宗教の違いでお盆は先祖供養とは関係ないと
おっしゃる方も多数いるかとは思います。
それはそれで人それぞれですから良いと思いますが、
仏教で育った私としては普通にお盆は
生まれ故郷の五島に帰ってお墓参りをします。
細木さんみたいに詳しいお参りはわかりません。
若い時はお墓の前に立っても
自分が老いるいる事さえ考える事もなく
ましてやいずれ墓にじぶんが入るなんて考えたくもありませんでした。
歳を重ねる毎に全ての生き物は
この世に誕生した瞬間から死ぬまで、
自分の『居場所』を探す旅なのかなと、思うようになった。
生きていた時に肉体も含めて
自分の物と思っていた全て物が無い世界に行った時、
借り物だった事を理解する。
そして全ての生き物は死を迎えると
自分の居場所に辿り着いた事を知る。
先祖に手を合わせる時
その『居場所』は生きた時間の長さでは無く
自分なりに精一杯生き抜いた向こう側にあると思う。
まだまだ何十年か
向こう側に行く気はさらさら無いけど、
もしそうなったら最期に聴きたいくらい好きな歌です。
森田童子/完全版 「ラスト・ワルツ」
おっしゃる方も多数いるかとは思います。
それはそれで人それぞれですから良いと思いますが、
仏教で育った私としては普通にお盆は
生まれ故郷の五島に帰ってお墓参りをします。
細木さんみたいに詳しいお参りはわかりません。
若い時はお墓の前に立っても
自分が老いるいる事さえ考える事もなく
ましてやいずれ墓にじぶんが入るなんて考えたくもありませんでした。
歳を重ねる毎に全ての生き物は
この世に誕生した瞬間から死ぬまで、
自分の『居場所』を探す旅なのかなと、思うようになった。
生きていた時に肉体も含めて
自分の物と思っていた全て物が無い世界に行った時、
借り物だった事を理解する。
そして全ての生き物は死を迎えると
自分の居場所に辿り着いた事を知る。
先祖に手を合わせる時
その『居場所』は生きた時間の長さでは無く
自分なりに精一杯生き抜いた向こう側にあると思う。
まだまだ何十年か
向こう側に行く気はさらさら無いけど、
もしそうなったら最期に聴きたいくらい好きな歌です。
森田童子/完全版 「ラスト・ワルツ」