ブックエンド

永年、埃を被った重石の山を整頓と日々意気込。
図書目録作成奮闘日記の目論見。

天平の旅

2010年11月23日 | 紀行
10月22日~24日出入り3日間奈良~大阪を廻り帰富しました。気の抜けた麦酒ような話を今頃アップするのは?とお思いでしょうが。
実は、ほぼ1カ月間風邪をひいていてブログを更新する意欲を掻き立てることができませんでした。
旅の目的は牽牛子塚古墳を如何しても見学したかったから。現地説明会の新聞報道があった時、すぐに車を飛ばせれば良かったのですが世の柵がこの年でもあり?残念な思いをしたからなのです。


10/22 20:00富山を立ち、草津PAにて車中泊 駐車場が一杯。路面がPAの店に向かって結構な傾斜で駐車の方向に考慮を要します。

最初に平城京跡を見学と奈良に向かい駐車場を平城京の前で訊くと、駐車場への地図を渡された案内看板に沿ってと言われその気になって走ると何と15km程さきまで行かされてしまった。訊いたほうが馬鹿なのか教えたほうが不親切なのか。
平城京の見学を諦め先に進む。


奈良探索というと必ず出てくるこの1枚。「三輪山を望む額田王の歌碑がある山の辺の道」

歌碑:どうも万葉仮名のほうが趣があるようで、
味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隠萬代 道隈 伊積流萬代尓 委曲毛 見管行武雄 數々毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隠障倍之也
三輪山乎 然毛隠賀 雲谷裳 情有南畝 可苦佐布倍思哉


古代の原風景をながめているようで 古代国家の成立により人口が一気に爆発した活況が不足していますが。「需要が生産力を拡大する」こちらが正しいのでしょうね。

額田王の歌碑にいたる道標


卑弥呼の墳墓といわれている太市墓 その規模から見ても宮内庁は何を考えているのだろうか

卑弥呼の館跡? 広場になっていました。やはり現地説明会は逃してはなりません。

板葺の宮跡

橘寺

マルコ山古墳
結局 牽牛子塚古墳はビニルシートに覆われいい写真も取れませんでした。

1/21 やっと恰好だけついたかな 容赦!
12/8 風邪がようやく回復したのですが 口内炎で食事が満足に出来ずアップアップ 歯医者に通院しています。 書きたいことは一杯なのですが 口内炎1か所がおさまると次へと炎症箇所が移っていきどうにもなりません。
いろんなお手伝いをしているせいもあるもですが。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする