つれづれ日記

チェリスト秋津のつれづれな日記です。

泣かせてもらいました

2010年11月15日 12時05分27秒 | いい話
先日、姫路の善教寺さんに誘われて、落語を聞きに姫路に行ってきました。

三遊亭円窓さんの「つる」を聞き、大いに笑わさせてもらいました。
実は、僕はお恥ずかしながら生で落語を聞いたのが、今回が初めてでした。
なかなか貴重な経験をさせてもらいました。

で、まずは古典落語。その次に創作ものがあったのですが、ここで、落語とピアノのコラボでした。ピアノの方は桐朋時代のひとつ先輩の方でしたが、先輩は僕のことを覚えて下さっていたのに、僕は失礼ながら認識出来なかったので、申し訳なくお話をしましたが、母校の昔話になると、そんなことはどこかに飛んでいき、楽しいひと時を過ごしました。

また、僕が詩と音楽のコラボを何度か経験をしたので、そこら辺でも話が盛り上がりましたね。師匠の話の流れを読んで、スッと解らないように音楽のつじつまを合わせていたところを評価してあげたのですが、聞けば、師匠と何度もご一緒しているとのこと。なるほど、それでわかった!

お題は「金子みすず最後の一日」



住職が始まる前に「どうぞハンカチのご用意を!」と言っておられたが、あとで、出しておけばよかった!と後悔した。

一人娘を残して今夜自らの命を絶とうとしている母親とその愛娘のお風呂での会話が、ネタの中心になっていたが、何も知らないではしゃいでいる娘、心中がばれないように明るく振舞う母、親権を振りかざして子供を引き取りにくる夫におどされている娘を気遣う両親、この四人の表情が、手に取るように伝わる師匠の達者な一芸に、参った!(泣かせていただきました)

「あなたがふうちゃんを連れて行きたければ、つれて行ってもいいでしょう。
ただしわたしはふうちゃんをこころの豊かな子に育てたいのです。
だから、母がわたしを育ててくれたように、ふうちゃんを母に育ててほしいのです。 どうしてもというのなら、それはしかたがないけれど、あなたがふうちゃんに与えられるのはお金であって、こころの糧ではありません」
(カルチモンを飲む前にかいた遺書)

その日、会場にはサプライズで金子みすずさんの娘さんが、高齢にもかかわらず来られていたのでした。

お母さんの記憶はありますか?と尋ねたところ、「全然ないんです。」とのことでした。でも「いろいろあったけど、生きててよかった」とおっしゃったひと言に、苦難の人生の中に何か支えになったものが存在するんだろうな?

と、想像で何かに向けて感謝する。

ではでは