竿があって、旗についているヒモを結びつけるようになっていました。祝日のたびに、それを組み立てて飾るのは、父と私の役割だったんですが、いまでもその布の絹特有のごく薄い滑らかな手触りと、淡い光を覚えています。
たぶん、いまでも祖母のタンスの引き出しにしまわれていると思うんですが、いつからそれを掲げなくなったのかが、さっぱり思い出せません。
母は、戦争を思い出すからと、昔から甲子園の試合開始を告げるサイレンの音、迷彩の服、それとこの国旗も好かない様子でした。祖父母は、理由があったのかもしれませんがノータッチだったので(もしかしたら理由があったのかもしれないんですが、子どもだったので覚えていないです)私が学生になって日曜・祝日関係なく部活にでるようになったからか、同じく父も単身赴任したり多忙だったからなのか。改めて「止める」と家族で話した記憶が無いので、担当者がやる気がなかった(失礼)のが原因かもしれません。
今は、このあたりでさえ、祝日に国旗を揚げるのは1・2軒しかありません。(ちなみに婚家には、そもそも国旗がありませんし、昔から掲げる風習も無いかったみたいです)
サッカーなどの国際試合でよく見かける国旗は、ナイロンや綿でできているのかしら?イベントショップやスポーツショップに行けば、買えるのかな。まぁ、今はネットで買えないものは無いから、探せばあるんでしょう。
でも、あの絹特有のしっとりと冷たささえ感じるような国旗を「掲げる意味」を、まったく理解せずに(大人が子どもに説明すらせずに)していたという事が、なによりうちらしかったなと、ふりかえって思います。あそこまで「昭和の家庭」そのものな家も、あまりなかったろうなぁとも思います。