ブックエンド

永年、埃を被った重石の山を整頓と日々意気込。
図書目録作成奮闘日記の目論見。

11年かかった生垣

2008年11月30日 | 雑文
生垣の灯台躑躅が綺麗に紅葉。ブロックの垣ではなく生垣のある家に住まいしたいとの思いから改築を期にツツジ、ツゲ、サザンカの3種生垣を植えた。11年目でやっと現在の背丈に伸び紅葉が様になった。

生垣
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「しんにょう」の2点表記について

2008年11月27日 | 雑文
不可解な銀行
 ある日、家族の一人が銀行の窓口で、「あなたの名前の記入ちがう登録されている名前は2点だ」「証明するものを持ってきてほしい」と言われたと憤慨しかえってきた。1点か2点は表記の問題であって、行政機関でもまちまちである。あるところなぞ、手紙のラベルは2点で、中身の証書は1点などと混乱している。
 その、とある有力地方銀行さんは、「2点しんにょう」と「1点しんにょう」を別の漢字として認識しておられるのでしょうか。そもそも出生届けは、楷書で書かれているので1点に見えるのですが。届け時の原本を見ないと2点か1点かなど本人にだってわかりませんよ。受け付けた戸籍係の書き癖で決まってしまいますよね。
 1点か2点かは、活字の表記の問題であり区別を高齢者に迫るものではないのではないでしょうか。
 高齢な家族は、1点表記の名前が記載されている証書を持っていき、銀行に戻すように要求すると、困った銀行さんは、手書きで1点に修正された。そうだよね、銀行のラインプリンターが単に「2点のしんにょう」の活字を使っていただけなのだから。
銀行さん、かってに漢字を倍に増やさないでください。 
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大根干し

2008年11月25日 | 菜園
 11/22(土)沢庵を作ってみたいと、17本ばかり菜園から大根を引き抜いてきました。出身地の武生(現越前市)では、大根の葉を取り縄で編み軒下に吊るし干していました。子供の頃は、200本ぐらいを毎年干していました。50年近く前の記憶を元に3本に縄を切り揃え早速編み始めたのですが、霞のかなたで如何にもなりません。
 農家に嫁いだ姉に問い合わせると、縄で編んで干すのは町家だけで、農家は敷地が広いので、葉を附けたまま5本ほど縛り振り分けて「はさ」に吊るす。嫁いでから大根を編んだことはなく忘れてしまったとのこと。姉はやはり畑の先生には向かない先生でした。
 どうにか、6本づつ編んで吊るしました。沢庵用の大根ではないので重くなりそうだったのですくなくしました。武生近郊にお住まいの(だった)方で大根の編み方をご教授頂けるものであればお願いいたします。
軒下に干した大根
 
大根
母が毎年作っている青首大根 80本ほど 今年はよく育った
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「旧北陸街道を歩く」ウオーキングに参加

2008年11月10日 | 呉羽
2008/11/8呉羽山観光協会主催「旧北陸街道を歩く」に参加
今にも一雨きそうな空模様だったが、振りもせずちょいと肌寒くハイク日和でした。

北陸道富山城から呉羽山峠茶屋

舟橋絵図
富山市内を俯瞰したものか、説明地で展示されていたもの
南岸常夜灯北岸常夜灯
とやまに住まいして40年になりますが、常夜灯が残っていたなんて知りませんでした。

立山味噌醤油㈱
海道沿いのその懐古な佇まいは、企業のアイデンティなのか。いかにも熟成した醤油といった趣。

早百合姫の墓
早百合姫の墓(長光寺)というより一族・縁者の墓所というところでしょうか。
佐々成政が不義の愛妾を切ったものか、族滅のために利用したものか歴史の闇ですね。

茶屋町地蔵
茶屋町の新道と合流する位置にあり座っている村境地蔵だそうで。
富山藩と加賀藩の国境は何処なのでしょうか?

参加者も多く街道をそのままトレースするわけにもいかなかったでしょう。地図上で位置確認出来たので改めて周ってみるのが楽しみ!

次回は呉羽から願海寺までをウオーキングする計画だそうです。
野町付近で一部農地整理のため道路が無くなっていましたが、七曲りも原型を留めています。追分茶屋の道標から願海寺に向かって歩くとよいです。
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