朝寝のカプ

ネコは夜行性
そのため朝は食事の後
すぐに眠くなる
人間と同じか

宮城野橋周辺で何が起こっているか

2016-12-26 05:16:51 | 日記
かつてのX橋はすでにない。
再開発が進み、この周辺は大きく変わっている。
今は榴岡方向から広瀬通に向かう路線が整備され、
新幹線の高架下のかつてのX橋付近は昔何があったか
その風景も忘れ去られてしまう運命にある。

まだ道路は完成していないが、まずX橋のあった辺りは、
ペディストリアンの架け替え工事が行なわれ来年三月には完成するという。

ただしこのために、広瀬通の銀杏並木はほとんどが伐採され、
先日からは道路の真ん中の
銀杏の木々が切り倒され、切り株が残っているだけの所がある。
12~13本ある銀杏が1~2本を残してすべて切られる運命にある。
木を切るということは、交通の緩和という意味のほかに、実は都市の中で
、酸素をどう供給するかということもあるのだ。そのことも、忘れてはなるまい。

様々な論争があったが、結局は交通緩和の御旗の元、木は切り倒されるという運命になった。ただし私は、広瀬通にあるバスセンターの存在がある意味問題ではないかと思う。
駅近くに置くという利便性のため、東北各地へ向かう便や東京や関西など結構遠方へ向かう便があり、
その発着便数は結構なものがある。

駅東口にも遠距離バスの発着場があるが、
都市計画の中でこのバス停留所の在り方はもっと考えらえていいのではないかと思う。
バス乗り入れの停車帯の問題もある。短い時間ではあるが、ある一定の時間、その場所を専有しなければならないという事情もある。

バス停をどこに設置するかを含め、都市交通の在り方を人の流れ、
車の流量を時系列で考えていいと思う。苦言じいの考えだ。
仙台という地方都市のある意味、小さな場所の問題だが、
交通政策を含め人々の生活に何が重要なのかを考えさせられる事例ではないかと思う。
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G線上のアリア

2016-12-25 05:06:56 | 日記
明け方、目覚めていつものようにイァホーンでラジオを聞く
今朝は森田アンカーと奥田佳道さんの対談で進行するクラッシクの名曲の数々。
このコーナー「クラッシクの遺伝子」と名付けられている。
このコーナーが終わって、エンディングに近いところで
再び、バッハの「G線上のアリア」がかかった。

この曲はバッハが30代半ばに作ったもので
生前はあまり知られることはなかったが、死後100年ぐらいして
発掘され有名になった。現代風にアレンジされることも多い。

いわゆるG線だけで演奏するもので
バイオリンの4本の弦のうち一番低い弦だけで弾くというもの

アリアはご存じ
美しい旋律のゆっくりした舞曲の事
朝方この音楽を聴いて様々なことを考え起きだしてしまった。
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写真で語る 日常茶飯事

2016-12-24 05:01:13 | 日記
ポケットにはポケットカメラ
腕には歩数計付きの時計をはめて散歩に出かける
このほか、ズボンの右ポケットには携帯も入っている
この携帯、健康歩数計も付いているので時折、時計と携帯の歩数の
違いを確認している。

さて、シャコバサボテンが今を盛りに咲き誇っている
大小二つの鉢だが、こぼれんばかりの咲きようだ。

夜の間はカーテンを閉めているので日は当たらないが
朝になり、カーテンを開けると、日光を欲しいと言っているようで
花にも光がわかるようだ

もう一つの話題
例の「どうもくん」と「やっぺい」を見つけた
電車に乗るやっぺい、子供風と大きめのどうもくん
まあ、実際の子供たちも喜んでいるようだ。
ある日の年末の一日の事でした
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冬枯れの陸奥国分寺界隈

2016-12-23 06:59:26 | 日記
春の花見の時期に、散歩がてら陸奥国分寺界隈を歩いたことがある。
ただ今のこの時期は、「花もないだろうしな」と思って
その方向に足は向かなかった。
それでも久しぶりに、遠出の散歩としゃれてみた。

いつも、コボスタ方向からのコースから入るのでいわば、
裏口入学的な感じだが、本堂に近いこともありこの入り方だ。

最近古いものに関心が向き、屋根の飾りをはじめ扉など様々なところに目が行く。
この国分寺造られた時代は奈良の聖武天皇のころ。
疫病が蔓延し、社会不安が世の中を覆っていたという背景がある。

国分寺の仏教の力で「国家鎮護」を祈ったのは容易に想像できる。
境内を歩くと、鐘つき堂がある。土台のすそ野辺りは滑らかな傾斜で面白い。

春は桜がそばにありこのお堂は実に絵になるのだがなあと考えながら境内を散策。
正面の門には二体の仁王像があり、魔をよけようと頑張っている。

この国分寺周辺はまだまだ発掘されていない土地もあり、
囲いがされ、空き地となっているが、その規模は実に壮大な感じがする。
冬の国分寺周辺もそれなりの風情がある。
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来年は「酉年」だ

2016-12-22 06:55:49 | 日記
かつて、セキセイインコを飼っていたことがある。
結構人間の言葉を理解し、モノマネもして、話しかけるようになった。
「ピーちゃん、ピーちゃん」と自分の名前もしゃべり、人間の言葉に耳を傾けていた。

さて、新聞を見ていたら、この鳥についての言葉遊びとでもいえる記事に出会った。
鳥は盗るや撮る、また取る、採る、執る、摂る、獲る、録るなど音の同じ語が沢山ある。

わたしを「とりこ」にしてと、スマホで自撮や最近ではこの鳥にかけ、
[来年はとっ酉県]とダじゃれ的にメッセージを発するなど「砂丘からサンキュー」と連発している。

これに続き、観光客誘致に「とっとりで待っとります」となる。
日本だじゃれ活用協会という組織があり、
「とさかに来ても、ゆとりでかわせ」という年賀状を発売したという。
誰でもひねれば出てきそうなダジャレ、
「誰でも楽しめるチキンとした言葉遊びで、
色とりどりの酉年にしてください」と協会では呼びかけている。とか

こんなダジャレができる余裕を持った世の中、暮らしをしたいものだ
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