ブックエンド

永年、埃を被った重石の山を整頓と日々意気込。
図書目録作成奮闘日記の目論見。

「三日月が円くなるまで」

2011年08月20日 | 書評
著作に嵌まるのかな。先月に引き続き病院の売店で文庫を購入。
なんといっても能筆です。生善なる人々を愛でる。
…「お世話になりました。どなたさんもお倖せに。小十郎はまた呟いた。」
…「仇討など、この程度でよかったんだ。さすれば庄左衛門の首も繋がっていただろう」
…人間、何が幸いし、何が不幸になるか知れたものではない。徒に落ち込むことはないのだ。その内に解決の糸口はきっと見つかる。…

自爆テロ。神風特攻。回天。ここには何時も平気で”死の切符”を切る輩が必ずいる。私は彼を憎悪する。宇江佐真理氏の述べる「死んだふり」がいい。”命を懸けた行為”なぞ知るものか!

8/29 角川文庫「三日月が丸くなるまで」縄田一男氏の解説について。
 『彼は、この小説の解説欄を拝借し、池田晶子氏の解説をしているのであって、宇江佐真理氏の当小説をの解説しているわけではあるまい。
「死を持って抗議するということは、その善し悪しは別にして、人間jだけ可能な行為である。埃のために死ぬ。正義のために死ぬ。人間jは命より大事なものがあるとおもうから、この行為は成立するのである。受ける側もその意味を理解する。……』「小十郎こそは、命の重さをしっかりと、受け止める側の人間ではないのか」

 宇江佐真理氏はそんなことを語ってはいないのでは?」。
「志摩の上の別邸だった。だが、白木門を見た途端、二人は声を殺して笑った。その門には巨大な陰茎が黒々と描かれていた。…本所の上屋敷にも同じような落書きがあるそうだ。」「仇討など、この程度でよかったんだ。さすれば庄左衛門の首も繋がっていただろう」
藩主の見栄と屈辱感のために、”藩主=国=武士の一分=命を賭して戦う”…死んだふりがいいといっているのです。
「替え玉を立てたら、忠義にならないわけで、未払い給与が支払われない株式会社の倒産捥がれにすぎない」。忠義とは、たとえ改易に逢っても主家の血筋を護ことでしょうが。状況次第で、正義のために死を賭しているわけで。指示する輩がいなければ、特攻機も回天も、桜花も作られない。組織的扇動なわけです。自爆テロなど賛美することはできない。
「…下々は、死んだふりがいいい、そのうちに解決策の糸口はきっと見つかる」…そのうち真実が見えてくるから焦らずに「死んだふりで待つ」がいいのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする