ブックエンド

永年、埃を被った重石の山を整頓と日々意気込。
図書目録作成奮闘日記の目論見。

「大津いじめ自殺」に想う

2012年07月26日 | 雑文
マスコミは騒ぎ過ぎだ。加害生徒の実名を公表するのはいきすぎ。などと静かに見守るべきとの論調を語る方もおられる。
しかし、騒ぎたてなければ真相究明はされないし、今回のいじめ事件は発覚しなかっただろう。

私には、2人の子供がおり無事社会人になっているが、「いじめられても、いじめる側にはなるな。」と言ってきた。事実は判らないが、それぞれ格闘技系の部活動を中学3年間続けており、幸い先生にも恵まれていたと思う。息子たちは「いじめ」に加担することはなかっただろうし、いじめを見過ごすこともしなかっただろうとおもっている。

富山市内でも数十年前になるだろうか同様な自殺事件があった。真っ黒に塗潰された報告書が開示されるだけで、被害者の親族にとって到底納得できるものではなかった。

多くの人が今回の事件を風化させないように、これからも、引き続き騒ぎ立てなければ時間とともに有耶無耶にされてしまうだろう。
 教育長の発言は、教育者として許されるべきではない。犯人隠避として告発したいぐらいだ。かれの引責辞任など認めるべきではない。更迭すべきである。教育長や校長の指示や発言が刑事事件にまで発展させてしまったのだと思いたい。彼ら教育者が最も反省すべきことは、3人もの少年を殺人者(自殺教唆)にしてしまったことだ。言い逃れができると身をもって教育したことです。

加害者の生徒達の将来を慮ることは大事であるが、そのためには加害者の生徒と保護者が真摯に謝罪することがまずなければならない。個別であれ、法廷であれ謝罪することが必要でしょう。謝罪に行ったが受け入れてもらえなかったか、その辺のいきさつが判らない。解決の糸口を、示唆するのが教育者の務めではないか。遅いということはない。教育長・校長や担任は、加害者の生徒と保護者に謝罪するよう要求しているのだろうか。…
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