ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

時間持ちの私

2011年03月26日 | 生活・暮らし・家事など

時間持ちの私。
たとえば、人と待ち合わせをしたり、何かの集まりに出かけたりするときは、時間に余裕を持って出かけます。
それは30分だったり、1時間だったり、数時間だったり、半日だったり、前日入りの1日だったりと様々です。

たとえばこんな例。
待ち合わせをしても、待つことの多かった私。
遅れて来ることの多かった先方。
しかし、今は携帯電話があるので、辛抱強く待つことができます。
よく観察していると、遅れる人は、人によって、またその会合の自分の立ち位置によってその時間を調整しているらしく、私とのときはほとんどが“遅れて来る人”を演じていたのかもしれず。
そんなときは少し悲しくなります。この人は私のことをみくびっているのかしら?などと思って。
でもそれを口に出したり、問いただしたりは基本的にして来なかった私。生まれ育ったその人の習慣や価値観の集積が時間という平等に与えられた機軸に顕れて来るとしたらそこに至るまでの様々な要因も想われて。
自分のことを振り返った時、あまり気が進まない場所へ出掛ける時など、私もやや遅れて相手の方を待たせるときがあるからです。
また、遅れて来ること、相手を待たせることがステータスのひとつだと勘違いしている方も多い世の中。
時間の捉え方は人によって様々で、相手ではなくあくまで私がどうしたいかを考えていればそれでよしの生き方へとシフトしたことで気楽になりました。

前置きが長くなってしまったけれど、少し早めに余裕を持っての精神は、測り知れないたくさんの福をもたらしてくれます。
知らない町も知っている町も時間のある限り路地を歩きます。これは私にとって予測できない無上の喜びをもたらしてくれます。
いつもの路の散歩でさえ、自然や花々の迎え方は違うので、それはそれはたくさんの出逢いにもとづく感動や発見や気づきがあるのです。

今日は、時間持ちの私にありがとうございます~~。:・。:・~☆~~。:・


美しい光景~成田山御護摩祈祷~

2011年03月25日 | 道・あるく など







成田山新勝寺」にお参りしたとき、偶然行き遇った袈裟衣のお坊様の列。
東北・関東大震災の復興祈願、お護摩祈祷のため、光輪閣から大本堂へ向かわれる大導師や職衆の方々で、赤い差し掛け傘の下には護衛された大僧正さまがいらっしゃいました。
粛々と進む華やかで厳かさな美しい行列を拝観することができました。

平日とあって参拝者も少なく、成田山の広いお庭も地震の影響で立ち入り禁止のロープが張られていました。
外に出て動けば動くほどあちこちに地震のつめ痕が残されているのを感じます。

鎮魂の読経が、広く隅々まで響き届きますように~。


放射線医学研究所に。

2011年03月25日 | 社会

「放射線医学研究所」、通称「放医研」は、私の家から歩いて30分くらいの徒歩圏内にあります。
東海村事故のとき、ヘリコプターで搬入されて来た関係者がいました。
そのときに初めて知った放医研のこと。
ときどき歩いてその前を通っても、私たち一般市民には無関係の施設として関心もありませんでした。
そして今回、どうか放医研に来る方がいらっしゃいませんようにとひそかに祈っていました。
福島原発事故による作業員の方の被曝により、二人の方が今日にも放医研に運ばれるとか。
お気の毒で痛ましい事故の報告に、私たちはなすすべもありません。

放医研の敷地内には大きなソメイヨシノが何本も植えられています。
今日運ばれてくる方の怪我が軽く、放医研の庭に咲くサクラをしみじみと楽しんでいただけたらいいなと、そんなことをふと思いました。
こんな大事故を前に、だれかが怪我をしてもそれはそれで受け入れ認めるしかないけれど、今回も下請け作業員の方と知り、ここにも弱者強者の論理がはたらいているのかと思いました。

いま、世間は福島原発および津波や地震で被災された方のニュースが連日流されています。
この大地震で死者、行方不明者は3万人に迫ろうとしています。
3万人といえば、国内での年間自殺者数とほぼ同じです。
被災された方々の映像をニュースや新聞紙面などで見ながら、その数に驚き、また自殺者3万人はこれほどの数だったのかとやりきれない思いです。
また、今も変わらぬ介護や病苦、生活苦でひっそりと世間から身を隠すように生きている方々のことも思わずにはいられません。

ほんとうに何ができるのでしょうか……?
都知事選をはじめ、地方選挙も告示されています。
リーダーの資質を持ち、リーダーのかおをしているのは誰なのか……いるのかいないのか……。
育って来なかった私たち団塊世代。そして育ててこなかった私たち団塊世代。
菅さんの顔が見えず、ときに映る顔は、どこか空ろな雰囲気を呈していると思うのは私だけなのでしょうか……?
でも、いまは誰のせいにもしてはいけませんね。
きっとよくなる、きっとよくしていくという学びが来ているのだと思います。


魅惑のツバキ

2011年03月25日 | 自然 花や風景など



ケヤキの枝先がやわらかく膨らんできました。
冬が終わった証し。
間を置かず、すぐに小さな緑の葉を湛えて空を彩ることでしょう。



ツバキは魅惑的な花です。
今年のツバキはどの木もどの種類もたくさんの花をつけ、まるで灯りを点けるような勢いです。
冬が厳しかっただけに、花芽が育ったのでしょうか。



ツバキは、きっと村田喜代子さんの小説が似合いそう。

ありがとうございます~~。・・。~☆~。




どこかでつながる

2011年03月24日 | 心・健康・癒し

 

今日も薄ら寒い日でした。
3・11以来初めて都内に出ました。

駅内も駅ビルも節電でライトを半分くらい消しているのでしょうか、うす暗い感じ。
でも、今までが明るかったからこれくらいがちょうどいいと思いながら駅の階段を上がり降りしました。
エスカレーターも止まっているところが多く、エレベーターはご高齢の方や障碍の方のためを考えてか使えるようでした。

電車の中も日中のせいか、ガラガラと空いていました。
街の中もスムーズに車が流れ、何も変わらないように見えながら、実は大きく変わっているのですね。
手持無沙汰な感じの八百屋さんの男性がふたりで話していました。
「放射能のことを心配しても免疫力が下がるだけだから、無視することにする」。

えっ!!すごい!!
日常的に免疫力のことが語られている時代に入ったんだとうれしくなりました。
ヒロシマ・ナガサキで被曝のことは語られたけれど、街の中でこんな会話が聞こえることが進歩なのですね。

そんな中、「セリウムが土壌から検出されるようになるとずっと畑が使えなくなるから見守りたい」と心配している農家の方の声も届きました。
心配しながらどこかで安全神話を信じて来た私たちひとりひとりの今後が問われているように思います。
いまここに生かされている私たち。

水を持って出たけれど途中で空になってしまい、駅中の自販機で水を買おうとしましたが売り切れていて、いつもは買わない「麦茶」を買いました。のどを潤すためには麦茶でもいいけれど、小さいお子さんを持つお母さんたちは水が欲しいだろうなと思いました。

混とんとしている日本。夜明け前のようによく見えないけれど、そこからひとりひとりが自分の生を見つめることになるのかしら……?



春の息吹き

2011年03月24日 | 道・あるく など






外に出ると、日毎に春が近づいています。
新芽がいたるところで顔を出しています。
そんな中で、枯れて行く花も見事に美しいのです。

それぞれがまじりあって、人の暮らしの彩りや深みを教えてくれます。
輪廻転生、生老病死が詰まった荒れた畑の中にも、春の息吹があふれています。

じわじわと広がる大気や水の汚染。
いまこそ、自然に寄り添い、自然から学び、人智を生かすときです。
小さな花、名も無い花の輝きが、ひとりひとりの心に沁みわたりますように。




ニュースやブログから

2011年03月23日 | 社会



ありがとうございます~~:。・☆~~。
窓を開けて、ベランダに出て、下を見ると、我が町を走る「平和交通」のバスがいつものように走っています。
「思いやり」の文字を天井に刻んで~~。

今朝23日の『毎日新聞』では岡田斗司夫氏の投稿が目を引きました。
「大震災を前に私たちはどうしたらいいの?テレビを消し仕事に戻ろう」と呼びかけています。
被災者は日本国民全員、その意識をもちながら、被災しなかった人は、淡々といつもの仕事に戻ろうと呼びかけています。

今朝届いたメーリングリストからはブログ「金平茂紀の茫界偏視」から「私たちは大震災と原発惨事のさなかで何を考えるべきなのか?」が語られていて、読み応えがあります。
ニュースキャスター金平氏が現場に入り、ルポした記事や思考は説得力を感じます。

藤原新也氏のブログ「Shinya talk」は、まるで氏の著書『メメント・モリ』の別バージョンを想起させます。短い言葉の中から匂う景色と惨状。そしてそこに横たわる生死という現実。
藤原新也氏は銀座で「死ぬな 生きろ」展を開催中。
「於『永井画廊』
東京都中央区銀座4-10-6
電話03-3547-9930
休館日(19日20日21日)以外は今日3月17日午後1時から3月31日(木曜)まですべての日で開館。
なお、福島第一原発問題はきわめて流動的であり、会期中になんらかの異変が起こった場合はその状況を踏まえ、日程の変更もありうることとする。」とあります。

そして、「化学物質研究会」から送られてくる電子版『ピコ通信』。
大震災と原発」のページが新たに加わりました。

ご参考までに、ご興味のある方はどうぞお読みください。


これからも断捨離

2011年03月23日 | 生活・暮らし・家事など



床に落ちて半分に割れた楠本さんの器。
つめ切りや、体温計、ツボ押しイルカなど日常使うものを入れていました。
元の容は長い円形で深さもあり、用途としてはぴったりのモノでした。
上にカバーの代わりに古裂を乗せて使っていました。

たくさんのモノが棚から落ち、ほかにも壊れたコップや器などあるけれど、それはエコバックに半分くらいの量でした。断捨離効果がここにもあらわれました。
落ちたとき、器どうしがぶつかって割れたらしく、割れていないものもたくさんありました。
大切に使い、残したモノがさらに減りましたが、それは所詮モノです。
かたちあるものは、いつかはこわれる。
そして、まだまだあります。

さて、写真の器、捨てようか迷っています。
迷いのひとつは、OKAKESAMAでと記念にとっておくか、それともまだまだあるほかの器に入れ替えて捨てるかです。
小さな迷いですが。

断捨離を続けていたおかげで、探し物をしなくてすんだのは大きな効果でした。
家の中にある細々としたもの、換えの電球や電池、マッチ、ろうそく、そして乾物などを含めた食品なども整った収納庫の中できちんと把握が出来ているのは助かりました。
落ちたものもすぐに片付き、前と同じ暮らしがすぐに戻りました。

トイレットペーパーの買い占めなどもニュースで流れましたが、ティッシュや着古したパジャマやシャツを切った小きれなどでも代用できます。中国に旅行したとき、当時出来たてほやほやの高級ホテルに泊まったことがあるけれど、そのホテルでさえ使ったペーパーは水に流さず、そばのゴミ箱に入れるよう指示がありました。
それは中国の下水事情にもよるらしく、中国ではそれはどこも当たり前の光景でした。
「糞僧衣」という言葉があり、インドの高僧がそれを召していたとかの伝説もあります。

周りにあるモノを眺めてみると代用できるものがいろいろあります。
これはこれという固定概念を捨てて、新しい目で見つめてみると、工夫の余地があり、それは楽しい家事作業にもつながります。
大量消費の時代を経て、モノを大切に使いこなすためにも不要なモノの断捨離は不可欠です。
私はこれから本の断捨離にかかります。
飛び出し散乱した本の片づけの中で収納時に仕訳ができています。さて、この本の始末はどこに送ればいいのかと考えています。
近くのブックオフに持ち込むには何度にも分けなければなりませんし。

「捨」と「離」を経験すると「断」は必然的に脳が自覚するみたいです。
モノを消費しないと経済が成り行かないという意見もありますが、それは現役世代にお任せして。

ありがとうございます~~・・。☆~~。


早寝早起きで小さな節電

2011年03月22日 | 生活・暮らし・家事など



いままで何とたくさんの電気を使っていたかと思います。
夏のクーラー規制のとき(たとえば、冷房の設定温度を28度にしましょうとかの)、ある人がいいました。
「個人の力なんてたかが知れている、大手はバカバカ電気を使っているし、こういう報道も要は電力不足で原発が必要だというパフォーマンスだと思う」と。

それが本当かどうかは知らないけれど、私も小さな節電に励んでいます。

台所や洗面所にある2つの電灯は1つにして、そこに居るときだけにします。
こまめにスイッチを切っています。
リビングの電気も最小にして、本を読むときなどは椅子のスタンド1つにします。
パソコンの前に坐るときもスタンドの電気だけにし、部屋の電気は消しています。
アラジンストーブには灯油が少し残っているけれど、補充しようかなと思った時の大地震。
以来、電気ストーブやヒーターなども含め、暖房器具は一切使っていません。
神戸のときもそう決めたけれど、寒さに負けて使ってしまいましたが、今回は何とか続けられそうです。

何より、早寝、早起きのリズムを整えたいと思います。

今日もありがとうございます~~☆